無名の3番手PGからの下剋上 川崎の新星・小針幸也、バスケ人生の転機になった8年前の1試合
THE ANSWER / 2024年12月7日 10時43分
■川崎ブレイブサンダース・小針幸也インタビュー前編
バスケットボールBリーグの川崎ブレイブサンダースは、今季転換期を迎えている。長年主軸を担ったニック・ファジーカスらがチームを去り、クラブ史上初の外国籍ヘッドコーチとなるロネン・ギンズブルグ氏を招聘。顔ぶれが大きく変わり序盤戦から苦しい戦いが続くものの、そのなかで新たな可能性を感じさせるプレーを見せているのが今季期限付きで加入したPG小針幸也だ。地元・神奈川県の出身。高校までは全国的に無名で、大学卒業後も実業団を経てBリーガーになった異色のキャリアの持ち主でもある。前編ではバスケ選手としてブレイクスルーを果たした、高校時代の1試合について振り返った。(取材・文=青木 美帆)
◇ ◇ ◇
ロネン・ギンズブルグ新ヘッドコーチの下、リーグ屈指のハイペースバスケを目指す川崎ブレイブサンダースにとって、小針幸也を獲得できたのは大きな幸運だったと言えるだろう。
小針は今季、長崎ヴェルカから期限付き移籍で加入した25歳のポイントガード。学生時代から突出したスピードを武器としており、2022-23シーズン途中から加入した長崎でもその力を存分に発揮。昨季、1試合の平均ポゼッション数(オフェンス数)でB1トップを誇ったチームのスタイルの体現者となっていた。
そして、川崎でもその“速さ”は健在。衝撃的な速さからクラブが名付けた『SONIC BOOM』というキャッチフレーズどおりの目の覚めるようなドリブル突破で、相手チームを混乱させ、見る者を沸かせている。
前述のとおり、小針がBリーグデビューを飾ったのは2022-23シーズン途中(正確には2023年2月)で、それまでは実業団チームで社業に励みながらバスケットボールをしていた。さらに言えば、学生時代も決して輝かしいキャリアを歩んできたわけではない。
叩き上げの雑草プレーヤーは、いかにして国内最高峰カテゴリーにまで上り詰めたのか──。まずは学生時代から紐解いていこう。
桐光学園高校時代の1試合が、その後の飛躍につながったと振り返った【写真:THE ANSWER編集部】
■8年前の試合は「今につながる分岐点でした」
筆者が小針の存在を初めて知ったのは、彼が桐光学園高校の2年生だった2016年秋のウインターカップ予選決勝だった。
中学日本一に輝いた県選抜の主要メンバーがほぼ揃ったこの年の桐光学園は、ぶっちぎりで県を制すると思われていたが、同じ川崎市にある法政大学第二高校を相手に苦戦していた。
決勝を前に先発のPGは絶不調。2番手のPGは前日に負傷して出場できない。それまで県上位の公式戦にほぼ出たことのなかった3番手PGの小針だったが、ほぼぶっつけ本番の出場にもかかわらず素晴らしいパフォーマンスでチームの流れを変え、大量リードを呼び込み、チームを勝利に導いた。
「あの活躍は衝撃的でした」。8年前に見た光景についてそう伝えると、小針は「いや、僕自身が一番びっくりしました」と笑って当時を振り返った。
「何をしても上手くいく、みたいな感じでしたよね。シュートも全部入って、確か15点くらい取ったんじゃないかな。たぶん法政も『あいつ、誰?』って、めちゃくちゃびっくりしたと思います」
小針が言うとおり、当時の彼は全国はおろか、神奈川県内でもノーマークの存在だった。ミニバス・中学と市選抜にも入れず、中学は横浜市大会予選の2回戦負けで引退。市選抜の選考会で仲の良くなったキング開(現・横浜ビー・コルセアーズ)らと、推薦がもらえない仲間たちみんなで近所の公立高校に進もうと話していたくらいだ。
しかし、桐光学園に進んだミニバスの先輩から「一度練習に来てみたら?」と声をかけられた。「絶対に無理」と思ったが、監督の前で良いプレーを見せることができ、とんとん拍子で推薦の話が届いた。
法政第二との決勝に勝利後、桐光学園の高橋正幸監督に小針について尋ねると、「隠していました」と満面の笑みとともに言われたことが今も忘れられない。
「3年生がいたから今まで出られていなかっただけで、小針は元々力のある選手です。県大会に出たこともないし、地区選抜にも選ばれていないけれど、ガッツマン。オフェンシブで負けず嫌い。これから上級生を超えるような選手になってくれるんじゃないかなと思います」
恩師が8年前に語っていたその言葉を伝えると、小針は「懐かしいな」とつぶやき、「あの試合は今につながる分岐点でしたね」と続けた。
「練習では先輩たちとけっこうやり合えていたので、『いつ出てもやれるのにな』みたいな感じはあったんですけど、あの試合以降はさらに自信を持ってプレーできるようになりました」
■「プロになりたい」とは考えていなかった
本人の言葉どおり、この試合をきっかけに小針は一躍神奈川のトッププレーヤーとして認知され、上級生の引退後は不動の先発PGとして全国大会も経験した。
ただ、自身の今後の行く末については何のイメージも描いていなかったという。
「『プロになりたい』みたいなことは考えていなかったと思います。むしろ就職とかも何も考えず、『とりあえず大学でバスケしよう』くらいじゃないですかね。推薦とかも来ないと思っていたので、普通に大学受験をしようと思っていたら、国体チームで練習試合をした神奈川大から声がかかって。(県トップレベルの)他の選手に比べたら、進路が決まるのはだいぶ遅かったと思います」
神奈川大では1年時からプレータイムを獲得したが、勝ち星に恵まれた大学4年間とは言えなかった。秋の関東1部リーグ戦は毎年2部降格圏内を行ったり来たり。キャプテンを務めた4年時は、リーグ再編による特例で降格はなかったものの最下位だった。
大学トップカテゴリーでバスケットボールに打ち込み、卒業後も競技を続けたいと考える大学生は、遅くとも4年生の春頃には自身の身の振りを決めなくてはならない。言わずもがな、企業の求人活動があらかた終わる時期だからだ。
プロを志望する選手は当然、就職活動はしない。それ以外の者は実業団チームを所有する企業の採用を目指すことになる。小針は早くから後者の道に進む自分を想像し、実業団の強豪・JR東日本秋田からオファーを受けた時は二つ返事で快諾した。
「神大の先輩たちはプロより実業団に行く人が多かったので、自分もそうなんだろうなと思っていました。プロに行けたら……という思いもほんのりはあったんですけど、チームの成績も良くなかったし来ないだろうなと。前から『JRに行けたらすげえよ』みたいな話を聞いていたので、話が来た時は即決でしたね」
(後編へ続く)
■小針幸也(こばり・こうや)
1999年5月18日生まれ、神奈川県出身。抜群のスピードを誇るPGとして頭角を現すと、桐光学園高校ではインターハイに出場。神奈川大学でも司令塔として活躍した。卒業後は東北リーグ所属の実業団であるJR東日本秋田ペッカーズに入団したが、2023年2月に当時B2の長崎ヴェルカに加入。Bリーグでのキャリアをスタートさせると、B1に昇格した2023-24シーズンは終盤にスタメンに定着した。川崎ブレイブサンダースへ今季期限付き移籍し、さらなる飛躍が期待されている。(青木 美帆 / Miho Aoki)
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