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日本から国籍変更→五輪出場で一躍有名人「英国のBBCも…」 46歳のカンボジア人として陸上界に捧ぐ“猫の恩返し”――マラソン・猫ひろし

THE ANSWER / 2024年8月12日 8時14分

国籍を戻さず今もカンボジア人として“猫の恩返し”を考えている【写真:鈴木大喜】

■「シン・オリンピックのミカタ」#104 連載「あのオリンピック選手は今」第8回・後編

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 五輪はこれまで数々の名場面を生んできた。日本人の記憶に今も深く刻まれるメダル獲得の瞬間や名言の主人公となったアスリートたちは、その後どのようなキャリアを歩んできたのか。連載「あのオリンピック選手は今」第8回はマラソン・猫ひろしが登場する。

 オリンピックは終わってからが大事――。2016年のリオデジャネイロ五輪、男子マラソンにカンボジア代表として出場してオリンピアンとなった芸人ランナー、猫ひろしは国籍を戻すことなくカンボジアと日本を股にかけ、芸人とランナーを両立している。40代なかばになって自己ベストをさらに更新し、運動生理学を学ぶべく順天堂大大学院にも進学。カンボジアへの“猫の恩返し”を考えているともいう。後編は、リオ大会後の日々と今の彼を追った。(前後編の後編、取材・文=二宮 寿朗)

 ◇ ◇ ◇

 リオデジャネイロオリンピックに出場した反響は思った以上だった。

 カンボジア選手団みんなで帰国すると、猫ひろしはちょっとした有名人になっていた。感動のゴールシーンをカンボジアの人たちもテレビで観てくれていたのだ。

「カンボジアってケーブルテレビが凄くて、100チャンネルくらいあるんです。イギリスのBBCだったか忘れましたけど、あの最後の盛り上がりを取り上げてくれたところがあって。いろんな方から『ありがとう』と言ってもらえたのはうれしかったですね」

 オリンピック出場枠を争った陸上選手から感謝の言葉を告げられ、トゥクトゥクの馴染みのドライバーからはビールをごちそうされ、いつも不愛想なサウナの店員からペットボトルの水をサービスされた。定宿近くのクリーニング店の店主から「テレビ観たぞ」と言われてクリーニング代がタダになっている。

 スポーツって凄い、オリンピックって凄い。カンボジアの人たちが、自分を真に認めてくれた気がした。気がつけばカンボジアでも多くの仲間ができていた。

 思えば、カンボジアに来た当初はいつも一人で走っていた。

 最初は日中を走っていたが、ほかのランナーは誰もいなかった。高温多湿の環境のため、早朝か夕方にみんな走っていたことが分かるとカンボジアの選手とも時折、一緒に走るようになった。打ち解けると「ネコ」と呼ばれた。

 大変なことと言えば野犬が多く、追いかけられることだ。自転車の伴走担当が追い払う役目を担うのだが、カンボジアにやってきた後輩芸人(魔法使い太郎ちゃん)に一度頼んだことがあった。

「あの人、犬を見つけた瞬間に『おー、やばいー』と叫びながら逃げちゃったんですよ。僕の足を自転車でひいて、追い払いもせずに。大会に出られなかったらどうしてくれるんだと思いましたけど、僕も何とか逃げ切りました」

 ハプニングはありつつもカンボジアの環境に溶け込み、彼はマラソンランナーとして成長していった。


「猫魂」を胸に現在は大学院に通いながらカンボジア陸上界に貢献を進めている【写真:鈴木大喜】

■現在は大学院進学、カンボジア陸上界に捧げる“猫の恩返し”とは

 一人で走る際、彼には好きなコースがあった。世界遺産アンコールワット周辺は、いつ走っても気持ちが良かったという。

「凄く涼しくて、パワースポットみたいな感じがあるんですよ。それに遺跡を見ながら走るので楽しい。下は赤土で足にも負担が掛からないし、最高なんです。遺跡の周りには大回りコースと小回りコースがあるんですが、大回りだと僕たちの家から1周40キロくらい。アンコールワット周辺で走っているのは僕くらいで、住んでいる人たちが最初びっくりしていましたね。でもみなさん応援しれくれるし、子どもが追いかけてきて映画の『ロッキー』みたいになるんですよ。あと、日本語がしゃべれるガイドさんによく話かけられるんです。写真を撮って、ちょっと話をして。これ、日本人観光客へのネタになるんだろうなとか思いながら(笑)」

 国籍を日本に戻すという考えはまったくなかった。

 リオ大会後もカンボジア代表として、東京オリンピックに出ることを目標に走り続けた。カンボジアのためにという思いも強くはなっていた。しかしながらケガもあり、2大会連続出場は叶わなかった。何かが欠けていたと思った。

 彼はこう振り返る。

「一度オリンピックに出たという気持ちがどこかにあったのかもしれません。一流選手はそんなこともなく、やっていけるじゃないですか。でも自分みたいな才能のない選手は、もっといろいろとやんなきゃいけないのに、そこが足りていなかったんじゃないかって」

 使命感はあったにせよ、爆発的なパワーを自分のなかで生み出せていなかった。そう結論づけるしかなかった。

 東京オリンピックの道は閉ざされ、年齢も40代なかばに入った。走ることはライフワークにしても、目標は必要だった。まだ果たせていなかったのが、中島進ランニングコーチの自己ベストを抜くこと。それに向かうパワーを生み出すべく、妥協のない体づくり、コンディションづくりをさらに徹底して走り続けた成果が、2023年の東京マラソン。2時間27分2秒をマークし、46歳にして自己ベストを8年ぶりに更新した。中島コーチの記録をようやく抜くことができたのだ。

 目標に手が届いても、猫は休まない。次のチャレンジへと目を向けていく。

 年齢を重ねても体のことを理解していれば、もっとタイムを伸ばしていけるんじゃないか――。その思いから今年4月、順天堂大大学院(スポーツ健康科学研究科)に進学。生活の拠点を再び日本に移しつつ、カンボジア人として大会に合わせてカンボジアに戻る生活を送る。さらにカンボジア語を習い、スピーチコンテストにも出場している。なぜここまでやるかと言えば、ランナーとして高みを目指しつつも、カンボジアにいる後輩たちの力になりたいという思いがあるからにほかならない。

「カンボジアにいる選手たちのために何かサポートできることはあると思うんです。言葉は今も毎日勉強中です。たとえカンボジアに行けなくてもスマホでやり取りできるかなって。選手たちとも仲がいいし、自分より20歳下の選手もいます。若い人たちと一緒に走れる喜びが僕のなかにあって、何か青春できるっていうか(笑)。せっかく国籍を変えたんですから、もっと自分がやらなきゃいけないことがあるんじゃないかって」

 猫は日本のランナーから使わなくなったシューズを集め、カンボジアに届けるという活動も継続してやっている。

 “猫の恩返し”は、むしろここからが本番なのかもしれない。


芸人として「もっと街のおばちゃんたちにも認知されるように」と意気込む【写真:鈴木大喜】

■「マラソンはやっぱり大好きです。もしそうじゃなかったら走っていない」

 カンボジアの陸上界は急速に力を伸ばしているという。昨年行われた東南アジア競技大会のホスト国になり、国を挙げて強化を進めてきた。環境も整備され始め、これからマラソン熱が高まってくる可能性もある。一人でも多くランナーが増え、自分が身を持って学んだことを伝えてサポートしていければと、猫はそんな思いを秘めている。

 一方でランナー色があまりに強くなっているだけに、芸人としてこのままでいいとは思っていない。

 姿勢をただして言う。

「マラソン絡みの仕事に行くと、ランナーの方も喜んでくれます。僕としては本当にありがたい。自分のなかでは“足の速い芸人”っていうカテゴリーにしているんですけど、ただテレビにもそんなに出ていないから、道を歩いているおばちゃんに『今、どうしてるの?』って心配されたりするんです。芸人活動もずっと並行してやっているのですが、もっと街のおばちゃんたちにも認知されるようにやらないといけないなって、そこはもうメチャメチャ感じています」

 走って、勉強して、芸にも磨きを掛けて。ニャンともやることが多い。それもこれもマラソンがあるから一生懸命になれる。

「マラソンはやっぱり大好きです。もしそうじゃなかったら走っていないですよ。タイムがまだ伸びているから楽しいんでしょうけど、伸びなくなったらちょっと付き合い方も変えなくちゃいけないですかね、でもそれはそれで楽しそうだなって」

 人生というレースを一生懸命に走る日々は、これからも変わらない。

(終わり)(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)

二宮 寿朗
1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)などがある。

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