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「日本は柔道着を送ってくれた」 漢字を学び、寿司を愛し…五輪で誓う18歳フィジー留学生の恩返し

THE ANSWER / 2024年8月1日 17時33分

パリ五輪に出場するフィジー共和国代表ジェラード(左)と二人三脚で指導するナウルコーチ【写真:THE ANSWER編集部】

■柔道男子100キロ超級のフィジー代表ジェラード、12歳で日本に…衝撃を受けた初稽古

 五輪は選手にとって、さまざまな思いを背負って立つ場所でもある。2日に行われる柔道男子100キロ超級のフィジー共和国代表タカヤワ・ジェラード・ジョセフは、子どもの頃、フィジーで唯一の柔道場に柔道着を送ってくれた日本への感謝を胸にパリの畳の上に立つ。18歳にして195センチ、120キロの恵まれた肉体。目指すはフィジー柔道史上初の「五輪1勝」だ。(取材・文=水沼 一夫)

 ◇ ◇ ◇

 好きな日本語を聞くと、しばし考え「勝ちたい」と発した。渡仏直前の7月下旬、茨城・流通経済大で取材に応じたジェラードは、短い言葉に闘志を込めた。

 人口93万人のフィジー出身。6人きょうだいの下から2番目で、6歳の時から柔道を始めた。祖父のタカヤワ・ヴィリアメさんは、1984年ロサンゼルス五輪や88年ソウル五輪に出場し、母国に柔道を伝えた「フィジー柔道の父」と呼ばれる存在。スポーツジムの中にフィジー初の柔道場を作っている。

 ヴィリアメさんは東海大で修行経験があり、子どもを次々と来日させて日本とのパイプを作り、一族には柔道経験者が多かった。孫にあたるジェラードのきょうだいはどちらかというと「勉強中心」だったが、子どもながら体の大きかったジェラードは「やるしかないです」と、周囲から自然と柔道を勧められる雰囲気だったという。

 練習は週3回、フィジーでは珍しい畳の上で行われた。「畳が1面あります。フィジーだとすごい」。受け身や打ち込み、技の入り方、乱取りを合わせて1時間ほど。追い込む練習ではなく、柔道を楽しく身につける、遊びのような感覚だったと振り返る。

 道場生は35人ほどで、女性もいた。フィジーではラグビーが人気で、練習前にはウォーミングアップとして柔道場でタッチラグビーを行う慣習もあった。

「オリンピックを目指す練習ではなく、汗をかく練習でした」

 続けられたのは、柔道の魅力というより、練習後の“ごほうび”があったから。

「おじさんが終わった後にマクドナルドに連れていってくれた。嬉しかった」とジェラードは笑みを浮かべた。

 日本に初めて来たのは、12歳の時だった。複数の親戚が留学していた流経大の道場で、柔道の練習に参加した。そこでジェラードは、フィジーとは異なる練習内容に強い衝撃を受ける。

「日本の柔道はフィジーと一緒じゃない。日本は柔道が強くなるためにやっていた」

 環境の違いに面食らい、ついていくのに精一杯。練習は厳しく、「乱取り中は毎日泣きながらやっていた」と話す。


12歳で初来日した頃のジェラード。まだあどけなさが残る少年だった(右から2人目)【写真:ナウルコーチ提供】

■日本の高校に進学、「漢字」に戸惑いもコーチと二人三脚で乗り越えた壁

 観光ビザの有効期間である3か月間、柔道漬けの日々を過ごしたジェラードは、その後も日本への短期修行を繰り返すと、中学卒業と同時に来日を決意。“フィジーで柔道を普及させるために留学させたい”というフィジー側の意向もあり、ジェラードは受け入れ先となった流経大柏高で、本格的に技術を習得していく。

 生活面で最も困ったのは言葉の問題だった。フィジーでは英語とフィジー語を使っていた。「最初の2週間くらいはめっちゃ大変。日本語とか漢字が全然分からない」。寮生活を通じて次第になじみ、「3か月くらいで大丈夫だと思った」と適応。柔道もメキメキと実力をつけ、高校3年生でインターハイに出場。そして流経大に進学し、1年生にして五輪切符をつかみ取った。

 日本で二人三脚で指導してくれたのは、フィジー出身で五輪2大会出場のナウル・ジョサテキ・ナキディ流経大コーチだ。「自分が練習をやりたくない時、頑張れと言ってくれる」と常に励ましてくれた。ナウルコーチは、「日本語を覚える、学校に慣れる。いろいろ大変なことがあった。高校3年の時、インターハイに出たのがターニングポイント。去年の11月から今年6月まで、海外遠征があるたびに1人で行って、そこで成長した。国際大会で戦える自信になった」と愛弟子の成長に目を細める。

 初出場のパリ五輪では、「テディ・リネールとやってみたいですね。普通にかっこいいと思います」と意気込むジェラード。その胸には、家族や恩師はもちろん、柔道を通じて支えてくれた日本への感謝がこみ上げている。

 6歳で柔道を始めた時、袖を通した柔道着は日本から贈られたものだった。

「日本はフィジーに柔道着を送ってくれた。小さい頃は考えなかったけれど、今はこんなにお金がかかることだと気づいた。高校、大学、OBの方、いろいろな人がサポートしてくれた。恩返しできるように頑張ります」


12歳当時のジェラード(手前)はフィジーとは違う日本の練習に必死にくらいついた【写真:ナウルコーチ提供】

■フィジー柔道悲願の「五輪1勝」なるか、身長は「2メートルぐらいになる」

 目標はフィジー柔道史上初の「1勝」だ。「1回戦を勝ちたい。今までフィジーの選手は五輪で1勝もしていない。勝ってフィジー柔道の歴史を変えたい」と腕を撫している。

 スーパーヘビー級の肉体はまだ発展途上。焼き肉やラーメン、寿司など日本食も大好物だ。流経大監督で、フィジー柔道代表監督の岩崎卓さんは、「中学生の時からずっと見ているんですけど、日に日に強くなっているんですよ。今強くなっている段階なので、ここで結果を求めているわけじゃなくて、(2028年の)ロス五輪の時にどれだけ活躍できるか。そのためのいい経験になれば」と分析。

「日本人選手にはこれだけ身長のある選手はなかなかいない。もうちょっと、2メートルぐらいになると思います。彼は2、3努力すると、日本人が10努力するところまでいく。もう違うんです、体の作りが。彼がみんなと同じことをしていることが一番の努力かもしれない」と将来を見据えた。

 日本で培った経験が五輪という大舞台でどこまで通用するのか。フィジーだけでなく、日本の多くの関係者も見守っている。(THE ANSWER編集部 / クロスメディアチーム)

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