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渦巻く批判「他国の出場枠を利用した」 国籍変更、内定取消…ビリから2番目の42.195kmの先に響いたカンボジアコール――マラソン・猫ひろし

THE ANSWER / 2024年8月12日 8時13分

バッシングに晒されながら挑戦したリオ五輪で完走する猫ひろし【写真:Getty Images】

■「シン・オリンピックのミカタ」#103 連載「あのオリンピック選手は今」第8回・前編

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 五輪はこれまで数々の名場面を生んできた。日本人の記憶に今も深く刻まれるメダル獲得の瞬間や名言の主人公となったアスリートたちは、その後どのようなキャリアを歩んできたのか。連載「あのオリンピック選手は今」第8回はマラソン・猫ひろしが登場する。

 あの「カンボジアコール」は忘れない――。2016年のリオデジャネイロオリンピック。一人のお笑い芸人が日本から国籍を変更してカンボジア代表として男子マラソンに出場し、完走した後に思いがけない光景が広がった。一時はバッシングにさらされたこともあったものの、「オリンピックに挑戦して良かった」と心から思えたという。今もカンボジア人ランナーとして走り続ける猫ひろしが、リオでの激走とオリンピックの思い出を振り返る。(前後編の前編、取材・文=二宮 寿朗)

 ◇ ◇ ◇

 オリンピックは、普段のレースとは雰囲気も緊張感もまるで違っていた。

 リオデジャネイロ大会最終日となる2016年8月21日、男子マラソンは雨のなか午前9時30分に号砲が鳴った。カンボジア代表の猫ひろしはいつものように両手で猫のポーズをつくって「ニャー」と一声挙げて駆け出したものの、周りの迫力あるスタートダッシュに思わず物怖じしそうになった。

「メダル候補以外の選手は早いもの順なので1列目の中央に陣取ることができたんです。これならカメラにも映るかと思って。でもみんな興奮しているのか前に詰めすぎて、もうギュウギュウで。後ろにいた北朝鮮の選手が苦しそうにしていて、選手村でも知っているから目配せして横に入れてあげようかと思ったら、何も言わずに僕の前に入ってきたんですよ。周りも闘争心というか、これがオリンピックなのかって思いましたね。

 最初の100メートル、ダッシュして一番取ってやろうって考えたんです。それでも2列目から一気に6列目くらいに落ちちゃって、みんな恐ろしく速いなって、サーッと血の気が引いていくような感じがありました」

 当時の自己ベストは2時間27分48秒(2015年の東京マラソン)。リオでも2時間30分台で走ることができれば目標とする100位が見えてくると考えていた。

 しかしながら――。

 ハプニングとアクシデントが次々に襲い掛かる。給水ポイントにある自分のスペシャルドリンクが他のランナーに間違って取られてしまい、次は足にマメができて思うように走れない。これまでいくら走ってもできなかったマメが、まさかこの大一番で出てくるとは夢にも思わなかった。段々と猫に余裕がなくなっていく。

「マメは雨で靴が重くなっていたせいもあると思うんです。痛くてたまらなかったので逆につぶしたほうがいいかなって思って、強く踏み込んでわざとつぶしましたね。雨が上がったら今度は暑くてたまらなくて。(自分の)ペースがどうとかそんなこと考えられなくなっていました」

 過酷なレースコンディションとあって座り込んでリタイアするランナーもいた。周回コースのため、「自分がビリ」だと知った。それでも歯を食いしばり、マメをつぶした足を前に進めた。完走しないわけにはいかなかった。自分が国籍を変えてオリンピックに出場したことで、カンボジアからオリンピックに出られなかった選手もいるんだ――。何度もその言葉を胸のなかでリピートして、萎えそうになる気持ちを奮い立たせた。距離はもう30キロを過ぎていた――。


「猫ひろしがカンボジアの出場枠を利用した」と世間に叩かれた【写真:鈴木大喜】

■国籍変更、代表内定で晒された批判「カンボジアの出場枠を猫ひろしが利用した」

 イバラの道だった。

 テレビの企画をきっかけにマラソンを始めると市民ランナーの育成に実績のある中島進ランニングコーチの指導を受けるようになり、2008年の初マラソン以降どんどん記録を伸ばしていった。09年に堀江貴文氏のインターネット番組に出演した際、国籍を変更してオリンピックに挑戦することを提案されると、何だか気持ちが傾いた。その番組スタッフにカンボジアで宿泊施設の経営に携わっている人がいたという縁もあって、彼は運命に導かれるようにカンボジアのレースに出場するようになる。

 自己記録をさらに更新し続け、2010年12月に行われたアンコール国際ハーフマラソンで3位に入る。迷っていた国籍変更を決断して翌年にロンドンオリンピック挑戦を表明するに至る。妻と生まれてくる赤ちゃんを日本に残しての本気のチャレンジによって、2012年2月の別府大分毎日マラソンで自己ベストを大幅に更新する2時間30分26秒のロンドンオリンピック予選カンボジア男子マラソン代表1位の記録を叩き出して、オリンピック切符をつかみ取った。

「映画(NEKO THE MOVIE)で密着してくれているカメラマンの人から『レース前は落ち着きすぎていて大丈夫かと思うくらい』と言われていたんです。走った量はうそをつかないとコーチから言われてきたし、ちゃんと走れば結果は絶対についてくるって思っていましたから。自信があったので、それだけ落ち着いて見えたんだと思いますよ。

 家族とも離れての生活で、スカイプでずっとやり取りしていました。あるとき(画面に映った)娘がつかまり立ちして、歩いたんです。驚いて『わっ、歩いたよ』と言ったら、嫁さんが『そうそう、歩けるようになったの』と。それちょっと先に教えてよ~って思ったことを覚えています」

 結果を出して実力で出場資格を得ながらも“カンボジアの出場枠を猫ひろしが利用した”と世間からは批判の声が渦巻いた。国籍変更の時には特にそういった反応はなかったというのに、内定報道が出てからは一転してバッシングに。オリンピック出場なんて無理だと思われていたからだろう。カンボジア国内では批判されていなかっただけに、余計に戸惑う彼がいた。

 さらにIAAF(国際陸上競技連盟)が出場資格に「国籍取得から1年未満の場合、1年以上の居住実績が必要」との新規定を設けたことで、思わぬ形でロンドンへの道が閉ざされてしまう。

 バッシングの最中での内定取り消し。もういいやってサジを投げたっておかしくはない。だが猫は、取り消された日も走った。

「批判されっぱなしでいるのもなっていうのもありました。でも一番は、自分の何か芯はちゃんと貫こうと初志貫徹じゃないんですけどね。ちゃんと最初に決めたことは、何か揺るがないようにしようかなっていうのは、ありました」

 知られざる戦いもあった。走ると足が「ボンと膨らむ症状」に苦しんだ。原因は分からず、精神的なストレスからきたものだと思うしかなかった。

 日本では芸人活動の傍ら、中島コーチのもとでみっちり鍛えた。カンボジアにいるときは、日本にいる中島コーチが組んだメニューをきっちりとこなした。そのうちに新しい目標ができた。同じく30歳でマラソンを始めた中島コーチの自己ベストである2時間27分20秒台を上回ること。それが「いつも親身になってくれる人」への恩返しだと思えたからだ。

 2015年の東京マラソンで自己ベストを更新し、中島コーチの記録まであと20秒に迫った。自然とリオを意識するようになり、2016年5月のカンボジア国内選考会で優勝。あきらめずに走り続けた先に、オリンピックがあった。


「ビリから2番目」であっても沸き起こったカンボジアコールは忘れられない【写真:鈴木大喜】

■忘れられないカンボジアコール「成績はビリから2番目ですけど…」

 リオのゴールは、まだ先だ。

 足のマメはつぶれ、暑さは増していくばかり。早く終わってほしいと願っていると、後ろからお互いに頑張ろうと言うように背中をポンと叩かれた。ヨルダンの選手だった。最下位かと思っていたら“もう一人いた”と分かったことで、猫にギアが入った。最下位には絶対になりたくなかったからだ。

 必死になって走り続け、やっとゴールが見えた。耳には歓声が入ってきた。

「最後は、リオのカーニバルをやっている直線コース。晴れていて、なんかキラキラしているんです。子どものときにテレビで観たオリンピックって、こういう感じだったよなって思いながら走りました。メチャメチャ気持ち良かったです」

 両サイドの観客に手を振りながら、間近に迫るヨルダンの選手を振り返りながらニャーのポーズでフィニッシュを迎えた。タイムは2時間45分55秒、猫は138位で走り終えた(完走は155人中139人)。そして最後に入ってきたヨルダンの選手とハグをした。

 会場が盛り上がると、感動を体で表現したくなったのか猫は踊り出す。リオのファンはノリがいい。踊りに合わせたカンボジアコールが巻き起こり、芸人であることを知らないであろう各メディアもカメラを向ける。スタートで何のアピールもできなかった芸人ランナーが、世界から脚光を浴びた瞬間だった。いつの間にか、持ちギャグの“らっせーら~”まで飛び出していた。

「ずっと踊ってました(笑)。あのカンボジアコールはうれしかったですね。成績はビリから2番目ですけど、でも一生懸命にやることっていうのはすごいいいことだなっていうふうには思いました。マメに負けなくて本当に良かった。ネコがマメに負けたって、シャレにならないじゃないですか!」

 オリンピックは最高だった。

 マメをつぶした足の痛みなんて、もう気にならなくなっていた。

(後編に続く)(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)

二宮 寿朗
1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)などがある。

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