「勝つほど柔道が嫌いになっていく」 極限状態を離れ、町道場で教える欧州で学んだスポーツの意義――柔道・大野将平
THE ANSWER / 2024年8月3日 11時43分
■「シン・オリンピックのミカタ」#48 連載「なぜ、人はスポーツをするのか」第2回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「なぜ、人はスポーツをするのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、なぜスポーツは社会に必要なのか、スポーツは人をどう幸せにするのか、根源的価値を問う。第2回はリオ五輪、東京五輪の柔道73キロ級金メダリスト・大野将平が登場する。
一点の死角すらない大野将平の柔道には、心憎いまでの気高さがあった。彼は引退ではなく、競技生活にひと区切りをつけて昨夏より日本オリンピック委員会のスポーツ指導者海外研修事業を利用してイギリス・スコットランドに渡り、コーチング修行、語学習得に励んでいる。柔道家として競技にすべてを注ぎ込んできた生活から離れ、スポーツ文化が根づく欧州での生活において何を思い、何を感じているのか。今の自分を重ねながら語ってもらった。(取材・構成=二宮 寿朗)
◇ ◇ ◇
今の生活は、基本的に現地のクラブチーム、スコットランドのナショナルチームの練習に顔を出して一緒に稽古したり、教えたりしつつ、英語の勉強もやっています。昨夏に日本から来たころは、スコットランドの選手たちを強くしなきゃいけない、自分の技を教え込まなきゃいけないと、どこか使命感ばかりに駆られていました。しかし現地の道場に行って、勉強してという生活を続けていくうちに、2年間という短い期間で大きく変化させることは簡単ではないんだなとゆっくり理解していくことで考え方に変化が生まれました。
あまり責務に縛られなくていいんじゃないか――。そんな思いに至ってからはリラックスして過ごせるようになっています。
選手の指導において、そもそも日本と欧州では選手の骨格が違います。(欧州は)フィジカルはしっかりしていても股関節が硬く、上半身の強い部分を活かし切れていないと感じています。日本は相撲もそうですが、股を割るとか(下半身の)柔軟な動きは得意。ですから欧州の選手たちに日本と同じように教えてもなかなかうまくいかないのは仕方がありません。できないなりにも彼らができるようなものを一緒になって見つけていくという作業は、思いのほか楽しく、そして充実しています。
依頼があればスコットランドを出て、ほかの国に出向くことも積極的にやっています。過日、スイスのとある町道場に呼ばれて、指導する機会をいただきました。
柔道着には白と青があるなかで、全員が白を身に着けていました。日本の柔道家にとって白は、死を覚悟して試合に臨むという死に装束の意味があります。そのスイスの道場は日本の伝統を大事にするオーセンティックなスタイルで、「整列」となれば上座のほうから順番に正座をしていきます。このような道場が欧州にはいくつもあります。
私も現役時代、日本の柔道家以上に柔道の精神性を理解しようとする欧州の選手たちをよく見てきました。このような道場があって、柔道がきちんと浸透したうえで欧州の柔道が発展しているんだなとあらためて感じることができました。とともに、礼儀正しく、規律正しい欧州の柔道家を見て、今の自分は日本人柔道家として誇れるのかというのを自問自答する、いい機会をいただいたとも感じました。
引退後、欧州で暮らして指導も行っている大野(前列左から7人目)【写真:Getty Images】
■欧州に来て学んだ「生涯スポーツ」としての柔道
欧州に来て、学ばせてもらった一つが「生涯スポーツ」であること。私が通うスコットランドのクラブチームは、40代50代以上の人も柔道をやっています。健康目的でやっている人は稽古を生活のサイクルに入れて楽しくやっていて、一方で白帯から段々とアップグレードさせて最終的に黒帯を目指している人は試合にもどんどん挑戦しています。
日本の場合はどうでしょうか。子どものころは柔道であれ、野球、サッカー、ほかのスポーツであれ、いろいろとやれる環境にあるとは思います。ただ、欧州のように40代50代以上の人がスポーツを楽しめる環境になっていないような気がします。特に柔道においてはその傾向が強く、やりたくてもできない。ここはスポーツが生活の一部になっている欧州と日本の大きな違いではないでしょうか。欧州の人たちは私が通うクラブチームを例に取っても、いくつになろうが挑戦して、体を動かして、健康的に過ごしているな、という印象を強く持っています。
選手たちもそうです。競技生活を終えると、そのまま離れてしまうケースも少なくありません。私自身、20数年間、柔道に誠心誠意向き合って、厳しくやってきたつもりです。楽しいだけでは勝ってはいけません。負ける可能性が1%でもあれば許せない、それくらい極限状態のなかでやっていました。あの時期に戻ってもう1回同じようにやれと言われても無理だと思います。インタビューにおいても「畳の上で白い歯を見せるものではない」と発言してきました。
勝っていけばいくほど柔道が嫌いになっていく感覚がありました。(東京五輪で2連覇を果たした後は)離れたいという気持ちがあり、正直言うと今では稽古したいとの感情すら湧きません。ただ、このように欧州で生活するようになって初心に戻ることができているのかもしれません。柔道を楽しむ、スポーツを楽しむ。その感覚を今持っていいんじゃないかと思えるようになりました。
自分自身、柔道家に引退はなく、一生修行だと思っています。今、厳しい稽古をやらない以上、日に日に自分の筋力、体力は落ちていきます。技というものは技術にプラスして筋力、体力が重なって成立します。でも、その筋力、体力を失っていくと技術の部分がより光ってくる。スコットランドの選手たちと一緒に稽古をしていると、逆に力を抜いて技術だけでしっかり投げる感覚を持てているのが何とも面白い。自分でこう表現するのもおかしいですけど、達人の域に近づいているような気もします。柔道を畳の上で追求する、探求することは続けていかなければなりません。そういったことを少しずつやっていきたいとは考えています。
道場に通う選手たちと練習後、近くのパブで飲みながら彼らといろいろと話せることもここでの楽しみの一つです。スポーツパブではラグビーやサッカーのEURO(欧州選手権)がテレビで流れていました。ラグビーでもサッカーでもナショナルチームへの応援も凄まじい。こういう場に一緒にいれるだけでも、スポーツが生む一体感を味わえます。
欧州や日本で、そういったスポーツパブで柔道の試合映像が流れることはまずないと思います。でも僕が訪れたカザフスタンなど中央アジアの国々は柔道やMMAなど格闘技が流れていました。競技はいろいろと違っていても、スポーツで盛り上がることは世界共通。スポーツをするにしても、観るにしても、人々の生活にスポーツは切っても切れない関係性にあるのだと、スコットランドに来てより感じています。
スポーツが身近にある欧州での生活は日々、学びを与えてくれています。(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)
二宮 寿朗
1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)などがある。
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