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決勝で敗れて表彰式欠席…「金メダル以外は負け」日本人の意識変えた特別な五輪、今は“色”だけではない

THE ANSWER / 2024年8月9日 19時5分

レスリング女子フリースタイル50キロ級で銅メダルを獲得した須崎優衣【写真:ロイター】

■「シン・オリンピックのミカタ」#82 連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」第16回

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 今回は連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」。スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和と、五輪を含めスポーツを40年追い続けた「OGGI」こと荻島弘一氏が“沼”のように深いオリンピックの魅力を独自の視点で連日発信する。

 ◇ ◇ ◇

「銅メダルは金メダルと同じ、銀メダルは金メダルより良い」。そう言われることがある。銀の作りは「艮」で「良」ではないけれど、古代では銀の方が価値があったとされるから、あながち間違いではない気もする。そして、最近はそう思うことも少なくない。

 今大会。日本は大会14日目を終えて金メダル13、銀メダル7、銅メダル13個を獲得している。競技初日からは毎日メダルを獲得。「今日もメダルラッシュ」のニュースが続いている。世界選手権で何度も優勝している選手もいるし、世界ランクトップもいる。それでも「五輪のメダル」は特別。3位以内、表彰台が特に視線が集まる。

 かつて、金メダル以外は「負け」だった。日本が初めて五輪のメダルを獲得したのは104年前、1920年アントワープ大会テニス男子シングルスの熊谷一弥の銀メダルだった。表彰式を欠席するほど決勝で敗れたショックは大きく、32年発刊の日本テニス協会10年史にも「その夜ほど悲憤の涙にくれたことはない」と書き残している。

 100年前、パリ大会で日本人として初めて銅メダルを手にしたレスリングの内藤克稔も負傷のために優勝を逃したことを生涯恥じていたという。決して昔話ではない。柔道やレスリングなど日本が得意とする競技では「金メダル以外は負け」が残るし、近年まで選手団本隊の帰国便では金メダリストが降りるまで他選手は機内待機だった。

 メディアの扱いも同じだ。数十年前までは「銀メダルは負け」「銅メダルじゃ記事にならない」などと言われた。今ほどメダルを量産していないにもかかわらずだ。それが、少しずつ変わった。今、「金でなければ負け」と言ったら時代錯誤に思われるだろうし「銅じゃ記事にならない」などと言うと炎上しそうだ。少しずつ社会の価値観が変わり、日本人の意識が変わった。ということかもしれない。

■明らかにメダルへの意識が変わったのはロンドン大会

 明らかにメダルへの意識が変わったのは、12年ロンドン大会だったように思う。日本選手団の目標は「金メダル15個」。ところが。柔道の不振もあって目標達成は大ピンチ。当時全日本柔道連盟会長で、日本選手団の団長を務めていた上村春樹氏は恒例の選手団中間報告会見を前に頭をかかえていたという。

 この大会の日本選手団には使命があった。東日本大震災の被災者を励まし、復興を後押しすること、20年東京への五輪招致ムードを高めること。そのために「元気がない日本」は許されない。そこで、上村団長は「金メダル数」を捨てて、大きく方針を変更した。

 中間報告のテーマは「メダル総数」。銀と銅を含めて「過去最多のメダル獲得ペース」を強調した。選手団本部員のアドバイスによるものと言われるが、これが大成功。金メダル数は目標の半数にも届かない7個だったが、メダル数は史上最多の38個に達した。

 国内では「五輪パレード」の準備が進んでいた。大きな目的は、東京五輪招致の機運を高めること。メダリストの銀座パレードには50万人が集まり、五輪ムードに沸いた。「金メダル」から「メダル」への方針変更で、ロンドン五輪は多くの人の心に残る大会になった。

 競泳松田丈志の「(北島)康介さんを手ぶらで帰すわけには」も効いた。「手ぶらで」は多くの選手に影響を与え、今大会でも「手ぶらで帰れない」とメダルを喜ぶ選手がいた。銀メダルも、銅メダルも、時には金以上の輝きを放つ。「金メダル至上主義」では許されなかったことが、今のスポーツ界では常識になっている。

 レスリングの須崎優衣は素晴らしかった。国内大会では苦しんだこともある須崎だが、世界大会では年代別も含め手にしたメダルはすべて金。それでも、初めての敗戦から立ち直って手にした銅メダルには価値がある。金メダルに囲まれても、輝きでは負けないはずだ。

 家族や応援している人、支える人たち、そしてファンが求めているのは、メダルの色だけではない。(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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