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「人間は罪とともに生きている」 金メダル→世界一と歩み、「人間の弱さ」を悟った人生とスポーツの哲学――ボクシング・村田諒太

THE ANSWER / 2024年8月11日 18時13分

2022年4月のゲンナジー・ゴロフキン戦で打ち合う村田諒太氏(右)【写真:産経新聞社】

■「シン・オリンピックのミカタ」#100 連載「なぜ、人はスポーツをするのか」第5回

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 今回は連載「なぜ、人はスポーツをするのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、なぜスポーツは社会に必要なのか、スポーツは人をどう幸せにするのか、根源的価値を問う。第5回は2012年ロンドン五輪のボクシングミドル級金メダリストで、プロでも世界ミドル級王者になった村田諒太氏。強さを証明したくて始めたボクシングを通じ、「人間とは何か」を悟った38歳の考えとは。(取材・構成=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 ◇ ◇ ◇

 スポーツ自体に意義を見出すのは難しい。だって、アスリートはチヤホヤされるから。今の時代はそこに価値がつけられますよね。価値は自分が決めるものではなく、周りが決めるもの。自分がいくら価値があると思っても、周りに価値がないと思われることもある。自分で価値があると思えるものの中で生きていけるのは幸せですし、自分がつくる価値の方が大事だと思います。

 だから、無理に価値をつけようと思う必要はない。スポーツ自体に価値なんてないのだから。あるとしたら、それ自体を楽しむことでしょう。そこに大人が勝手に価値をつけ、お金が生まれるというだけの話。はっきり言うと、今のスポーツ界で周りがつける価値はお金と栄誉です。でも、それは別に悪いことではありません。

 お金にならない競技でも、誰かに求められれば栄誉が得られます。競技自体が単純に楽しいのなら、それは至福の喜び。でも、なかなかその領域にたどり着くのは難しい。結局は認められることが目的になってしまうから。

 他者と競い合うことで自分を高めていけるのはいいことだと思いますが、何をもって高めていると言えるのでしょうか。結局、人と比べて「自分の方が凄い」という優越心を得るだけだとしたら、それって必要なのかな。だから、スポーツは娯楽に過ぎない。スポーツが栄えてきた国は食うに困らなくなった国。暇だからスポーツができます。

 余暇の中でいろいろな選択肢があり、なぜスポーツを選ぶのか。テレビに出て「なんかカッコいい」「なんとなく楽しそう」「女の子にモテる」とか、子どもが選ぶ理由は些細なことだと思います。

 僕がボクシングを始めたきっかけは、中学2年の時。喧嘩に勝ったのに、次の日に学校に行ったら自分が負けたことにされていた。噂話に腹が立って「俺が一番強いところ見せたるわ」と思ったからです。

 強いか弱いかわからないのに、集団になって強ぶっている奴が大嫌いでした。集団になって強くなった気になっている先輩に「一人やったらほんまに強いんか?」と。それはいまだに変わらない。最初は、僕にとってスポーツはそんなもんでした。


THE ANSWERのインタビューに応じた村田氏【写真:浜田洋平】

■ボクシングは「人間」を知るための旅だった

 続けたのは面白かったから。強さを見せることで仲間ができていく。子どもの頃って、それが仲間を得るためのツールなわけです。強さを見せたい=仲間が欲しいという気持ち。仲間ができ、自分の技術が上がっていく。プロテストを受ける選手とスパーリングをして、中学生の僕の方が良かった。自己成長の喜びを感じられた。途中から強さを見せたいというより、ボクシング自体が楽しくなっていきました。

 なぜ、仲間が欲しかったのか。人間の本能だと思います。人間は集団をつくることによって生き延びてきた。1対1なら熊にも、犬にすらも勝てない。だから、人間はどうしても仲間が欲しくなる。数千年したらAIやロボットがもっと発達して、「仲間なんかいらん。個人で生きていけるわ」と変わるかもしれない。ただ、いまだにその遺伝子は僕らにインプットされていないですよね。

 ボクシングは紀元前の古代オリンピックから行われている。種として誰が強いのか、群れの中で誰が優秀なのか、誰とやったら自分たちが凄いと見せられるのか。みんな、それを考えるのでしょう。そういう根源的な欲求をわかりやすく満たしてくれるのだと思います。

 今の時代、発言やSNSでマウントを取りたがる人がいる。これも間違いなく根源的な欲求、競争意識があるのだと思います。

 スポーツで一つの目的を叶えるために協力し合う、そういう力を身につける場としてはいいと思います。ただ、何かを成し遂げることが人生の目的なのか。そもそも人生で何かを成し遂げる必要なんてあるのか。喜んで楽しんで日々を過ごせば、本当はそれだけで十分。僕の子どもにはどんな状況でも喜んで、楽しんで、毎日を過ごしてくれたらそれでいいと思います。

 スポーツは喜び、楽しむためのツールでしょう。スポーツだって、仕事だって、人生だって、それが重荷になってしまったらまた違ってくる。かといって、そのちょっとした負荷がある方が、達成できた時の楽しみが増えるのも事実。ドラマのようにメリハリがつく。でも、そんなもん。スポーツなんて。

 ボクシングをやっていない人からすると、「なぜ、やるのか」と思う人もいます。危ないし、怖いし、死の危険性もある。不良少年・諒太くんからしたら、単純にカッコよく映っただけでしょうね。初めはその世界にリアルがあると勘違いしたのでしょう。五輪で金メダルを獲り、プロでも世界王者になりました。

 でも、どこまで行ってもリアルなんてなかった。所詮は他人がつくる価値。

 じゃあ、やらなかったらよかったのかというと、そんなことはありません。もちろん、やっていてよかったと思います。子どももいるし、食うにも困らないだけ稼ぐことができました。友だちもでき、いろんな経験もさせてもらえた。

 だから、スポーツ自体が目的ではない。スポーツを通じて何かを得ることが目的であって、スポーツなんていうのはただのツール。人生を彩るため、何かを得るためのツールとしての選択肢の一つにスポーツがあってもいい。それ以上でも以下でもない。

 ボクシングを通じて自分が強いと証明したかったし、自分自身にも強さを証明したかった。でも、最終的には自分がどれだけ弱いのか、それをただただ垣間見た。人を殴ること、困難に耐える心が強くなったかもしれないけど、そういうものを求めれば求めるほど、人間として自分がいかに弱いかを知った。

 そこに強さはない。今になると、ボクシングは「人間」を知るための旅だったのかなと思います。

■醜さ、美しさを抱えながら生きていく その葛藤が結局は人生

 自分が一番強いと思ってもらえない限り、自分に価値があると思えない。自分という存在を認められない自分の弱さ、人間の弱さ。それを常に感じていたし、いまだに感じます。自分が強いと思っていた、思いたかった。だけど、実は違った。

 自分がいかに弱くて、汚くて、醜くて、ダメなのか。それは人間誰しもが持っているもの。ボクシングは自分の弱さを知っていくためだけの旅だった。

 いい時間を経験してきたけど、人間として本質的な差はあるのか。自分が特別なことをした、努力家だ、こういうことを言った、得るべくして得た、そういう勘違いを起こしてしまう。人間はすでに何かを得たかのように振る舞い、みんなの前で「俺はこんなに活躍している。凄いだろう。俺ってイケてるだろう」と見せたがる。

 僕はそこに価値があるとは思わない。人間として汚く、未熟で、弱いところが自分にはいっぱいある。

 かといって、自分が特別汚いのかというとそんなことはない。みんな同じようなもの。中学生の時に自分は特別だと思って、自分が強いと見せたくて始めたことだった。だけど、結果として知ったのは、自分は変わらないということ。根源的なところでは、人間に大して差はない。自分は罪とともに生きている人間だなって。それが唯一得られたものです。

 全てのうちの一部でしかないことを知る。かといって、それだけで割り切って生きていくかというと、そうでもない。常に葛藤して、醜さ、ある意味では美しさ、そういうものをずっと抱えながら生きていく。その葛藤が結局は人生なのでしょう。

 他人の痛み、弱さを知ったとも言えるかな。ボクシングを通じて自分は大したことがないと知り、自分の優越心みたいなものは取れたと思います。考えていることなんて大して変わらない。だって、同じような形で生まれ、同じような社会に生まれているんですから。同じように食欲、睡眠欲、金銭欲があって、人間にインプットされたものはそんなに変わらない。

 だから、スポーツに大した意味はない。後から意味づけし、価値をつけているだけだと思います。目標に向けて一生懸命やり、何かを得て、仲間ができて楽しかった。それは勉強でも何でもいい。別にスポーツは特別じゃない。所詮はツールの一つです。

 最後の試合からまだ2年4か月。ボクシングを通じて知ったことが、引退後の人生に生きるかどうかわかりません。まだこれからだと思います。自分の経験を伝えていけることがあれば、それはそれでいいこと。その中で「ボクシングをやっていてよかった」と言えるんじゃないかな。

■村田 諒太 / Ryota Murata

 1986年1月12日、奈良市生まれ。38歳。中学2年でボクシングを始め、アマチュア時代に南京都高(現・京都廣学館高)で高校5冠。東洋大、同大学職員で全日本選手権5度優勝。2011年世界選手権で日本勢史上最高の銀メダル。12年ロンドン五輪ミドル級で日本勢48年ぶりの金メダル。13年8月にプロデビューし、17年10月にWBA世界ミドル級王座を奪取。五輪金メダルとプロで世界王者になったのは日本人唯一。18年4月にミドル級では日本人初の防衛成功。同10月のV2戦で王座陥落したが、19年7月に奪還。22年4月のゲンナジー・ゴロフキン戦を最後に引退。身長183センチ。家族は妻、長男、長女。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)

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