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「E.E.佐藤」「A級戦犯」 世紀の落球、大バッシングに晒され…パリ五輪で「俺より派手な失敗やめて」――野球・G.G.佐藤

THE ANSWER / 2024年8月5日 10時34分

北京五輪で世紀の落球を犯したG.G.佐藤【写真:Getty Images】

■「シン・オリンピックのミカタ」#60 連載「あのオリンピック選手は今」第2回後編

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 今回は連載「あのオリンピック選手は今」。五輪はこれまで数々の名場面を生んできた。日本人の記憶に今も深く刻まれるメダル獲得の瞬間や名言の主人公となったアスリートたちは、その後どのようなキャリアを歩んできたのか。第2回はプロ野球・西武などで活躍し、2008年北京五輪に出場したG.G.佐藤氏。前後編で伝える後編では、3失策で一躍世間の注目を浴びた45歳の今に迫る。(取材・文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

 ◇ ◇ ◇

 メダルを懸けた戦いで、まさかの落球2つと後逸1つ。失意のG.G.佐藤を待っていたのは想像以上のバッシングだった。

 iPhoneもYouTubeも、日本ではまだ黎明期。北京で報道を知るのは難しかった。初めて事の大きさを実感したのは、帰国便でスポーツ紙の見出しを見た時だ。

「E.E.E.佐藤」「G.G.佐藤、A級戦犯」。辛辣な見出しが並んでいた。「とんでもないことやっちゃったな……」。帰国後はコンビニでも、店員に笑われている気がした。

 救われたのは、ファンと恩師の存在。西武に復帰した初戦、初めてフライを捕った時の大歓声は忘れられない。「平凡なライトフライが上がって、静まり返りましたからね。あんなプロ野球選手いない」。試合後、お茶目に「西武ドームが北京の空に見えた」と発言。炎上したのも今では思い出だ。

 星野仙一監督には、帰国後すぐに手紙を書いた。「自分のせいで負けてしまって、申し訳ありませんでした」。しばらくして、日本の主将を務めた宮本慎也から闘将の伝言を聞いた。

「気にするな。これから野球界に対してどんどん貢献をしていきなさい」

 妻にも助けられた。帰国前、メールで「死にたい」と送信。返信はなかった。何なんだよ――。だが自宅に着くとすぐ、抱きしめられた。「あなたは何があっても私のヒーローだよ」。再起するには十分な一言だった。

 あれから16年。2014年にロッテを退団した後は、父が経営する株式会社トラバースに入社。現場でヘルメットを被って営業活動に勤しみ、副社長にもなったが、昨年「戦力外通告」を受けたとXで報告。現在は独立し、同社には外部広報として携わっている。

 肩書をあえて付けるなら「G.G.佐藤」。公演活動をこれまで70件ほどこなしてきた。話すメインテーマは「失敗がない人生には成功もない」。北京五輪での経験などを踏まえ、前向きになる考え方、チャレンジ精神について伝えることが多い。目標は100件だ。

 このほか小学生向けに週3回の野球指導も行い、不動産業にも進出。社員は自分一人だが“社長”になっている。これだけ手広く活動している中で、探しているのは「生きる使命」だ。


パリ五輪を戦う選手へ「俺より派手な失敗はやめて」と願う【写真:中戸川知世】

■パリ五輪選手へエール「俺より激しいやつはやめてくれ」

「誰かにいい影響を与えられる人になりたいのが大前提。そのうえで、本当に何がやりたいかをすっげぇ探しているんですよね。自分が何を一番やりたいかって、気になりませんか? 分からないじゃないですか。

 考え方に制限かかるのって、大体お金が理由だと思うんです。10億円くらい貯めてやろうかなって本気で思っています。どういう世界なのか、見てみないと分からない。制限がなくなった時に、生きる使命が見つかるんじゃないかなって」

 引退後はSNSでの発信も積極的にチャレンジ。中でもTikTokでは、北京で犯したエラーを“ネタ”にして楽しませている。トラウマだった経験が吹っ切れたのは、生前の野村克也氏から「お前の勝ち」と言われてからだ。

「北京五輪で、誰が人の記憶に残っている? 星野とお前の2人だけや」。名将が亡くなる10日ほど前に残した言葉だった。発信してみると意外に好意的な声が多数。今ではセールスポイントだ。

 あの夏を思い出す、4年に一度の大舞台が今年も始まっている。歓喜の涙も、悔し涙も流れる17日間。騒動の中にいたG.G.佐藤だから言える、五輪選手へのエールを聞いた。

「何が起きても、まずは受け入れてほしいですよね。最善を尽くした結果、そうなったという意味で、自分を受け入れてあげてほしいなと思います。現に大失敗しても、こうして笑えているやつがいるわけですから。失敗を恐れずにチャレンジしてほしい」

 猛バッシングを浴びた経験があるだけに、重みがある。説得力を込めて語ったと思ったら、実にG.G.佐藤らしい言葉も忘れなかった。

「でも、俺より派手なエラーはしてほしくないですね! 薄れちゃう。俺の仕事がなくなっちゃうから(笑)。俺より激しいやつはやめてくれっていうのは言いたいっすね。(野球は実施されないが)全競技、やめてほしい。俺を超える大ミスは」

 波乱万丈の野球人生を過ごしたG.G.佐藤に、真面目な質問もしてみた。「野球は人をどう育てるのか」。パリでは実施競技から外れた五輪への想いも聞いた。

(続く)

■G.G.佐藤 / G.G.Sato

 1978年8月9日生まれ、千葉・市川市出身。本名は佐藤隆彦。中学時代、野村沙知代氏がオーナーだった「港東ムース」でプレー。野村克也氏とも出会う。桐蔭学園高から法大に進学。卒業後はMLBフィリーズ傘下で3年間プレーした。2003年ドラフト7位で西武入団。07年にレギュラーの座を掴む。08年北京五輪に出場するも、3失策で厳しいバッシングを浴びる。12年にはイタリアに渡ってプレー。ロッテを経て14年限りで引退。父が経営する測量会社「トラバース」に入社した。営業所長、副社長などを経験し、昨年独立。現役時代の公表は184センチ、98キロ。右投右打。(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)

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