1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 格闘技

天国で父はきっと黙っていない 斉藤立よ、鬼になれ 36年前、仁さんが知った五輪で一番大切な「ここ」

THE ANSWER / 2024年8月3日 18時16分

柔道100キロ超級、準決勝で敗れ頭を抱える斉藤立【写真:Getty Images】

■「シン・オリンピックのミカタ」#51 「OGGIのオリンピックの沼にハマって」第10回

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 今回は連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」。スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和と、五輪を含めスポーツを40年追い続けた「OGGI」こと荻島弘一氏が“沼”のように深いオリンピックの魅力を独自の視点で連日発信する。

 ◇ ◇ ◇

「お父さんよりも強くなる」。無邪気に話す息子の横で、父はうれしそうに笑っていた。11年前、斉藤仁さんが亡くなる1年前だった。立は全日本柔道連盟が小学生の有望選手を集めて行った初めての小学生合宿で東京の講道館にいた。見守るのは強化委員長だった父仁さん。「そうなってくれりゃうれしいけど、そんなに甘くないよ」。笑いながらも口にした厳しい言葉が今も耳に残っている。

 柔道100キロ超級3位決定戦。気持ちが入りきらない(ようにも見えた)試合に、天国の仁さんは怒っているかもしれない。金メダルだけを目指してパリに乗り込み、その夢が絶たれた。気力が萎えても仕方ないとも思う。それでも、仁さんなら黙っていられないはず。本人も口にしたように「情けない」と吐き捨てたかもしれない。

 立の姿は、かつての仁さんを思わせる。体型から立ち姿、汗をぬぐうなど細かな仕草、スタイルはそっくりだ。ただ、内面は同じではない。直接話をしても、テレビの画面を通しても、あふれるような気迫は感じない。父は柔道に関して間違いなく「鬼」だった。その域に達するには、まだ時間がかかる。苦い経験も必要だ。

 88年ソウル大会前、ぎりぎりで代表の座に滑り込んだ仁さんは、苦しんでいた。ケガで体は思うように動かず、稽古にもついていけない。大会2か月前の強化合宿、思いつめた末に上村春樹監督の部屋を訪ね「代表から外してほしい」と代表辞退まで直訴した。

 上村氏は「五輪で一番大切なのは何か分かるか」と言って自らの胸をたたき「ここよ」と言ったという。76年モントリオール大会最終日の無差別級で金メダルを獲得した同氏は五輪、特に最終日に行われる最重量級での精神力の必要性を誰よりも分かっていた。

 監督の言葉通り、仁さんはソウル大会柔道の最終日に金メダルを獲得し、そこまで全滅だった日本柔道を救った。動かぬ体を気持ちだけで支えた。東京五輪に向けて強化のトップにいた亡くなる前「結局、最後はここよ。気持ちよ」と自らの胸をたたいてみせた。


全国小学生合宿での斉藤立(左)と斉藤仁強化委員長(2013年)【写真:荻島弘一】

■4年後、気持ちを前面に出して金メダルを獲得する姿がどうしても見たい

 もちろん、立も金メダルをとる力はあっただろうし、覚悟を持って大会に臨んでいたはず。ただ、父ほどの決意はあっただろうか。昭和の時代の金メダリストと比較するのに無理があるのは分かる。時代も違うし、柔道も違う。それでも「最後は気持ちよ」と、天国の仁さんは言っているような気がする。

 大会1年前にパリ五輪の代表内定が出た時「早すぎる」と言った柔道関係者がいた。「あの性格だと代表決定で安心してしまう。ギリギリまで競わせた方がいいのでは」という意見だった。結果論かもしれないが、追い込まれた方が力を発揮できたのかもしれない。

 仁さんの立への厳しい言葉を聞いていたから、どうしても父親目線になってしまう。ただ、まだ22歳。仁さんの言葉を借りれば「まだ子どもよ」かもしれない。精神的に強くなるのはこれからだ。

 仁さんの重量級への思いは相当なものだった。88年ソウル大会後、超級は金メダルから遠ざかり、その後優勝を果たしたのは04年アテネ大会の鈴木桂治(現男子代表監督)と08年北京大会の石井慧。いずれも代表監督の仁さんが「鬼」になってつかんだ金メダルだった。

 息子の金メダルを見届けるつもりだった「鬼」はもういない。だからこそ、立自身が「鬼」にならないと。4年後は仁さんが最初の金メダルを手にしたロサンゼルスでの大会。気持ちを前面に出して金メダルを獲得し、表彰台で涙する立の姿が、どうしても見たい。(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください