オリンピックの今、問う「なぜ人はスポーツをするのか」 源泉にある人間の欲求とルールが生む面白さ
THE ANSWER / 2024年8月7日 16時33分
■「シン・オリンピックのミカタ」 連載「なぜ、人はスポーツをするのか」第4回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「なぜ、人はスポーツをするのか」。スポーツはなぜ世の中に必要なのか。五輪という極限の頂に辿り着いたアスリートや専門家だからこそ、導き出される“アンサー”を問う。第4回は中京大学・來田享子教授。日本オリンピック委員会理事を務め、オリンピック史やスポーツにおけるジェンダー問題を専門とする。研究者のアカデミックな観点からスポーツとオリンピックを分析し、人がスポーツをし、五輪を求めた歴史と背景を紐解いた。(取材・構成=長島 恭子)
◇ ◇ ◇
古代オリンピックが初めて開催されたのは紀元前8世紀。人間は長い歴史のなかで、人工的な場所を作り、道具を作り、クリエイティブな制約を設けながら、スポーツをする楽しみを見出してきました。
なぜ、人はスポーツをするのか?
その源泉にあるのは、「欲望を満たしたい」という人間の欲求です。
例えば誰かと競い合い、勝ちたいと思うこと。自分の体を使って、思いどおりのパフォーマンスを発揮したいと思うこと。そして、純粋に「楽しみたい」という気持ち。それらの欲望が核であることは、間違いないと考えます。
人はその「楽しみ」に、時代、時代で「意味」をつけてきたのだと思います。
古代ギリシャにおいては、オリンピックは競技会ではなく、神を崇める宗教行事としての競技祭でした。当時、人々は神に近づこうと競い合い、自分を高みに引き上げていくことに楽しみを見出しました。
近代に入ると、スポーツの在り方は二つの形で確立されます。
一つは「余暇の楽しみ」として。資本主義の発展で人々は高い生産性と成果を求められるようになります。働く時間も食事をする時間も決められた生活を送るなか、労働者は余暇を楽しみたいという欲望が生まれ、自由になる時間にスポーツを楽しむようになります。
もう一つは「軍事力の向上」です。トレーニングによって規律正しく動けるようになり、チーム一丸となって折れない精神と勇気を持って前進する。領土の獲得で対立を繰り返す欧米の列強国は、スポーツのこういった一面が自国の人間育成に役に立つと気づいた。つまり、国家に貢献できる人材教育のツールとなったのです。
そして、近代オリンピック提唱者である、ピエール・ド・クーベルタンが現れます。彼はそのどちらでもない道を、スポーツに見出します。
中京大・來田教授【写真:編集部】
■オリンピックの理念「人は互いを尊重し、人間の尊厳は守られる」
彼はスポーツを、戦いではなく相手を知るための、あるいは相手との違いを理解するための、あるいは競い合う相手を敵ではなく、自分を高めてくれる仲間として見ることの出来るツールと考えます。
競い合うなかでも人間らしさを失わず、国境を越えて人とつながることが出来る。帝国主義の時代下で彼は、人間性を高めるスポーツこそ、自国の教育改革に必要だと考えました。世界中から1か所に人が集まり、スポーツを通じて平等や公平性の意味を考えるオリンピックを構想した意味も、ここに集約されています。
この時代、国境を越えるレベルで人間性を育てようと考えたことは、非常に特殊であり、同時に大変、大事な意味を持っていたのだと思います。
私たちがずっと求めてきた人間性のベースとは、自分が自分らしくいること、つまり「自由」です。
人は常に自由を求めて戦い、社会の仕組みを作ろうとし、希望を見出してきました。
アドルフ・ヒトラーが消えた後、世界人権宣言が採択されたのも、希望の活かし方だったと思います。
また、権力者の歴史ではなく、社会史から紐解くと、酷い支配や悍ましい出来事が起こる暗黒の時代も、人間はずっと遊びが好きでした。なぜなら、自分の心が自由になる瞬間だったからだと思います。
結局のところ人間が命をかけてまで掴み取ろうとする欲望とは「自由」なんです。
オリンピックの理念に「人は互いを尊重し、人間の尊厳は守られる」というものがあります。これは、自由にとって最も大事な価値です。クーベルタンがスポーツこそ人間教育に必要だと考えたのは、恐らく、人間しか持ちえない自由や尊厳といったものをスポーツに感じたのだと思います。
さて、どんなスポーツにも「ルール」があります。ルールを守り、お互いフェアに戦う。これは、人間しかやらない競い合いです。
今よりもずっと野蛮で暴力的な時代に見える古代オリンピックでも、ちょっといい加減ではありますが、彼らなりのルールを持って競技をしていました。
子どもたちの遊びのかけっこですら「よーいどん!」と言ってスタートします。これは、一緒にスタートしようね、という意味ですから、私たちは物心ついた頃から、ルールを設けて、他者とスポーツを楽しんでいるのです。
では、ルールとは何か。それは、私たちが公正と思うことの基準です。そしてその基準を人は常に変化させながら「今」に至ります。
■クーベルタンが残した言葉に語られたスポーツの全て
クーベルタンは「力と欲望のコントロールのためにスポーツはある」と言いますが、これこそがまさに長い時間をかけて、人間がスポーツを通して育んできた欲望の抑制です。
もしも、力のあるものだけが有利になるルールを作ってきたなら、スポーツとは権力者だけが楽しめる、権力者のためだけのルールになっていたでしょう。しかし、スポーツはそうはならなかった。誰も「自分が勝てるものになればいい」とは考えず、「自分は負けるかも知れないが、やっぱりこのルールだよね」と話し合いながら作り上げてきたからです。
私は、対話の中で公正さの基準を見つけ出すという行為が、人間の持つ自由を求める気持ちや人間の尊厳を守ろうという精神の現れだと考えます。
その源泉にあるのは、自分の欲望と自由を求めた中での戦いを、楽しみたいからではないかと思うのです。そこにスポーツの希望を感じますし、すごく素敵なところだと思います。
自分に不利かもしれないルールも飲み込み、ルールと向き合いながら、勝とうとする。そして、何とか勝とうと、のたうち回る人を、誰も笑いはしない。
力と欲望のコントロールに成功することも失敗することもあります。そして、スポーツにはそのすべてが映し出されます。
だからスポーツは面白いし、そこに人間の、スポーツの持つ可能性をすごく感じます。
クーベルタンが残した言葉に、スポーツの全てが語られていると思うものがあります。
「競技は、観察、批判的思考、自制心、計算にもとづく努力、エネルギーの消費、さらには失敗に直面した際の実践哲学の種をまく。それらは若者たちにとって、避けがたく必要なものなのだ」(1919年IOC委員に宛てた書簡より)
私も学生時代は競技者でした。大した選手ではありませんでしたが、この言葉を知ったとき、スポーツを愛し、スポーツの研究者であってよかったと感じたものです。
(続く)
■來田享子 / Kyoko Raita
中京大学スポーツ科学部・大学院スポーツ科学研究科教授。博士(体育学)。日本体育・スポーツ健康学会、日本スポーツとジェンダー学会会長。日本オリンピック委員会理事、日本陸上競技連盟常務理事。神戸大卒、中京大大学院博士後期課程修了。2008年より現職。オリンピック史やスポーツにおけるジェンダー問題を専門とする。中京大学スポーツミュージアム館長。『よくわかるスポーツとジェンダー(ミネルヴァ書房)』でJSSGS学会賞受賞。国際オリンピック史家協会“Vikelas Plaque”受賞。(THE ANSWER編集部)
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