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五輪から消えた野球「裾野が小さく…」募る危機感 復活のロス五輪は「勝てばいい」じゃない日本の責務

THE ANSWER / 2024年8月9日 13時33分

無観客の開催で金メダルを獲得した野球日本代表【写真:Getty Images】

■「シン・オリンピックのミカタ」#81 東京五輪から消えた競技の今・野球

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 日本は2021年に行われた東京五輪で、27個の金メダルを獲得した。そのうちの一つが野球だ。プロ選手で構成された日本代表「侍ジャパン」は、1次リーグから5連勝で頂点に立った。ただ今大会は実施種目から外れ、2028年のロサンゼルス五輪での復活が決まっている。国内にプロ野球という大きな市場を持つ野球にとって、五輪参加にはどんな意味があるのか。東京の代表にかけた期待とは――。日本代表の強化本部長を務めた山中正竹氏(全日本野球協会会長)に聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太)

 ◇ ◇ ◇

「東京五輪に参加したあのチームの素晴らしさを、どうしても伝えきれない部分があった。それは本当に残念に思っています」

 山中氏に、東京五輪が野球界に残した“レガシー”を聞くと、何とも無念そうな答えが返ってくる。新型コロナ禍の最中に、1年延期して行われた異例の大会。それでもスタンドに観客を入れることは叶わなかった。

「テレビ中継やいろいろなインタビューで、その瞬間は感動してもらうことはできたかもしれない。でも実感がどうしても伴わないんですよ。現地で見た人がいないのだから。もし観客の前で行われていたら、昨年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)くらいの盛り上がりがあったと思います。五輪における野球の存在を間違いなく示せたはずだとね」

 金メダルを獲得した選手にも、どこかで「喜んでいいのかな?」という葛藤が見えたという。

「本当に五輪をやっていていいんだろうか? という思いが、みんなの心の中にあったのではないかな。だから喜びも多少抑えながらね。僕らから見たら、痛々しいくらい周囲に配慮して。それが、あの“侍”たちの人間性でもあった。さすがだなとは思いますけどね……」

 スポーツは社会情勢と無縁ではいられない。そんな当たり前のことを感じさせられた大会でもあった。


東京五輪の代表にかけた思いを語る山中氏【写真:羽鳥慶太】

■五輪に野球がなかった13年間「話題に入っていけないんです」

 野球界としては、東京で五輪が行われること、そこに野球が加わり、代表が勝ち進むことに大きな期待をかけていた。代表の稲葉篤紀監督(現・日本ハム2軍監督)が繰り返していたような、最後に正式種目だった2008年の北京大会でメダルなしと惨敗した悔しさを晴らすためだけではない。切羽詰まった事情があった。

 日本の野球人口は、北京大会のころがピークだった。例えば日本高野連が公開している登録部員数は、この年16万9298人。翌年には五輪効果もあったのか微増している。2016年ごろまでは17万人に迫る数字をキープしたものの、その後急落して2024年は12万7031人にまで減った。それ以上に、子どもたちの野球離れが叫ばれるようになって久しい。

「お金がかかる、場所がない、試合が長い、丸刈りにしないといけない、指導者が怖いとか……。野球のイメージそのものが悪くなっていた」。それを回復させるために、五輪野球があればと何度も思ったという。

「五輪での『柔道が、水泳が』という話題に、野球は入っていけないんですよ。昔は年末になれば、テレビ番組でプロ野球選手と力士が歌っていた。でも今はそうじゃない。スポーツの多様化はいいことだと思います。でも4年に1回の盛り上がりに入れないと、競技のすそ野が小さくなっていく。数が減ればいずれ質も落ちる。あれくらい俺でもできるというプロになってしまったら、魅力はないんです」

 野球離れの対策として、プロアマ含めれば全国で年間6000件近い野球教室が行われている。それでも、五輪という“祭典”の影響力にはかなわない。

「野球が北京大会の後、東京まで行われなかった。13年かかりました。10歳の子が、23歳になるまでオリンピックの野球を知らないわけです」。特に痛かったのは、母親に野球の魅力が届く機会がなかったこと。野球界から突き抜け、一般社会にまで広がる影響力は五輪しか持ちえない。


自身が率いたバルセロナ五輪当時のユニホームを前にした山中氏【写真:羽鳥慶太】

■“新たな野球界”の象徴だった東京五輪の侍たち

 東京五輪の日本代表は、期待に十分に応えてくれた。

「私は“品・知・技”が強いチームには必要だとよく言います。品性、知識、技術です。そのどれをとっても、東京五輪の日本代表は昨年のWBCのメンバーに劣っていなかったと思います。彼らの発言のひとつひとつが、じつにスポーツマンらしいものだった」。稲葉監督も、まず選手の話を聞いてから物事を進める“共感力”を武器に新たな指揮官像を発信していった。新しい野球界の象徴ともいえるチームだっただけに、大会が無観客となった無念も大きい。

 野球のイメージが悪くなった理由の一つが、日本では野球の「勝たなくてはならない」という側面が強くなりすぎたためだという。「勝ちさえすればいいとなって、それがしかも強かったんですね。本当のスポーツマンシップが失われてしまった。国際大会で審判からひんしゅくを買い、警告まで受けるようになってしまった」。1992年のバルセロナ五輪代表監督をはじめ、五輪野球に長く関わってきた山中さんには、世界からの視点がどうしても気になった。

 その反省をもとに、全日本野球協会の会長になってから続けているのが、スポーツマンシップとは何かという講義を指導者研修で必修としたことだ。「私も目からうろこでしたし、恥ずかしかったですよ。戦う前にまずスポーツマンじゃないといけない」。相手を尊重し、フェアに戦うこと。その究極の場が五輪でもあるのだ。

 野球は前回、1984年に行われたロサンゼルス大会でも公開競技として行われた、予選で出場権を得られなかった日本は、キューバが政治的理由で参加をボイコットしたために繰り上がりで本戦出場を果たし、金メダルに輝いた。山中さんは「日本の他の競技が振るわなかったのもあって、俄然注目を集めましたね。あとドジャースタジアムがいっぱいになったのは、IOC(国際オリンピック委員会)に強烈なインパクトを与えたんです」と当時を振り返る。

 そして2028年、再び行われるロサンゼルス五輪で復活する野球には、ドジャースの大谷翔平投手が参加を熱望するなど、ついにメジャーリーグの選手が参加するのではないかという議論もある。メジャーリーグ労使の話し合いなど壁はあるが、叶ったときの影響力は過去の五輪の比ではない。そこで日本代表に求められるのは当然「勝てばいい」ではない。山中氏は言う。

「日本の野球が強ければいい、じゃないんです。世界の野球人口を増やす上で、一番影響力が大きいのがオリンピック。野球大国を自任していても、五輪種目かどうかで正直かけられるお金が全然違う。日本以外の国では、もっと極端です。僕は野球とは“人生を豊かにする最高級の遊び”だと思うんだけど、そんな誇れるスポーツが、世界にもっと広がる機会になってもらいたいですね」

(次回は空手)(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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