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人と殴り合うスポーツが人を育てること 痛みを知り「脳汁ドバドバ」の世界で悟った己のスケール――ボクシング・入江聖奈

THE ANSWER / 2024年8月10日 10時34分

人と殴り合う世界に生きた入江聖奈が思うボクシングが人を育てること【写真:Getty Images】

■「シン・オリンピックのミカタ」#84 連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」第10回

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 今回は連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、少子化が進む中で求められるスポーツ普及を考え、それぞれ打ち込んできた競技が教育や人格形成においてもたらすものを語る。実力はもちろんのこと、運もついてこなければ金メダルまではなかなか届かない。2021年の東京オリンピック、ボクシング女子フェザー級で金メダルを獲得した入江聖奈は「このときは勝負の神様に好いてもらった」と言う。(取材・文=二宮 寿朗)

 ◇ ◇ ◇

「オリンピックに出てくる選手なんてみんな努力しているので、“どれだけ努力したか合戦”じゃないんです。そうなると、もう最後は運だよねって思って。ゲン担ぎとしていて(大会の)3日前から、きちんと靴を揃えるとか、誰かが落としたゴミを拾うとか、当たり前のこととはいえ、やれることはすべてやってみました。なにせ3日前なので、勝負の神様もそんなもので情が動くとは思えなかったですけど」

 2021年の東京オリンピックにおける入江聖奈の目標は「3位以内に入って絶対にメダルを獲る」だった。これまで2018年の世界ユース選手権で銅メダル、翌年の世界選手権でベスト8に進出するなど実績はあったものの、メダルが近づくかそれとも遠くなるかは組み合わせ次第だとも正直考えていた。

「最大のライバルと思っていた選手と決勝まで当たらないことが分かって『おー、神様が味方してくれている』っていうのが20%くらいありました。そうしたらその選手が初戦で負けたので、自信バロメーターがグイグイと上がってきて、もしかしたらワンチャンあるんじゃないかって」
 
 運にすがっていたのではない。
 
 どこかそうやって気持ちを逃がしておかないと、プレッシャーをガッツリと受け止めてしまう。“勝負の神様”にほんの少し気持ちを向けることが、落ち着かせることにもなった。

「(大会に入って)メチャメチャ緊張していました。ご飯もなかなか喉を通らなかったくらい。緊張しすぎるのがあまりに嫌で、パリオリンピックを目指さなかったところもあります。重圧を勝手に感じていましたね。

 新型コロナウイルスの問題で東京オリンピックが中止か、開催かという議論になったじゃないですか。あのときの私は、中止になればいいのにと思っていたんです。メダルを獲れなかった場合のことを考えたら、もう嫌すぎて。だったらいっそのこと、大会がなくなってしまったら気が楽なのにな、と」


試合に勝ったときは「脳汁がドバドバ出るんですよ(笑)」【写真:松橋晶子】

■試合に勝ったときは「脳汁がドバドバ出るんですよ(笑)」

 ずっとプレッシャーと戦って、ようやくここまでたどり着いた。

 ストレスにならないほどのちょっとしたゲン担ぎ。ボクシング会場に移動する選手バスで対戦相手が足を伸ばして座っているのを目にしたら、逆に自分は姿勢良くしてみた。些細なことが勝負を分けるのだと、肝に銘じた。

 その意識の効果もあってか準々決勝、準決勝と接戦をものにして銅メダル以上を確定させ、思いもしなかった決勝の舞台へ。相手は先の世界選手権で負けているとはいえ、アジア・オセアニア予選で勝利しているフィリピンのネスティ・ペテシオだった。

 試合続きで筋肉痛や首のむち打ち症状もあり、体が思うように動かない感覚もあった。それでも「なんだかいけそうな予感があった」という。

「私の苦手なタイプじゃないし、相性も良かったので。それに加えてペテシオさん、予選のときはギンギラギンの怖いくらいの目つきをしていたんですけど、このときは優しい目をしていたように見えました。これ、ひょっとしたら(メダルを確定させて)満足しているんじゃないかって。

 1ラウンドはポイントを取ったんですけど、このままいけば金メダルと思って戦うと2ラウンドは逆にポイントを取られてしまった。残り1ラウンドで金か銀か決まるので、嫌だなあって思いながらコーナーを出ていったんです。1、2ラウンドとも取っていたら最後は楽しめたんでしょうけど、最後まで楽しめませんでしたね」

 目のエピソードは、相手をつぶさに冷静に観察していたことをあらわしている。緊張のなかにも落ち着きがあった。持ち味の左ジャブを主体にしたボクシングで判定勝利を収めて、良くて銅と思っていたメダルの色は光り輝く金まで届いた。勝負の神様からの微笑みに、ようやくスマイルが弾けた。

 ボクシングを愛し、ボクシングからも愛された。
 
 小学2年生でボクシングを始め、地元である鳥取・米子にある「シュガーナックルボクシングジム」でサンドバッグを叩き続けた。中学時代は陸上競技にも取り組んだが、自分のなかではハマらなかった。

「陸上では私の考える力が足りていなくて、楽しさを見出せなかったんです。でもボクシングは自分の頭のなかでイメージした動きがそのままできるとか、駆け引きで優位に立てたときとか、それこそ左ジャブが百発百中で当たるとか、その瞬間がメチャメチャ楽しい。減量もあるし、殴られるし、普段の練習だって地味だし、派手じゃない。だけど、コツが分かってくるともっともっと楽しくなってくるんですよね。私は10何年掛かってしまいましたけど、5年くらいで分かっていたらもっと楽しかったんだろうなあって。それに試合に勝ったときはその場を独り占めできて、拍手喝采を受けて主役になれるので、脳汁がドバドバ出るんですよ(笑)」


「痛みを直に感じられるのがボクシングがいいところ」と語る【写真:松橋晶子】

■ボクシングが人を育てること、入江が悟らせてくれた「自分のスケール」

 痛いけど、苦しいけど、とにかく楽しかった。

 脳汁がドバドバ出る瞬間が、とにかくたまらなかった。

 ボクシングは人をどう育てるか――。

 その問いに対しても、真摯に取り組んできた入江のアンサーは実に明快だった。

「ボクシングで大事なのは、殴られる痛みがわかることだと感じています。もちろん自分も殴ってしまうんですけど競技の特性上、殴られないってことはない。痛みというものを直に感じられるのがボクシングのいいところなんじゃないかなと思います。

 もっと言うなら、ボクシングは誰にでも可能性があるんです。足が速くなくても、運動が苦手でも、背が高くなくても、戦い方次第では勝つことができる。それこそがボクシングの素敵なところじゃないですかね」

 入江は頷くようにして言った。

 競技生活から離れて東京農工大学大学院でカエルの研究に明け暮れる今、彼女にとってボクシングはどんな存在だったかを最後に尋ねた。

「自分のスケールを悟らせてくれた存在かなっていうのは凄く感じています。センスもない、不器用でパンチ力もないって劣等感に苛まれてきたなかで、できることとできないこと、やりたくてもやれないこと、そういったものを理解しながら自分のスケールに照らし合わせながらやっていきました。その過程において国際大会でメダルを獲ったり、それこそ東京オリンピックで金メダルを獲ったり、嬉しい結果を残すことができたのは自分にとって大きなものになったのかなって感じます」
 
 スケールの大小の問題ではなく、客観的に己を見つめていくことで、自分の“規模”を理解できたということ。自分が見えているから今、何ができるか、勝つために何ができるかを判断できる。
 
 運があっても、つかめなかったら意味がない。
 
 ボクシングに対する真摯な姿勢が、勝負の神様を振り向かせたことは言うまでもない。(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)

二宮 寿朗
1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)などがある。

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