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五輪10日前、柔道場に響いた悲鳴 悪夢の靭帯損傷で絶望的状況も…奇跡の金メダル掴んだ「平成の三四郎」【オリンピック名珍場面】

THE ANSWER / 2024年7月29日 22時11分

1992年のバルセロナ大会で金メダルを獲得した古賀稔彦【写真:Getty Images】

■1992年バルセロナ大会、現地入り直後に大怪我の古賀稔彦

 パリ五輪が26日(日本時間27日)に遂に開幕。夏季大会は1896年に第1回大会が開催され、今回で33回目。記憶に残る名場面、珍場面も数多く生まれてきた。4年に一度のこの機会に、過去の出来事を「オリンピック名珍場面」として振り返る。1992年のバルセロナ大会、柔道男子71キロ級に出場した古賀稔彦は、現地入りした直後の練習で左膝を痛めた。靭帯損傷で全治までには1か月が見込まれる大怪我。それでも10日後の試合で何事もなかったかのように畳に立ち、金メダルを獲得。「平成の三四郎」が成し遂げた奇跡だった。

 古賀は現地入りした直後、同じ日本代表で78キロ級の吉田秀彦と乱取りを行った。この最中に古賀は右足を滑らせ、踏ん張ろうとした左膝を思い切りひねってしまった。診断は膝内側側副靭帯損傷で、全治1か月が見込まれる大怪我。10日後に始まる競技の出場は絶望的という報道が続いた。

 ただ身長169センチという小柄な体格から「平成の三四郎」と呼ばれた古賀は、強靭なメンタリティで畳の上に戻ってきた。初戦の2回戦は巴投げで一本勝ち。3回戦、準々決勝と制し4強に進んだ。ドイツのシュテファン・ドットとの準決勝は一本背負いで一本勝ち。決勝ではハンガリーのハイトシュ・ベルタランとの戦いは、5分を戦い終えても両者ポイントを奪えなかった。ブザーが鳴るとハイトシュは両腕を上げたものの、判定で勝利したのは古賀だった。涙をこらえるかのように両拳を握りしめ、勝利をかみしめた。

 大変だったのは減量だったという。現地には少し多めの体重で入り、練習を通じて既定の71キロに合わせていくのが通常のパターン。練習ができない状態では、食事を制限して減らすしかなかった。古賀はその後、1996年のアトランタ大会にも出場し、78キロ級で銀メダルを獲得。引退後は指導者となった。2021年、がんのため53歳の若さでこの世を去っている。(THE ANSWER編集部)

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