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「自分に勝つって気持ちいい」 サボり癖、体重超過、金のため…ボクサー比嘉大吾が再び宿した炎

THE ANSWER / 2024年9月7日 6時43分

武居由樹と激しく打ち合う比嘉大吾(左)【写真:産経新聞社】

■比嘉大吾が本気になった日

 自分に勝つ、これは実に難しい。その壁を打ち破り、6年5か月ぶりにたどり着いた世界戦だった。3日のボクシングWBO世界バンタム級タイトルマッチ(東京・有明アリーナ)。同級1位・比嘉大吾(志成)が王者・武居由樹(大橋)に挑んだ。2018年4月に体重超過でWBC世界フライ級王座剥奪。闘争心を失った時期を乗り越え、自分との闘いを制して臨んでいた。戦績は28歳の武居が10勝(8KO)、29歳の比嘉が21勝(19KO)3敗1分け。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 ◇ ◇ ◇

「自分に勝った」と言える人は、どれだけいるのだろうか。長い人生に価値のある再起の道だった。

 沖縄からやってきた獰猛なボクサー。22歳でデビューから15戦連続KOの日本タイ記録を打ち立てた比嘉は、「日本ボクシング界の宝」と称された。海外メディアが名付けた異名は「Beast(野獣)」。米国進出も目前だった。しかし、その終わりは突然やってきた。

 2018年4月のフライ級王座3度目の防衛戦。12キロもの減量があるのに、わずか2か月強と短い試合間隔を強いられた。パニック障害を持ち、減量期に入ると頭をよぎる。「電車に乗ると怖くなる」。日を追うごとに干からびていく体。目はうつろ、会見でも質問にたどたどしく返すのが精一杯。見る側の胸を締めつけるほど命懸けだった。

 リミットは50.8キロ。追い込まれた計量当日、サウナに入っても汗が一滴も出ない。「900グラムオーバー」。無情な宣告が会場に響き、秤の上で王座を失った。世界戦では日本人初の失態。試合は途中棄権で9回TKO負けした。無理な減量で内臓にダメージを残し、そのまま入院。ボクサーライセンスの無期限停止処分を受けた。

「もう辞めよう」

 リングに背を向けた。大好きなジャンクフードも好きなだけ食べられる。新しい仕事を見つけるわけでもなく、無制限に膨らんでいく体。最大68キロになり、数か月まで筋骨隆々だったボクサーには到底見えない。周りの大人たちは離れていった。

 だが、一人だけ諦めない人がいた。「絶対、またやりたくなるって。一緒に練習しよう」。野木丈司トレーナーだった。出会いは10年前。18歳が持っていた大きな拳、決して下がらない勇気に惚れ込んだ。デビューから苦楽をともにした名参謀からの連絡。「しつこい」。そう思うくらいスマホが光った。

 自分の意思よりも、人に言われたからと表現した方が適切だろう。再びグラブをはめた。トレーナーと同じ横浜に引っ越し、2階級上のバンタム級で再起。2019年10月に処分が解除され、翌年2月に1年10か月ぶりのリングに立った。勝利したが、モヤモヤしていた。

「やる理由がわからないと思いながら練習していた。試合という感じがしなかった。緊張感がないし、何もない。18歳で東京に出てきて夢を追っていた頃の闘争心が今の自分にはない。ボクシングはそんなに甘くない。この気持ちだったらやっても意味がない」

 以降は引き分け、勝利、敗戦からの4連勝。世界ランクを上げたが、どこか燃え上がらなかった。

 周囲から可愛がられる愛嬌たっぷりのキャラクター。一方で沖縄の“なんくるないさー精神”は足枷になった。野木トレーナーが尻を叩いたのは星の数。「何を言っても大吾には響かない」。練習の指示に「ハイ!」と意気揚々に返事はするが、本気でやらない。きつくなると30秒でサボり癖が顔を出し、両手を膝についた。

野木トレーナー「こっちが投げ出したくなる。減量ミスとそこに至る日々。あれはそれほどのトラウマだったんでしょう。明るいけど鬱。そういうレベルのものだった」


11回、武居からダウンを奪った比嘉(奥)【写真:中戸川知世】

■過酷練習の後に放った比嘉の一言に驚き、野木トレーナー「天からの蜘蛛の糸かと…」

 でも、あの日惚れ込んだ才能は消えていない。確かな可能性を信じた。もともと、野木トレーナーのメニューは多くの選手が恐れる過酷な内容。いつも通り追い込んでいた今年6月頃、思いもよらない転機があった。

 まだ武居戦が決まる前。1分間、全力でサンドバッグを打つ。休憩は1分だけ。「頑張れ! 頑張れ! 頑張れ!」。檄を背に、比嘉は全メニューを「本気」で乗り越えた。そして、汗だくの顔でポツリ。

「自分に勝つって気持ちいいですね」

 野木トレーナーも初めて聞いた。「僕には天から垂れ下がった一本の蜘蛛の糸かと思った。光が見えたんです。復帰後初めて気持ちが体についてきた。これはもしかしたら……と」。すぐに引くと、糸は切れるかもしれない。武居戦の日程が定まりかけた時期。「自分に勝つって気持ちいいだろう?」。そんな言葉をかけながら手綱を引く。2週間後、喫茶店に呼び出した。

「ここからは本腰を入れてやろう。あと2か月半しかないから、ここだけ頑張れ」

 自分に勝つ快感を知り、再び魂に炎が宿った。気持ちで拳の重みが驚くほど変わり、ミットを持つ手も熱い。「大吾のパンチだ」。フライ級時代が懐かしい。「本気になってくれた。今までにない練習が積めた」。6年5か月ぶりの世界戦が正式決定。比嘉は吹っ切れた。「あと2か月は死ぬ気で頑張ろう。人を変える」。13ラウンドのスパーリングも乗り越えた。

 人生を左右する有明アリーナのリング。「戻ってきたというより、戻らせてもらった」。陣営に感謝を伝えて入場。「試合結果は2分の1。勝ち負けは神様にお任せ。あとは自分の好きなようにやる」。復活を待ち望む1万5000人の歓声が全身に沁みた。「久しぶりだな」

 KOパンチャー同士の一戦。振り回した比嘉の拳がどよめきを起こした。斬るか、斬られるか。両者の顔から血が流れた。ガードを固めた野獣。歯を食いしばり、リーチの長い王者に飛び込んだ。終盤まで劣勢。しかし、11回だ。外から振った左拳が着弾。起死回生のダウンを奪った。

 最終12回はポイントを獲った方が勝つ大接戦。1分のインターバル中、野木トレーナーは一つだけ授けた。

「自分に勝ってこい。お前の最大の敵は比嘉大吾だぞ」

 だが、すでに全てを使い果たしていた。力を残した王者に圧をかけられ、出たくても出られない。「距離を潰せ!」。セコンドの声とは裏腹にジリジリと後退。0-3の判定負け(113-114×2、112-115)。花道を歩き、大きくなる拍手が試合の凄まじさを物語った。


試合後に傷だらけの顔で会見した比嘉【写真:中戸川知世】

■「もう一回やろうと思ったのはお金のため。でも、気づいたのは…」

 血の滲んだ顔で漏らした感情は一つ。

「やり切った、それだけです」

 歩みを振り返る声は、清々しさすら漂わせた。

「野木さんと18歳から一緒にやってきて、楽しい10年間でした。感謝しています。復帰してからは、どこかやる気があったりなかったり。勝って、負けて、ちょっと勝ち進んでも、またやる気があったりなかったり。それをみんなも気づいていたと思う。それでも見捨てず、世界戦まで組んでくれた。

 一度失敗して、本当に辞めようと思った。正直な話、もう一回やろうと思ったのはお金のため。他にやることもないし。でも、今日気づいたのは、自分のことを思って、無償でやってくれる人たちがいるということ。世界戦を組んでくれたり、トレーナーをしてくれたり。気づくのが遅いけど、それを感じられた。

 だから、喜ばせたかった。正直、最初はお金のためだったけど、その気持ちがあったから頑張ってこられた。何もなかった自分が東京でチャンピオンになって、そこから失敗して、またこんなに応援してもらえる。最高ですね」

 見捨てなかった野木トレーナーの言葉には愛があった。

「ご縁で高校生だった大吾と出会うことができた。ここにいる皆さん(報道陣)も、この人間を嫌いだと言う人って少ないと思います。僕にとっても同じです。

 選手が強くなる大きな要因の一つは指導者に好かれること。指導者に嫌われて強くなる選手はなかなか珍しい。人を好きにさせることができる。好きな人間であれば『あれもこれもやってやろう』というのが余計に芽生えるんです。そうやっていくうちに、そういうものを超えてきた。親が子にするような、そんな感覚に近かった」

 実は、なんくるないさーには本来の意味がある。「苦しくても挫けず真面目に努力すれば、いつか良い日が来る」。比嘉は心の底から言い切った。「悔いはない」。身も、心も燃やし尽くした3か月は無駄にはならない。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)

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