44歳現役スプリンターが今も走り続ける理由 年齢を重ね、手に入れた「メダルより価値のある哲学」――陸上・末續慎吾
THE ANSWER / 2024年8月6日 14時34分
■「シン・オリンピックのミカタ」#65 連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」第6回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、少子化が進む中で求められるスポーツ普及を考え、それぞれ打ち込んできた競技が教育や人格形成においてもたらすものを語る。第6回は2008年北京五輪の男子4×100メートルリレーで第2走者を務め、銀メダルを獲得した末續慎吾。44歳となった今も現役スプリンターとして走りを追求するなかで、メダルよりも価値のある感覚を手に入れ、物事の本質が見えるようになったと明かしている。(取材・文=藤井 雅彦)
◇ ◇ ◇
2008年北京五輪の男子4×100メートルリレーで銅メダル(後に銀メダルに繰り上げ)を獲得した末續慎吾は、44歳になった今もなお、現役選手としてトラックを走り続けている。
人間の細胞レベルの話をするとしたら、ピークはとっくの昔に過ぎ去っているのだろう。誰よりも自分自身が自覚しているだけに、客観的な見え方もスムーズに言語化できる。
「おそらく今の僕には美しさと見苦しさの2つがありますよね。つまり加齢を受け入れる潔さと抗う強さです。その双方を体現しながら生きたい。老いて下降していく自分を感じて、それでも緩やかに頑張りながら、しっかりと年齢を重ねていく。これが本来のスポーツという世界なのかなと思っています。
体力的なこと、神経系の話で言えば、おそらく20代前半がピークでしょう。でも若い時に獲得した技術は技術ではありません。若い体だからできる技術が存在して、それは年齢を重ねると難しくなる。一方で、老いを得ないとできないものもあって、それが本当の技術です。アスリートとしての能力値は落ちていても、その技術は錆びずに再現性がある。
そういう世界に生きている。昨日も今日も走っていて、まだまだだな、と感じるわけです。分かった気にならないことが大事なのでしょう」
走りに対する貪欲さや探求心は以前にも増しているかもしれない。
20代の頃は、ただ前だけを見つめて走っていた。足跡にも軌跡にも、あまり興味がなかった。だから結果が出ても、自分を認められなかった。
「20歳で出場したシドニー五輪は、生活や人生を切り拓くための大会でした。2004年のアテネ五輪では日本代表になる厳しさや難しさ、その立場で檜舞台に立つ意義を知った大会。そして3回目の北京五輪で、ようやく『五輪とは?』というテーマに直面しました。
大会が終わって、たいして嬉しくなかったメダルを眺めた時に、オレはなぜ五輪を目指していたのだろう、という疑問にぶち当たりました。世の中の一般的な価値観に対して全力で向かっていったタイプだったのに、そこの意識の乖離が僕のスポーツ観の転換期にあったのかもしれません」
44歳になった今も引退しない理由とは【写真:荒川祐史】
■44歳になった今も「まだ速く走れる」から引退しない
北京五輪が終わると、3年間の休養を挟んだ後の2011年10月にレース復帰。2012年ロンドン五輪出場を目指したが、叶わなかった。
しかし、その頃には走る目的が変わっていた。結果が出なくても、必要以上に自分を責めることもしなくて済んだ。「だんだんと道が変わっていった」のである。
2015年には所属していたミズノを退社し、プロの陸上選手として活動をスタートさせた。2016年4月1日付で星槎大学の特任准教授に就任し、2018年からは走ることへの世界観を表現した「EAGLERUN」を起ち上げ、選手を続ける傍らで指導やメディア出演などの活動を行っている。
「引退」の二文字を使う予定は、今のところない。理由は至ってシンプルだ。
「まだ速く走れる。それのみです。まだ速く走れるし、速く走りたい。44歳になった自分がこれもできるようになったなと思えるのならば、やめる理由にはなりません。五輪を目指すことよりも、そう思ってグラウンドに立って100分の1秒速く走る。そうすると終わったあとに飲むビールの旨さがまったく違うわけです(笑)」
生ビールのサーバーか、缶ビールの蓋を開ける音か、どちらにしても至福の瞬間を楽しんでいる様子が目に浮かぶ。
末續が2003年に200メートルで記録した20秒03は、20年以上経った現在も日本記録として刻まれている。これ以上ないアイデンティティとも言えるが、本人にはそのつもりが一切ない。
「客観的に見て、最速と最強という称号を手に入れたのかもしれません。それがあれば生きていけるかというと、そうではない。
43歳のラストレースで出した記録は追い風参考だったけれど、来年もその記録で走れば年代別の世界記録になる。それでも、ここをこうすれば良かったなと思う自分がいる。それほど難しいことではなくて、でもずっと続けられないから人はやめていくわけです。周りからどう見られるか、外側に答えを求めてしまうのが人間だから。
僕は違います。人から与えられるものは何もほしくない。走っている自分を満たすことができれば、それでいい。メダルよりも価値のある感覚や哲学を獲得できました」
求める理想や究極の形が違うのだから、比べるべくもない。
パリ五輪にはこれからの短距離界を背負う選手たちが出場する。100メートルを9秒台で走る選手もいる。短距離界の先頭グループを形成する彼らの走りをどのように感じ、何を期待するのか。
「時代に逆行した言い方かもしれないけれど、今の選手は進化していません。進化を促したのは、僕よりも10歳年上の伊東浩司さんです。伊東さんは『膝を上げる』から『膝を上げない』に走法を変えた。みんなが向いているものを逆に促して、100メートルを10秒00で走った。まさにパラダイムシフトで、すべてをひっくり返した人です。我々は伊東さんがひっくり返したものの中に生きて、練習を重ねて、道具や情報の進化があって、今日に至る。だから進化ではなく、進歩のほうが表現としては正しいと思います」
末續が考える、陸上が人を育てること【写真:荒川祐史】
■陸上競技を突き詰めて高まる言語化能力
自分と同じ種目に臨む後輩たちの走りは楽しみにしている。ただし、あくまでも観衆として応援するのだという。
そんな陸上競技は人に何を与え、残してくれるのか。
「走るという行為はあまりにも原始的なので、わりと本質的なものや根源的なものが見えるようになります。インサイドに入っていく競技だから、物の成り立ちから見てしまう思考になるのでしょう。
例えば、本を読んでいても要点がすぐに分かる。雑多な情報の中で要点を掴む能力が高くなります。陸上競技を突き詰めると本を読めるようになるし、書けるようにもなる。走るのは原始的で動物的だから、そこを突き詰めると人間としての言語化能力が高まる。僕は文章を書くのは得意ではなかったけれど、あまりエネルギーを使わずに書けるようになってきました。これは1つの解かもしれません。
最近だと中距離の田中希実さんに注目しています。使う言葉の切れ味が鋭くて、知能が発達した人間が走っている感じです。あの親子鷹は物語が完結していないので、興味が湧きます。パリ五輪を見ながら、親子をつなぐビビットな絆について考えてみます」
末續慎吾の競技人生にゴールはない。その時々の解を求めていく探求心があるかぎり、走り続ける。
神様から授かったギフテッドがあるのだとしたら「何周も回って、僕は走ることが好き」。この一点に尽きるのだろう。
■末續 慎吾 / Shingo Suetsugu
1980年6月2日生まれ、熊本県出身。九州学院高時代から全国にその名を轟かせると、東海大在学時の2000年シドニー大会で五輪初出場。03年6月の日本選手権男子200メートルで現在も破られていない20秒03の日本記録を叩き出すと、同年8月に開催された世界陸上パリ大会の同種目で3位となり、五輪・世界陸上を通じて日本短距離界初となるメダルを獲得した。3度目の五輪となった08年北京大会では、男子4×100メートルリレーで第2走者を務めて銀メダル獲得に貢献。15年にプロ転向。44歳となった現在も現役ランナーとして競技を続けており、100メートル10秒台をキープしている現役スプリンターでもある。18年に設立した「EAGLERUN」を通じて後進の育成やスポーツの普及に努めている。(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)
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