ドーピング違反で考えた「死」 身に覚えのない不正、五輪を絶たれても…今、生きてスポーツをする理由――競泳・古賀淳也
THE ANSWER / 2024年7月30日 16時33分
■「シン・オリンピックのミカタ」#31 連載「なぜ、人はスポーツをするのか」第1回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「なぜ、人はスポーツをするのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、なぜスポーツは社会に必要なのか、スポーツは人をどう幸せにするのか、根源的価値を問う。第1回は2009年ローマ世界水泳の男子100メートル背泳ぎ金メダリスト・古賀淳也さん。身に覚えのないドーピング違反の通知を受け、2年間の資格停止に。不条理を味わった37歳の考えとは。(取材・文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)
◇ ◇ ◇
2018年4月23日の午後9時過ぎ、1本のメールで人生が大きく変わりました。
検査機関から届いたドーピング違反の通知です。あり得ない、最初にそう思いました。不正をしてまで競技をやりたいと思わない。陽性なら4年間の資格停止。当時30歳です。ずっと日本代表にいてアンチドーピングの講習も受けてきたし、実際に違反した選手に対して「あまりにも馬鹿げている」と思うくらい、凄く嫌悪感を持っていました。
まさか自分がそうなるとは全く思っていない。だから、通知を受け止めきれず、パニックになりました。自分が人に向けた嫌悪感がそのまま全て跳ね返ってくる。何で? いつどこで? どの検査で? 今後どうなるの? とにかく不安。部屋中をひっくり返して検査表を探しました。あとで気づいたのは、検査表はメールでしかもらっていないということ。それくらい冷静になれませんでした。
その年は派遣標準記録を切り、日本代表に入っていました。予定したアジア大会も確実に4連覇し、ベストタイムを出せると思うくらい調子がいい。東京五輪も100メートル背泳ぎで出場する強い決意がありました。タイムも伸びていましたが、検査に引っかかった何かが影響していたのか、それはないと思っています。
本当に気をつけていたし、不正をしないのはスポーツを楽しむための根底にある。それが当たり前。だから、メールの内容を受け止めきれない。情報が表に出てしまったら広まるのは一瞬。どこかから漏れるかもしれない。
外に出ても、見られているんじゃないか、誰かが知っているんじゃないかと思ってしまう。ご飯も食べられず、絶食に近い状態。朝起きて、テレビをつけて、ソファーに座って、気づいたら夕方になっている。そうしたら、すぐ近くにベランダがありました。
死がすぐ隣にあった。ベランダを飛び越えれば楽になるのかなって。
もちろん怖い。カーテンを閉めて見ないようにしました。シンプルだけど、少しでも遠ざけられるように。当時、お付き合いをしていた女性が会社に行って帰ってきても、僕は朝いた場所から全く動いていない。「散歩に行こう」と連れ出してくれました。でも、家から1、2分のところで「もう帰る」と言う。泣きながら歩き、少しずつ歩ける距離を伸ばしていきました。
「一人でいるのはよくない」とマネージャーさんの家に呼んでもらい、一緒にいてくれました。通知から3、4日後、「うどんでも食べに行こう」と言われ、それが最初に口にした食事。全く動けない状態が3週間ほど続き、10キロくらい痩せました。
競技の調子が良かったので、「先のことを諦めなきゃいけない」というのが強く思ったこと。悔しいし、諦めたくない。感情の処理が全くできないけど、いずれは発表しなきゃいけない。でも、今まで嫌悪感を抱いていた自分の言葉がそのまま全て返ってくる。それをどうやって受け止めたらいいんだろうかと。
結局、水泳を諦めました。
死を考えてなお「生きる側」に戻ってこられた理由とは【写真:中戸川知世】
■なぜ、生きる側に戻ってこられたのか「水泳での経験を…」
今までいいレースができない時、「それはそれ」「次に向けてどうするのか」と切り替えを徹底してきました。あの時は2、3週間かかってしまったけど、僕の中ではかなり早い方。4年を前提に水泳を諦めたことで「次に向けて全力で戦う」と切り替えられるようになりました。
とにかく摂取ルートの特定が必要でした。ただ、コストと時間がかかる。足踏みが続いた結果、最初は明確なルートが出てこなかった。でも、僕はやっていないし、検査をやり直してでも証明したい。FINA(世界水泳連盟)の聴聞会のため、弁護士、通訳など4人でスイスに行きましたが、渡航費用や報酬は全て自腹です。貯めていたものはほぼ全てなくなりました。
結局、原因は栄養を補完するために使っていたサプリメントに禁止物質が混入していたことによるものでしたが、故意の摂取ではないことが認められ、資格停止期間は2年になりました。
2年ぶりに入ったプールは気持ちよかった。すぐに足がつりましたね(笑)。でも、ずっと笑顔。体や感覚の変化に対するネガティブな気持ちより、水に触れ合うポジティブな気持ちの方が圧倒的に大きい。「しっかりと体を動かして水泳をしてるんだ!」って。それが嬉しかったですね。
なぜ、生きる側に戻ってこられたのか。水泳での経験をあの出来事にも上手に生かすことができた、これが大きいです。水泳で得たのは1度のレース結果に固執するのではなく、1回ずつ切り替えること。次はどうするのか、これを繰り返す。
起きてしまったことは変えられないし、誤解を生むような結果が出てしまったのは間違いない。水泳から離れざるを得なくなってしまったけど、僕が離れただけであって、好きなもの、一生懸命に打ち込んでいたもの自体は動かずそこにあります。
だから、他の問題にも「これはこれ」と受け止めた上で切り替えて、競技にどう真摯に向かっていくのか。やっぱり水泳が大好きですし、速くなるだけではなく、楽しみながら自分の泳ぎを向上させていこうと。それが周りにもいい影響が出る。水泳をもう一回やろうと決意できたし、もう一度戦う気持ちになりました。
もちろん未練はあります。「もし何も起きていなければ」と。でも、それは普通に水泳を続けていても「あの時にこうしていれば」と思って起こりうること。だから(陽性も)その延長です。次に向けて改善し、より突き詰めていく。それが楽しい。水泳を始めた5歳の時から一緒です。
17年ブダペスト世界水泳に出場した古賀さん【写真:Getty Images】
■命を絶つことが頭をよぎったからこそ思う「スポーツをする意味」
今年3月の国際大会代表選考会を最後に引退しましたが、トレーニングや水泳は続けています。今、生きていてよかったと思える瞬間は常日頃ある。心の余裕を感じた時です。
練習後に疲労を感じながら座り、「はあー」とボーっとする時間。そういう時にこそ「あぁ、生きているんだな」と改めて思い直します。心地よい疲労感です。勝った後の興奮に生きている喜びを見出す人は多いと思いますが、僕の場合はホッとした時です。
何かに一生懸命に取り組まないと、ホッとした瞬間や幸せを再び実感できないと思います。しっかり山があって、谷があること。平坦なままだと生きている実感は湧きづらいと思うんですよね。スポーツはその一つの方法です。僕の場合はスポーツをやることで山ができています。
ひと休みした時に「ああ、生きていてよかった」と余暇を感じることができる。だから、何かに一生懸命に取り組む。限られた時間の中、自分が楽しんで生きる意味をどう見出すか。毎日余裕がなく、何かに追われ続け、周りを見ることなく必死に人生を過ごす中、「なんで自分は生きているんだろう」と考えてしまうこともある。それはアスリートも一緒です。
毎日きつい練習を繰り返す中、「なんでやっているんだろう」と落ち込む時もあります。選手が競技人生で生きる意味を見出すことと、社会で働いている方々がそれぞれの人生で意味を見出だすことは、結局のところ同じだと思うんです。
流してしまいがちですが、忙しさ以上にホッとした瞬間を感じられる時があるはず。お風呂に入る瞬間、コーヒーの1口目、ベッドに入った時でもいい。何かを一生懸命やったからホッとできる。
僕は仕事が泳ぐこと。毎日繰り返されるトレーニングや生活の中で自分が楽しめるのが余暇の部分。本来なら重要視されないところにあえてフォーカスして、自分が何に対して感動、喜び、快感を味わうのか。そこを突き詰めていくための一つの手段として、スポーツがあるのかなと思います。
今の主な活動は小学生への水泳教室です。日々体を動かし、どう教えるか頭を整理する。突き詰めることは今もできているので、ホッとする瞬間がありますね。僕にとって、スポーツはそういう役割をしてくれています。
■古賀 淳也 / Junya Koga
1987年7月19日生まれ、埼玉・熊谷市出身。37歳。5歳から水泳を始め、春日部共栄高から早大に進学。09年ローマ世界水泳で100メートル背泳ぎ優勝。50メートル背泳ぎは同大会と17年ブダペスト世界水泳で準優勝、14年アジア大会(仁川)で3連覇、日本選手権で3連覇含む9度優勝。16年リオ五輪400メートルリレーで8位入賞に貢献。18年4月にドーピング違反で国際水泳連盟から4年間の出場停止処分を受けたが、スポーツ仲裁裁判所に意図的ではないと認められ、2年間に短縮。20年8月に競技復帰。24年3月の国際大会代表選考会を最後に現役引退。50メートル背泳ぎの24秒24(09年)は日本記録。身長181センチ。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)
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