「結婚も出産もしたいけど…」 パリ五輪参加の日本人女性レフェリー、笛を吹く裏にあった人生の選択
THE ANSWER / 2024年10月18日 17時34分
■パリ五輪出場「女性レフェリー座談会」後編
今夏フランス・パリで開催された五輪は、世界のトップアスリートが集結する4年に一度の大舞台だ。各競技に日々全力で取り組む選手にとっては、今も昔も目標であり憧れの場所となっているが、そんな世界最高峰の大会に日本から試合を支える裏方として参加した3人の女性審判員がいた。国際審判員として実績を積み上げてきたバレーボールの明井寿枝さん、ホッケーの山田恵美さんは、ともに2021年東京五輪に続く2度目の参加。7人制ラグビー女子日本代表として16年リオデジャネイロ五輪に出場した桑井亜乃さんは、引退からわずか3年で選手・レフェリーとして五輪の舞台に立つというラグビー史上初の快挙を達成した。
審判員としてパリ五輪の試合を裁いた裏には、どのような想いや歩んできた道のりがあったのか。競技の垣根を越えて実現した、3人の女性審判員による座談会。後編では、年齢とともに女性のライフステージが変化するなかで活動を続けていく難しさや、男子の試合を裁く意義、試合中のジェスチャーへのこだわりなど審判談議に花を咲かせた。(取材・構成=長島 恭子、取材協力=一般社団法人日本トップリーグ連携機構)
◇ ◇ ◇
――明井さん、山田さんは長年、仕事を続けながら審判員を務められています。ライフステージの変化に合わせたキャリア形成の難しさを感じた経験はありますか?
明井寿枝さん(以下、明井)「私は教員という仕事柄、比較的審判員を続けやすい環境であること、また職場の理解も得られたので、山田さんや桑井さんのように転職をすることもなく(※前編を参照)活動を続けられています。
でも、誰もが人生を送るうえで、『ここは勝負をかけなきゃいけない』というタイミングがあると思います。そのタイミングによっては、女性として高いと感じてしまうハードルがあるのだなと、いろいろな方々を見てきて感じます」
山田恵美さん(以下、山田)「そうですね、東京大会を目指すと決めた当時、私は結婚して子供が1人いました。レフェリーの活動に力を入れるためには転職も必要でしたし、『今は2人目の子どもは産めない』と思いました。やはり本気でオリンピックを目指すのであれば、自分のライフプランを考えたうえでないと難しい。特に出産を考える場合、切り離せないと思います」
桑井亜乃さん(以下、桑井)「私も35歳になり、結婚や出産は今、考えどころだと思っています。今回、『3年で絶対オリンピックに行く』と決めてプランニングをしましたが、いつまでにこの試合を吹きたい、この大会のレフェリーに選ばれないといけない、この期間は海外で挑戦したいなど、とにかくクリアしなければいけないことが山積みでした。
私も結婚したいし、出産もしたいけど、3年しかないと考えたら、私生活にかける時間の余裕は全くなかったですね。むしろ自分からどんどん行動を起こし、レフェリーとしての実績を積んでいかなければ、オリンピックにはたどり着けませんでした」
――国際審判員として活躍されるなか、性差を感じることはありますか?
山田「ホッケー界は今、審判員もジェンダーレスの流れにあります。例えば、今までは男性審判員が男子の試合を、女性審判員が女子の試合を吹いていましたが、今回のパリ五輪では女性の審判員が男子の試合を担当することもありました。
ただ、大会の審判員は元々、性別に関係なく人数の枠が決まっています。ジェンダーレスが進むと考えた時、正直、女性の方が選ばれるハードルは上がっていくのではないか、と心配される部分もあります。状況判断や選手の意図を読む力などは、決して女性が劣っているとは思いません。しかし、一般的に体力面で女性は男性に敵わない部分があります。となると、やはり自分のプラスの部分を伸ばしていくしかないのかな、と。逆を言えば大会審判員を選ぶ側も、審判員の個性を認めたうえで、判断する力が大事になってくると考えています。
審判員のジェンダーレス化は今まさに過渡期だと思うのですが、皆さん、どうですか?」
桑井「ラグビーはそもそも『男のスポーツ』という概念があって。私は選手時代、『え、女性がラグビーやるの!?』と言われてきました。
今回のパリ大会を見ても、男子の試合は男性レフェリーが12人選出されましたが、女子の試合では11人中5人が男性で女性は6人だけです。女性が少なかった理由はおそらく、体力面やスピード面で不足していたからではないかと思います。
国内で言うとトップリーグやリーグワンには、まだ女性のレフェリーがいません。ただ、世界のラグビー界では強豪国である南アフリカやオーストラリア、ニュージーランド、ヨーロッパのプロリーグでも、女性レフェリーが当たり前にいます」
かつて日本舞踊をやっていた桑井さん。判定のジェスチャーにこだわりを持っている【写真:近藤俊哉】
■審判が追求する自分の色「見せ方が大事という話に共感します」
――スピードと体力の話が出ましたが、ピッチで走り回るホッケーやラグビーと、コート外の定位置に立つバレーボールでは、少し事情が異なるかもしれませんがいかがでしょうか?
明井「今、話を聞きながら、私も駆け出しの頃に性別や体のサイズの違いはあるけれど、とにかくシグナル1つひとつを大きく見せるようにしなさい、笛は常に強く吹きなさい、と本当に基本的なことを言われたなと思い出しました。バレーボールも一時期、女性の大会は女性が吹く時代もありましたが、最近では女性が男性の試合を吹くことも少しずつですが増えてきましたね。
バレーの場合、限られたスペースでコートを見なくてはいけないので、見方を工夫することが必要です。また、バレーは『リズムのスポーツ』と言われているんですね。山田さんが個性の話をされましたが、例えばサービスの許可を出す笛のタイミングとか、起きた反則に対し、笛を吹き、反則を示すシグナルを出すタイミングだとか、シグナルを示す長さだとか、タイミングに審判の個性が表れるかなと思いました。
友人などはテレビ中継で試合を観ると『立ち姿で私だと分かる』と言います(笑)」
桑井「余談ですが私、最初の頃、どうやってジェスチャーをやったらいいのか分からず、とりあえず他の方を参考にしてやっていたんです。ところが、ある時コーチに『ジェスチャーがダサい』『素人感がすごい』って言われたんですよ……」
山田「うん、いや、でも桑井さんの気持ちもコーチの気持ちも、すごく分かります(笑)」
桑井「そこで『誰かの真似をしているのに、ダサいってどういうことだろう?』と考え、『あ、自分がかっこいいと思うジェスチャーを見つければいいんだ』と気づいたんです。
昔、日本舞踊をやっていた身としては、『ダサい』と言われると、指先までキレイにやってやろう、という気持ちになる(笑)。どうやったらかっこよく見えるかとか、他の人と違う感じでやってみようとか鏡の前で練習して、今の『堂々としている』と言われるジェスチャーにたどり着きました」
山田「素敵です。自分の色って大事だと、審判をやっていてすごく思いますから。それと、お2人から出た『大きく』『堂々と』というワード。私は身長が155センチしかなく、やはりヨーロッパの強豪国……例えばオランダの選手と並ぶと小ささが際立つんですね。
明井「分かります、分かります。自分がすごく小さいことを実感しますよね」
山田「ホッケーの審判員は身長の高さで選出されるわけではありませんが、だからこそ見せ方が大事、というお話に共感します。身長ではないところで審判としての存在感をしっかり出せるのか。シグナル1つとっても、どのように出したら説得力を持ち、選手とコミュニケーションを取れるのかは、すごく大事なところですよね」
桑井「今回の五輪でラグビーのレフェリーを務めた女性審判員は、ほとんどが身長170センチ超えなんです。ラグビーは体格の大きい選手ばかりですし、試合をコントロールする上ではグラウンドで消えてしまわないよう、やっぱり大きくダイナミックに笛を吹かないと、と考えます」
山田さんはホッケーの国際審判員として東京、パリの五輪2大会で笛を吹いた【写真:本人提供】
■国際審判員を経験したことで「視野が広がった」
明井「ここにいる3人はみんな、国際審判員の資格は性別に関係ない、大会の審判団も男性の試合だろうと女性の試合だろうと、その時のベストのレフェリーを当てればいい、と考えていると思います。性差のない環境の実現には、もう少し時間はかかると思いますが、必ずできると思いますね。
桑井さんは、今後はどのようなチャレンジを考えていますか?」
桑井「次のロス五輪で笛を吹くことは正直、考えていません。次は男子のプロの試合で笛を吹きたい。国内で言うとリーグワンです。
まだリーグワンの試合を吹いた女性レフェリーがいないのですが、まずはその壁を越えて、その後に女性レフェリーが増えていく環境を作りたいという思いがあります。そしてその先は、15人制ラグビーでも世界的大会で笛を吹きたいです。15人制になると男性レフェリーでも、日本人が試合を担当するのが非常に難しいのですが、大きい目標としては2029年のワールドカップを目指します。先ほど述べたように結婚も出産もしたいので、オリンピックのような熱量とは少し違うかもしれませんが……」
明井「頼もしい!」
桑井「とはいえ、1年1年が勝負。まずは今年、リーグワンのパネルレフェリーを勝ち取るのが私のプランです」
山田「眩しいな。今日は桑井さんからいろいろ刺激を受けました。ホッケーは国内の審判員は定年がないのですが、私は国際審判員の引退(47歳の年の12月)と同時に辞めようと思っています。その後はアンパイアマネージャー(審判員の指導、評価を行う国際ホッケー連盟の仕事)になり、五輪で笛を吹く日本人の審判員を育てたいと考えています。
それから引退まであと1、2年ありますが、それまでは若い審判員と同じ土俵で一緒に審判員の仕事を続けたい。ピッチ上で、同じ目線で伝えられるものを伝えきってから引退したいという気持ちです」
明井「お2人には大変申し訳ないのですが、バレーボールの審判員は走らない(苦笑)。それだけに、高いフィジカルのレベルを維持し、ピッチを走りながらジャッジもするという2人には尊敬の念しかありません。
バレーの国際審判員ですが、数年前に55歳から60歳に定年が変更されましたが、山田さんと同じく、私も定年を迎える前に次世代にバトンを渡したいと考えています。1試合のジャッジを務めあげることは、体力的な面だけでなく精神的な負担も大きい。60歳まで自分のメンタルが維持できるかは正直、自信がありません。『よし頑張ろう!』と思ってくれた人に経験を伝え、協会の方たちとも協力しながら、国際審判員、そして五輪審判員のバトンを上手く繋いでいきたいですね」
バレーボールの国際審判員としてパリ五輪に参加した明井さん(右から2人目)。6試合で主審を務めた【写真:本人提供】
――最後に審判員の魅力とやりがいを教えてください。
明井「学生時代からずっとバレーボールに携わっているので、まずはバレーという競技を支える一員であることにやりがいを感じます。また、審判員で本当に良かったと思うのは視野が広がったことです。審判員になったら日本各地に、国際審判員になったら世界中に知り合いができて、皆さんからすごく刺激を受けています。もし教員だけをやっていたら、もっと狭い視野で物事を見ていたと思います。人間として成長し、良い経験ができたことが、審判員になって何よりも良かったことですね」
山田「今、聞いていて『それそれ!』となりました。今日もお2人と話をしていても感じたのですが、審判をやっていたからこそ、こうやって異なる競技の方とも共感する部分が多いのだと思います。
審判員は一生のうちに、2週間という大会でしか時間をともにしないこともあります、でも、彼らと話をすると共通の意識を持っていると分かるし、初めて会ったのに深く理解し合える。審判を通じてできた世界中の友達は、私にとって人生の宝ですね」
桑井「お2人にみんな言われました(笑)。まったく同じ思いです。今日、2人の先輩方の話を通じて感じた1つのことは、レフェリーは選手とは違う形で競技の魅力を伝えられる仕事だということです。
やっぱり、良いレフェリーが入ることによって、試合がギュッと引き締まるし、そういうかっこいい存在でありたいから、私たちも鍛えるし、走る。レフェリーって憎まれ役の立場になったり、『ちょっと、やりたくないな』という印象を持たれますが、マイナスのイメージを変えていきたいですし、レフェリーの大切さ、そしてレフェリーもラグビーの1つの魅力だということを伝えていきたいです」
■明井寿枝(みょうい・すみえ)
1973年1月17日生まれ、北海道出身。中学時代、バレーボール漫画『アタックNo.1』に影響されて入部。日本女子体育大2年時に選手としての限界を感じ、マネジャーに。大学の練習試合で初めて笛を吹く。97年から北海道で高校保健体育教諭となり、現在、石狩翔陽高で教壇に立ちバレーボール顧問を務める。2007年に国際審判員資格取得。18、22年の女子世界選手権、19年W杯、19、21、23年ネーションズリーグなどで審判員を歴任。五輪は21年東京大会、24年パリ大会に参加。パリ大会では6試合で主審を務めた。
■山田恵美(やまだ・えみ)
1980年1月8日生まれ、長野県出身。小学生の時に兄の影響でホッケーを始める。山梨学院大3年時に国内B級審判員の資格を取得。2004年に国際審判員になる。4度の五輪(04年アテネ大会~16年リオデジャネイロ大会)で審判を務めた相馬千恵子氏の指導を受け、18年ロンドンW杯後、国際審判員の最高ランク『オリンピックパネル』に昇格。五輪は21年東京大会、24年パリ大会に参加し、パリ大会では4試合で主審を務めた。23年にはフル代表による国際試合を100試合経験した審判に国際ホッケー連盟から送られる、ゴールデンホイッスルを受賞(日本人として3人目)。
■桑井亜乃(くわい・あの)
1989年10月20日生まれ、北海道出身。小学生から陸上を始め、帯広農業高2年時に円盤投げで国体5位入賞。中京大学まで陸上部に所属するが、大学卒業後の2012年にラグビーに転向。13年に7人制ラグビー女子日本代表として初キャップを刻むと、16年リオデジャネイロ五輪に出場し日本初のトライを決めた。21年8月に現役を引退し、レフェリーに転身。24年パリ五輪のマッチオフィシャル(審判団)23人の中に選出され、ラグビー界で初めて選手そして審判として五輪のピッチに立った。パリ大会では2試合を担当。7人制ラグビーの代表キャップ「31」。
※独立行政法人日本スポーツ振興センター競技強化支援事業(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)
長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。
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