「私って、こういう運命なのか」 襲われた2度の試練、“パリ五輪絶望”の先に進んで2人で見た風景――バドミントン・福島由紀
THE ANSWER / 2024年8月4日 10時43分
■「シン・オリンピックのミカタ」#53 連載「なぜ、人はスポーツをするのか」第3回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「なぜ、人はスポーツをするのか」。スポーツはなぜ世の中に必要なのか。五輪という極限の頂に辿り着いたアスリートだからこそ、導き出される“アンサー”を問う。第3回はバドミントン女子ダブルスでパリ五輪を目指した福島由紀。3年前、金メダル候補として目指した東京五輪は直前にペアを組む廣田彩花が大怪我を負い、力を発揮しきれないまま8強で敗れた。決意を胸に臨んだパリ五輪レースはまたも試練に襲われ、道半ばで涙を呑む。目指した舞台にさえ立てず、絶望的な感情に襲われても、1人のアスリートとして前を向く。何度も失意を味わいながら、コートに立ち続ける原動力を明かした。(取材・文=藤井 雅彦)
◇ ◇ ◇
パリ五輪で金メダルを獲得するという目標を叶えることができませんでした。最後の五輪レースの試合が終わった時は、パリの舞台に立てない悔しさよりも、やりきったという気持ちのほうが大きかったです。
(2021年の)東京五輪の話になりますが、開幕直前にペアを組む廣田が右膝前十字靭帯断裂という大怪我を負いました。世界ランク1位で迎える日本での五輪。私たちはメダルを狙える位置にいたと思います。その舞台にも立てなくなる可能性がありましたが、廣田は大会前に手術はせずにプロテクターを装着して出場することを決意。これまでのようなプレーができないからこそ、これまで以上に声を掛け合いました。私は廣田の分も全て拾う気持ちでしたし、廣田も必死にプレーしてくれました。
結果は準々決勝で敗退。多くの方から諦めない姿勢に感動と勇気をもらったなどの温かい言葉をいただきましたし、私も廣田の懸命なプレーに勇気づけられました。
その後、廣田は手術後の懸命なリハビリを乗り越えました。練習でコンビネーションをさらに磨き、パリ五輪のレースに挑みました。取りこぼす試合ももちろんありましたが、何とか出場圏内にいることができました。
でも、順調にはいかないものですね。
昨年12月にインドで行われたシドモディ・インターナショナル(BWFワールドツアースーパー300)の準決勝で、廣田が左膝を負傷して棄権しました。左膝前十字靭帯断裂という診断でした。
今となっては日が経っているので、話せるようになってきました。先ほどはやりきった気持ちのほうが大きかったと話しましたが、こうやって当時のことを振り返ってみるとやりきれない気持ちというか、辛かったですね。
廣田彩花(左)の大怪我がありながら、福島は東京五輪の舞台に立った【写真:Getty Images】
■一番辛かったのは「一度は廣田が手術を決意した時」
一番辛かったことは、廣田が怪我をした時よりも、一度は廣田が手術を決意した時です。もうパリ五輪出場に向けて挑戦すらできないのかと……。手術をすれば、試合には出場できなくなり、五輪レースのポイントの上積みができなくなる。つまり、それはパリ五輪への挑戦を断念することを意味します。でも、私は廣田を責めることはできませんでした。
実際に東京五輪の前に逆足の同じ怪我をしていて、それを経験した上で「今回は動けないと思います」と本人から怪我をした直後に言われたので、仕方ないなと思う気持ちと、もうパリ五輪には出られないんだという気持ちがぐちゃぐちゃで……。私ってこういう運命なのか、五輪には縁がないのかと、少しの間は何も考えられなかったですし、記憶が抜けているんです。五輪出場が閉ざされた事実を受け入れなければいけなかった昨年の年末は、本当にきつかったです。
本大会に出る、出られないの結果もあるけれど、2人でパリを目指すと決めた時から覚悟を持って挑戦してきたので、私自身は五輪レースを戦い続けたかった。怪我をしてしまった廣田は、責任や申し訳なさを感じていたと思いますし、やりたくても身体が動かない歯がゆさもあったはずです。だから私からは何も言いませんでした。というか、言えませんでした。
年末、廣田から「もう一度、五輪を目指したい」と言われました。手術を決意してから手術予定日までの期間で、廣田も葛藤したのだと思います。一度は、廣田が手術することを受け入れていたので、もう一度、五輪レースに臨むメンタルに持っていくのは難しい部分もありましたが、最終的に手術せず保存療法に切り替えて、次の試合がある3月に向けて再スタートを切ることになりました。
廣田の怪我の後にオフに入っていた期間があったので、正直、身体もきつかった。でも1月と2月はしっかりと身体を作っていかないと残りの試合が乗り切れないと思ってトレーナーの厳しいメニューにも耐えようと思いました。廣田の怪我の回復状況を見ながらコンビネーションを合わせて、そこからは2人でとにかく残りの試合を最後までやり切るということに気持ちをシフトさせて、毎日を過ごしてきました。私まで怪我をしてしまったら、このペアの戦いは本当に終わってしまう。だから怪我だけはしないようにいろいろな部分をケアしながら、それでいてできる限り廣田をカバーすることを念頭に置いてプレーしてきました。
中国で行われたアジア選手権1回戦。韓国ペアにストレートで負けてパリ五輪での代表入りが絶望的となりました。
一度は五輪に挑戦することすらできなくなり、不完全燃焼で終わってしまうところを、廣田がもう一度、挑戦したいと言ってくれて……。パリ五輪の舞台に立てないのは残念ですけど、五輪レースをやりきったという気持ちになれたのは廣田とサポートしてくれた色んな方のおかげなので、本当に感謝しきれないですね。
■試練続きだった競技人生で思う「スポーツの素晴らしさ、バドミントンを続けられる理由」
すべてが終わってから、廣田と特に深い話をしたわけではありません。お互いに「ありがとう」「ありがとうございました」と感謝を伝えて「頑張ったよね」と褒め合って。2013年からペアを組んでいるので、何も言わなくても分かることはたくさんあります。
昔は2人で映画館に行ったり、ご飯を食べに出掛けたりしていました。でも、2017年に日本代表に入ってからは、試合や練習はもちろんのこと、遠征の移動も一緒で、部屋も2人部屋。ずっと同じ空間にいるんです。廣田は年齢が1つ下なので、私に気を遣ってしまう部分もあったと思いますが、いろいろな意味で良きパートナーでした。一心同体です。廣田がいなければ、私はここまで来ていません。もしかしたら途中でバドミントンをやめていたかもしれない。だから感謝の気持ちしかありませんし、両膝の前十字靭帯断裂というアクシデントに見舞われながらも戦い抜いた廣田は本当にすごいですし、尊敬しています。
パリ五輪レースが終わった後、5月に若手選手とペアを組んで出場した日本ランキングサーキット大会で2回戦負けした時は、めちゃくちゃ悔しかった。その時に気づきました。私、まだ悔しいんだ、って。
悔しさは自分を突き動かす大きな原動力です。遠い未来のことは分からないけれど、まだコートに立ち、プレーしたい。いつか試合に負けても悔しくなくなったら、それがラケットを置く時です。
五輪レースが終わってから少しオフをもらった時に、廣田と挑戦してきた日々を振り返ってみて、最後まで廣田と一緒に戦えて幸せだったなと思いました。バドミントンと出会っていなかったら、きっとこんな幸せな気持ちにはなれなかった。小学校3年生から20年以上もバドミントンにすべてを注いできたご褒美かもしれませんね。
五輪で金メダルという目標は叶えられませんでしたが、困難に直面した時に本当に多くの方が支えてくださいました。コートに立つのは2人ですが、いろいろな方の想いを背負って最後まで諦めずに戦い、与えられた環境でやりきることが多くの人の心を動かし、悩んでいる人の励みや後押しになるんだということに、パリ五輪を目指す戦いのなかであらためて気づかされました。
これがスポーツの素晴らしさであり、私がバドミントンを続けられる理由だと思っています。(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)
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