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スケボー堀米雄斗連覇、なぜ男女でこんなに強い? 18年前に転機、スケボー大国の始まりは「9800円」

THE ANSWER / 2024年7月30日 18時33分

金メダルを獲得した吉沢恋(左)と堀米雄斗【写真:ロイター】

■パリ五輪スケートボード、堀米が乗り越えた「地獄のような3年間」

 パリ五輪スケートボードは男女ストリートが終わり、日本は男子で25歳の堀米雄斗(三井住友DSアセットマネジメント)が連覇、女子は14歳の吉沢恋(ここ/ACT SB STORE)が金メダル、15歳の赤間凛音(りず)が銀メダルを獲得するメダルラッシュとなった。東京五輪に続く大活躍で、日本は世界に“スケボー大国”をアピール。8月6日から始まるパークにも期待が高まっている。なぜここまで日本は強いのか、その背景を取材した。(取材・文=水沼 一夫)

 ◇ ◇ ◇

 ストリート男子の決勝。最終5演技目で大技を決めた堀米がほえた。ナイジャ・ヒューストンやジャガー・イートン(ともに米国)を抑え、大逆転で連覇を達成し、「自分では逆転を狙ってはいないんですけど、本当はできれば早めに乗って優勝決めたいですけど、でも最後、逆転できて本当うれしいです」と喜びを語った。金メダルに輝いた2021年の東京五輪後、「地獄のような3年間」と話すほど苦しい時期を過ごしたが、最後の最後で王者の底力を示した。

 ストリートは男女とも、世界ランキング上位5人のうち日本人が4人を占めていた。五輪に正式採用されて2回目ながら、発祥国の米国をしのぐ“スケボー大国”を印象づける選手層の厚さだ。パークも女子は6位までに日本人4人が入っており、複数メダルの獲得を射程圏に入れている。

 なぜ日本はここまで強くなったのだろうか。

「世界ランキングというより、日本人の代表争いをして、それを勝つためにどうしたらいいかとみんな各々考えていて、そういうのが積み重なって、女子もそうなんですけど、レベルがどんどん上がっていったというのがあると思います」

 こう話すのは日本代表の西川隆監督だ。世界で戦う以前に、日本代表になる難しさがある。これは、日本のお家芸である柔道と通じるものがある。五輪の出場権を得るための代表争いは熾烈を極め、女子ストリートでは東京五輪女王の西矢椛(もみじ/サンリオ)が代表入りを逃した。

 6月の最終予選で“圏外”から切符をつかんだ堀米も「ギリギリまで出場できるか分からない状況」と振り返ったほど。若手が次々と台頭し、互いの存在が競争意識を高め、結果的に日本勢が底上げされることになった。

 また、国内の練習環境が整備されたことも大きい。NPO法人日本スケートパーク協会の調査によると、24年5月末現在で、全国に設置されている公共スケートパークの総数は475施設。東京五輪開催時の21年は243施設で、大幅に増加した。トップ選手の動きを至近距離で見られることも相乗効果になったと西川監督は分析している。

「やるところが増えていって、なおかつ自分の近い存在じゃないですか。下手したらパークに行ったらその選手が滑っている、見れるというような状況から、僕もそういうふうになりたいと思う選手たち、子どもたちが増えてきて、徐々に全体的なレベルを押し上げている」

■米国のセールスマネジャーの一言から始まった挑戦

 一方で、国内統括団体ワールドスケートジャパン(WSJ)専務理事の宮沢武久さんは、育成について、日本独自の文化が形成されていることを要因に挙げる。

「日本の方程式があるんですよ。『5歳10年』というね。何かというと、5歳でスケートボードを始めて、10年やればオリンピック選手になれるということ。競技を始めるには、早ければ早いほどいいけど、4歳だとまだ自分の意思でやるということが少ない。でも、5歳になれば自分の意思でやりますという子どもが圧倒的に多い。その子どもたちが本当に熱心に、飯も食わないでずっと練習をしている。日本ではカルチャーというと大袈裟になるけど、5歳くらいでスケートボードを始めるということができているんですよね」

 ターニングポイントは「2006年」にあったという。スケートボードの輸入卸会社を経営していた宮沢さんは、米国ブランドのスケートボードの販売会議でセールスマネジャーに問われた。

「どうして日本ではキッズスケートを売っていないの?」

「だってキッズがいないから」。それが宮沢さんの答えだった。当時はスケートボードを楽しむ子どもがおらず、宮沢さんの系列店でもキッズ用のボードは取り扱いがなかった。だが、すぐに自身の考えを改める。

「考え直したんですね。そういう意味じゃなくて、『どうして日本はキッズスケーターを育てないの?』と言っているんだろうなっていうふうに解釈したんです。それで、値段を下げてくれって交渉したんですね」

 5、6歳でスケートボードに触れてもらうためには、何よりキッズ用ボードの価格を安く設定する必要があった。宮沢さんはムラサキスポーツの担当者と話し、「9800円」という価格をはじき出す。「9800円だったら1万円でお釣りがくる。お母さんも子どもが買ってほしいと言ったら買ってあげるでしょう。そうだな、それではやってみましょうかってなったのが始まりです」

■国内の大会に変化「キッズが上手すぎてもう勝てない」

 以降、子どもの競技人口は増加。「2010年ぐらいになったら、AJSA(日本スケートボード協会)の大会を開いても大人がエントリーしてこないんですよ。なんでと聞いたら、『いや大人が、キッズが上手すぎてもう勝てないから、そんな大会出たくないよって言っているんですよ』と。そういう現象が起きたんです」

 競技者の低年齢化が進み、「不良の高校生がたばこを吸いながらやっている」従来のイメージはかき消されていった。AJSAが07年から開催しているキッズスケーターの登竜門「FLAKECUP」には「どこでやっても200人近くのエントリーがある」ほど盛況に。男子ストリートに出場した堀米、白井空良(ムラサキスポーツ)、小野寺吟雲(ぎんう)らも小学生時代に参加し、腕を磨いていた。

 海外では遊びの要素も強いスケートボードが、日本では競技スポーツとしての地位を確立。東京五輪での活躍を受け、幼少期の習い事としても普及し、裾野を広げた中から新たなスターが誕生する好循環が生まれた。花の都パリで、またもや世界を驚かせた日本。その裏では一朝一夕では真似できない、“伝統”の構築が進んでいる。(THE ANSWER編集部 / クロスメディアチーム)

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