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五輪から消えた空手「やっぱり出たかった、パリに」 最初で最後かも…覚悟して掴んだメダルと競技の未来

THE ANSWER / 2024年8月10日 19時33分

都市対抗野球でダイヤモンドサポーターを務めた清水希容さん、今も五輪に対する思いは消えない【写真:羽鳥慶太】

■「シン・オリンピックのミカタ」#88 東京五輪から消えた競技の今・空手

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 五輪で行われる競技は、大会ごとに入れ替わる。今大会はブレイキンが新たに加わる一方で、2021年東京大会で行われた野球・ソフトボール、空手が外れた。いずれも日本にゆかりが深い種目だ。コロナ禍の中行われた大会で、それぞれの種目にはどんな“五輪効果”があったのか。そして実施競技を外れたデメリットは――。空手女子形で銀メダルを獲得した清水希容さんは「やっぱり出たかった。パリに」と、今も抱え続ける思いを吐露する。さらに競技の未来への思いを聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太)

 ◇ ◇ ◇

 清水さんは今年5月をもって競技生活から退き、現在はミキハウスに所属したまま、テレビのニュース番組にも出演するなど今後の活動を模索している。そしてパリ五輪の開幕を間近に控えた7月21日、その姿は東京ドームにあった。

 ミキハウスの野球部が、社会人野球の頂点を争う都市対抗野球に出場。道着姿で始球式を務めたのち、ユニホームをまとってベンチ入りし「ダイヤモンドサポーター」として、仲間に声援を送ったのだ。空手という個人種目で世界の頂点を争った清水さんに、仲間とプッシュし合いながらチームの勝利を目指す野球は新鮮に映るようだ。

「私はふだん、チームで応援してやっていくという空気感で試合をしていないので……。“孤独”ってよく言われるんですけど、一人で黙々と稽古をするんです。なのでここというときのメンバーの声であるとか、みんなでつなげていく気持ちっていいなあと。普段の練習の雰囲気も試合ににじみ出ますよね。いいチームだなあと思って見ていました」

 清水さんは9歳から空手を始め、競技歴21年。取り組んできた「形」は、仮想敵に対する攻撃技と防御技を一連の流れとして組み合わせた演武で、ひたすら己の技を磨きあげる種目だ。そしてこの種目で、世界空手道選手権大会を2014、2016年と連覇。 全日本空手道選手権大会では2013年から2019年まで実に7連覇した第一人者だ。


「世界一美しい形」と評され、東京五輪で銀メダルを獲得した清水さん【写真:Getty Images】

■「歴史上最初で最後になるかもしれない」覚悟で立った東京大会

 空手がオリンピックの実施種目に入ったのは、東京大会が初めて。空手界にとっては画期的なできごとだった。一方で、大会前の2019年5月には、パリ大会で行われないことも決まっていた。東京大会での清水さんは、覚悟を決めて帯を締めた。その結果つかんだ銀メダルだった。

「競技が(2028年の)ロスで行われるかもわからなくて……。後も先もない状況で、歴史上最初で最後になるかもしれない。次を目指したくても目指せないという試合でした。負けて悔しいという気持ちは今でも変わらない。消化できていないんですね」

 だから、思いをストレートに言葉に乗せる。「やっぱり、出たかった。パリに。種目に残って出たかったのが一番です。東京オリンピックが終わった時から『パリ行きたかったー』って、先生と言っていたので」

「世界一美しい形」と評された清水さんにとっても、オリンピックの舞台は特別だった。「オリンピックから得たものは競技人生で一番大きかった。勝ち負けだけではない、皆さんからの声援であったり、自分の形を見て競技を始めたと言ってくださったりとか」。特に身の周りで聞く「空手を始めたんです」という声が何よりうれしかった。

「大会が終わって、そういう声がすごく届いたんです。お子さんだけでなく、ご両親も、私と同じような年齢の方たちからも。あと、空手を少し知ってもらえた。今までは種目に「組手」と「形」があるということも知られていなかったと思うんです。でもオリンピックがあったことでそれを知ってもらえて……。出られてよかった。印象として残すことはできたので良かったと思います」

 ただ、清水さんのそうした思いとは異なる方向に現実は動いた。2023年には、空手が2028年のロサンゼルス大会でも行われないと決まった。「ロスも外れてしまって、その次続くかってなると……。経験してみると、あの舞台は他の大会とは比にならないくらい素晴らしい舞台。最高峰なんですよ。言葉どうこうじゃなくて、空気感やそこにかける思いが集結するんです」。特に、東京大会をきっかけに空手を始めた子どもたちの言葉が、心に突き刺さるという。

「お子さんたちからも聞こえてくるんです。『私もオリンピックを目指します』という声が。本当に多いんですよ。子どもたちは行われなくなることまで知らないじゃないですか。そこで『頑張ってね』としか言えないのがもどかしくて」


コロナ禍で行われた東京五輪、表彰式もマスクをつけて登壇するなど異例の形式だった【写真:Getty Images】

■身をもって知った代表選考のつらさ「生命体としても…」

 オリンピックでは鬼気迫る表情で拳を突き出し、世界中の注目を集めた。一方で柔和な表情を見せる今も、空手にかかわり続けたいという思いは強い。後に続く選手がいつか、自分と同じオリンピックの舞台に立つことを夢見ている清水さん。そのためにどう動いていこうとしているのか。

「まずは実施競技に戻ってほしいと思うばかりなんですが、それに加えて私は競技を離れたので、普及活動だったり、海外に空手を伝えに行くことも考えています。広げていって周知するしかない。自分は知ってもらう活動をするのが大事なのかな」

 一方で、パリで戦っている他種目の選手たちにも、あの舞台を経験したからこその視線を向ける。

「東京が1年遅れの開催になって、パリまでは3年間しかなかった。選考レースって本当に大変なんですよ。自分も身をもって経験して……。オリンピック後なんて、なかなか回復してこない。1年半ぐらい、自分ではやる気があるのに力が出なかった。オリンピックに全てのエネルギーをかけたので、また“貯まる”のに生命体としても時間がかかるんです。今の選手は3年間、休みがない中で選考レースが始まって、本当に酷だったろうなと思います」。すべての選手の集大成になってほしいという気持ちで、パリ大会を追いたいという。

 思い返しても、東京オリンピックは本当に特殊な大会だった。新型コロナ禍の最中に行われ、スタンドに観客の姿はなし。観戦が広がっては大会自体が成り立たなくなってしまうという競技外でのプレッシャーも、選手たちにのしかかった。

「外に出ちゃいけないというルールがあったので。基本的にみんな部屋にこもっていました。1人かかったら終わりになってしまう緊張感がすごくて……。だから“普通の”オリンピックを経験できなかったのはちょっと悔しいですね」

 お祭り感を取り戻したオリンピックに、空手が戻る日を目指して――。清水さんと競技との関わりは、これからも続いていく。(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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