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戦力外通告は「負けなような気がして…」 自ら引退した元巨人・池田駿さんが超難関試験に受かるまでの“7000時間”

THE ANSWER / 2024年11月2日 7時43分

現役時代、巨人と楽天でプレーした池田駿さん【写真:産経新聞社】

■2軍で防御率1.52「一番良かった年」に選んだ“任意引退”

 プロ野球はシーズン終了が迫り、今季も12球団で100人を超える選手が戦力外通告を受けている。ここで選手がイメージする第2の人生は、現役続行をはじめとして何らかの形で野球に関わり続ける姿が圧倒的に多い。ところが、自ら現役を退き、猛勉強の末に公認会計士試験に合格した元選手がいる。巨人と楽天でプレーした池田駿さんは、なぜ自ら引退を選び、超難関資格を手にすることができたのか。意外に見える選択の裏側を語ってくれた。 (取材、文=THE ANSWER編集部、羽鳥慶太)

 3年前、2021年の10月末。池田さんは自ら「プロ野球選手を辞めたい」と当時所属していた楽天に申し出た。この年、1軍登板はなかったものの、2軍では防御率1.52。「思いついたものではなく、8月くらいから考えていたんです」と、自分の人生について考え抜いた上での決断だった。

 2020年のシーズン途中に、巨人から楽天へトレードされて2年目。前年は1軍21試合に登板していた。ところがこの年、2軍でいくら好投を続けても、1軍からのお呼びがかからない。「プロ5年間で一番状態も、感覚も良かった年でした。それで呼ばれないということは、求められるものとマッチしていないんだなと考えて……」。1軍から一度でも呼ばれれば、もう1年続けてみようと思っていた。秋に入ってそれが「ない」とわかった時、新たな道に進む覚悟ができた。

 プロ野球選手が引退する年齢は、平均すれば28~9歳だとずっと頭にあった。当時の池田さんはまさに、29歳の誕生日(11月29日)を迎える寸前。戦力外通告を受け、この世界を去っていく選手も多い中で「私、とにかく負けず嫌いで……。クビって言われるのって、負けなような気がして。だったら潔く」という考えもあった。

 決して力が落ちたり、限界を感じての選択ではなかった。それを示すかのように、球団フロントや当時の石井一久監督からは「考え直してほしい」との言葉があった。2軍の本拠地で行われた1時間ほどの面談では、次の道に公認会計士を考えていると説明し、了承された。

 戦力外通告を受けて自由契約になる場合と違い、引退後も球団に権利が残る“任意引退”には、引退理由を記入した申請書を提出する必要がある。池田さんはセカンドキャリアのためという理由で受理され、この年は松坂大輔投手(元西武)や斎藤佑樹投手(元日本ハム)ら、6人しかいなかったうちの1人となった。


講師らしい軽妙な口調で、受験生時代を振り返る池田さん【写真:羽鳥慶太】

■「ぶっ飛んだことをしていた」試合前のすき間時間も試験勉強

 セカンドキャリアは、プロの世界に足を踏み入れた時から頭のどこかにあった。中学、高校時代は数学が得意だった池田さんの脳裏に、引退後のイメージができ始めた“きっかけ”がある。

 巨人入りする前は、社会人野球のヤマハでプレーしていた。2016年のドラフト4位で指名され入団すると、サラリーマンから個人事業主になった。確定申告の必要ができ、税理士と契約して話をしていく中で気づいたことがある。

 プロ野球選手は多額の税金を払っているのに、その制度や手続きについて理解しきれていないのではと感じたのだ。「もし、自分が他の選手を助けることもできたら唯一無二だな」。1998年から4年間阪神でプレーし、公認会計士となった奥村武博さんにも選手会を通じて経験談を聞いた。その思いの下に、具体的に動き出したのが引退1年前、2021年のキャンプ中だった。

 まだ現役のうちから、異例の準備を開始した。通信講座で会計士試験の受験勉強を始めたのだ。春のキャンプでは朝、球場への出発前に30分から1時間。さらにホテルに帰ってきてからの午後や、夕食後の空き時間にもテキストを開いた。1日3~4時間は学習できたという。投手は野手と比べ、グラウンドでの練習時間が短いのも活かせた。

「元々はスマホをいじったりしていた時間だと思います。だから食事に誘われれば出ていましたし、そんなに『勉強だけ』という感じではありませんでした」

 シーズンに入っても勉強は続けた。試合前のちょっとした空き時間にもテキストを読み込んでいた。他の選手も池田さんが何をしているのか知るところとなったが、回りの目は気にならなかった。

「ぶっ飛んだことをしているのはわかっていましたからね。応援しているという声もありましたから。野球も100%で取り組んでいましたし、勉強が気分転換という感じでした。スマホをいじったり、ゲームをするのと変わりませんよ」


池田さんは難解な専門用語を受験生に伝える立場となった【提供:CPA会計学院】

■野球と違ったうれしさ「指名の時はびっくり、合格の時はホッと」

 とはいえ、真剣に勉強するのは一般受験で新潟明訓高へ進んだ時以来。学習法の肝は繰り返しだった。「1回目はサラっと触れて、それを何回も何回もというのが自分のパターンでした」と振り返る。さらに「これは野球にも生きていたと思います」。プロ入りからシーズンを経るごとに、納得できる投球は増えていった。勉強と同じく“繰り返し”の中で自分の長所や弱点に気づき、克服していった。引退を決めたシーズン、2軍で好成績を残せた理由もこれだ。

「現役中より、その後です。きつかったのは」

 引退した時に、2年後の2023年に行われる試験で必ず合格しようと決めた。合格率が7パーセントほどという超難関資格で、短答と論文を合わせ6科目(現在は9科目)もある。勉強時間を確保するため、この期間はアルバイトもせず勉強に専念しようと決めた。午前、午後、夜と3時間ずつ、計9時間が基本的なスケジュール。お風呂に入るときもテキストの音声を流していた。

「今思い返すと、2年間で7000時間くらい勉強したことになります。合格談を見ていると、2500~3000時間が多いんですよね。よくやったと思います」。専修大では商学部で、簿記の授業もあった。「あの時もっとやっておけばと思いましたよ」と苦笑いだ。

 試験は5月末。11月の合格発表は、東京の財務局に貼り出され行われる。ただ池田さんは地元の新潟で勉強を続けていたため、見に行くことはできなかった。インターネットを通じて確認した瞬間「ドラフトの時と同じような感情の揺れ動きはありました。ただ中身は違いましたね。プロの指名の時はびっくり、合格の時はホッとしました」。人生をかけた選択が、報われた瞬間だった。

「プロは夢がある世界です。でも毎年戦力外通告を受ける選手は出る。選ばれた人の世界である反面、毎年クビになる人もいる。どこかでそう覚悟していたのは、社会人野球までやったからかもしれません。オールド・ルーキーでしたから」

 現在、受験生時代に学んだCPA会計学院で講師を務める。これは教師になりたいと思いながら、教職課程を履修できなかった大学時代の夢の延長線上にあるという。今後、会計士登録を行うには、会計事務所などで実務経験を積むことが必要だ。「プロ野球選手のお金やキャリアのサポートができたら。誰でもできることではないので」という夢に向かって、池田さんの挑戦はまだ続いている。(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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