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ジャッジの恩師にもらった「座右の銘」 逆輸入ドラフト候補、根岸辰昇が慶応高→米大学で遭遇した“現実”

THE ANSWER / 2024年10月21日 7時44分

根岸はこの夏、大リーグ球宴の前座となる試合で4番を打った【写真:本人提供】

■「不安を覚えるヒマもないくらい…」必死に切り開いた未開のルート

 慶応高(神奈川)で2018年夏の甲子園にも出場したスラッガーが、米国の大学で腕を磨いて帰国。24日に行われるプロ野球ドラフト会議での指名を待っている。24歳の根岸辰昇(たつのり)内野手は、慶大への内部進学者が大半の高校から、なぜ米国に渡り、現地で何を見たのか。グラウンドの中にとどまらない、貴重な経験の数々を明かしてくれた。(取材・文=THE ANSWER編集部、羽鳥慶太)

 子供のころから、高校球児だった父の影響で大リーグが身近にあった。根岸の憧れの打者は、自らが生まれる1年前に引退している通算335発のスラッガー、ダリル・ストロベリー(元メッツなど)だ。慶応高2年の頃にはもう、メジャーリーグに「行きたい」ではなく「行く」と決めて、そこまでの道を考え始めた。

 3年夏には慶応高の「5番・中堅」として夏の甲子園に出場した。大会を終え、同高の森林貴彦監督に米国の大学へ進みたいと伝えたが「どうするの? 本当に行くのか?」と、最初は冗談だと思われた。前例がほとんどないルートを切り開く過程では「不安を覚えるヒマもないくらい、必死でした」という。

 留学を取り扱うエージェントに、自身の打撃映像を米国へ送ってもらった。雲をつかむような状況でのアピールから、声がかかったのはカリフォルニア州のオレンジコースト短大。ヤンキースのアーロン・ジャッジをアマチュア時代に指導したことで知られ、日米大学野球の米国代表でもコーチを務めたことのある名将ジョン・アルトベリ氏が率いるチームだった。

 アルトベリ氏は、2020年1月に元NBA選手のコービー・ブライアントらとともにヘリコプターの墜落事故で亡くなった。2019年の秋に入学した根岸が指導を受けたのは短い期間だったが、強烈なインパクトを受けたという。

「僕の座右の銘にさせてもらっているのですが『make today great day(きょうを最高の日にしよう)』という言葉が印象に残っています」。他にも「ミスした時こそ、堂々としていろ」という言葉をかけられた。「日本だと、三振したら走ってベンチに帰りますよね。でもそういう選手を、メジャーのスカウトは絶対に取らないと教えてもらいました」。日米の違いと、米球界で生き残るための流儀を教えてくれた指導者だった。


米国ではグラウンド内外で貴重な経験を積んだ根岸【写真:羽鳥慶太】

■日本人が珍しがられる南部へ…直視した米国の現実、命の危険も

 ただ、根岸の大学1年目は新型コロナ禍でシーズンがキャンセルに。本領を発揮し始めるのは翌年だった。打率.447を残したが、短大は2年で卒業を迎える。まだ新型コロナ禍の影響が残る中で、プロのスカウトの目にもほとんど触れていなかった。NCAA(全米大学体育協会)1部で野球を続けたいと願った根岸は、所属する約300校のほとんどにメールを送り、ミドルテネシー州立大への編入をつかんだ。

 ここでも主軸として実績を積むと、さらに2年が経ったところでノースカロライナA&T州立大へ転校した。NCAA1部の中でも最激戦区とされる米国南部にあり、黒人文化の色が強い学校だ。日本人は、いるだけで珍しがられるような環境にも順応し、大学最後のシーズンは51試合で打率.371、8本塁打、37打点、OPS1.065と大爆発。毎年のように大リーグのドラフト指名選手が出る学校でも、実力は全くひけを取らなかった。

 現地で認められ、居場所をつかむまでの過程で、それほど苦労を感じたことはなかったという。英語は慶応高時代から得意な科目で、授業や野球で積極的に現地の生徒と関わる中で磨いていった。「よく日本の留学生は留学生同士で固まってしまうのですが、僕は日本人の友達をつくらなかった。コミュニケーションを大切にしたかったので」。こんな“覚悟”が支えになった。

 米国での5年間を振り返ると「そこでしか経験できないことをちゃんと身につけて、すごく成長できたと思います。いろんな考え方を見て、適応力を高められた」と充実の言葉が口をつく。異色のキャリアを積んだ分の“リターン”は、しっかりあった。

 グラウンドの外でも、日米の違いを感じさせられる日々だった。ミドルテネシー州立大に提出した卒業論文は「人種と性別による賃金格差-構造的な問題」というテーマ。日本では中々感じられない人種差別の現実も見た。さらに、命の危険を感じたこともある。

 最後の1年を過ごしたノースカロライナA&T州立大は、キャンパスが治安の悪いエリアにあった。ある日登校すると30メートル先から銃口を向けられているのに気づき、猛ダッシュで逃げた。また、エンゼルスの赤いTシャツ姿でいると「ここでは着てはいけないよ」と言われたこともある。ギャングの“縄張り”の一つが赤を目印にしており、他のグループから標的にされるためだった。「それからは赤も青も黄色も、いろいろな色のものを身につけてわからないようにしました」。肝の据わった行動も、一つの信念に基づいている。

「自分には野球があるので。一人でも大丈夫です」

 大リーガーになるために必要なものを取捨選択し、野球でもそれ以外でも貴重な経験を積んできた根岸。生まれ育った日本のプロ野球でチャンスを得られれば、周囲にも大きな影響を与えるに違いない。(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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