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パリの悔しさから「逃げなかった」村尾三四郎 4年後に向けた復活V、常に考えた「どうしたらもっと…」

THE ANSWER / 2024年12月9日 10時33分

村尾三四郎【写真:Getty Images】

■柔道グランドスラム東京大会

 柔道のグランドスラム(GS)東京大会最終日は8日、東京体育館で男女7階級が行われ、パリ五輪男子90キロ級銀メダルの村尾三四郎(24=JESグループ)が連覇を果たした。多くの五輪代表選手が休養をとる中で8月中旬に練習を再開。強豪を撃破しての優勝に「逃げずに柔道に向き合い続けた自分を評価したい」と胸を張った。

 村尾は強かった。2回戦、準々決勝を危なげなく勝ち上がると、準決勝では今年の世界選手権を制した田嶋剛希(パーク24)と対戦。これまで対戦成績では分が悪いが「勝ち切りたい相手の一人」を10分近い激闘で下すと、決勝では23年世界王者のルカ・マイスラゼ(ジョージア)に勝利。「五輪後初めての大会で優勝できてよかった」とパリ五輪後の4か月を振り返った。

 パリ五輪代表のほとんどが欠場した今大会。出場した男子60キロ級の永山竜樹、73キロ級の橋本壮市は調整不足もあって優勝には届かなかった。そんな中で村尾は「優勝を狙って」準備をして出場。2人の世界王者を連破して、スタンドのファンの声援に応えた。

 パリで味わった悔しさに背中を押された。東京五輪王者のラジャ・ベカウリ(ジョージア)との決勝戦、誤審騒ぎが起こるほどギリギリの試合の末に敗れた。試合後は勝者をたたえ、インタビューではカメラに背を向けて涙をぬぐい「内容どうこうよりも負けはきついもの。悔しさが残る」と話した。

 その強い精神力と潔い姿に日本中のファンは感動したが「金メダルを取るために」上がったパリの大舞台での敗戦ショックは大きかった。悔しい気持ち、心のモヤモヤを晴らすために選んだのは、少しでも早く柔道をすることだった。

 五輪までストイックに競技に打ち込んできた選手たちが、大会後に休むのは普通だ。減量など体調管理もある柔道では、休養も大切。特に今回は東京大会後と違って次の五輪まで4年ある。周囲からは休養して心身をリフレッシュすることを勧める声もあったという。

 それでも、村尾は帰国から半月ほどで畳に戻った。「なかなか気持ちは乗らなかったけれど、先に体を動かした」。パリ五輪の悔しさを思い返しながらも「どうしたら、もっと強い柔道家になれるかだけを考えていた」という。


GS東京大会男子90キロ級で連覇を果たしたパリ五輪銀メダルの村尾三四郎【写真:編集部】

■五輪後に「毎日の細かい作業から逃げなかった」

「日々の稽古、トレーニングは決して楽しいものではない」と本音を明かす。「毎日繰り返していく作業の中で自分と向き合い、できたとかできなかったとかを考えるのは大変」と話し「大きな大会後は、細かい作業が怠りがちになる。そこで勝つために何が必要かを考え、稽古をする。そういう作業の繰り返し」と振り返った。

「すべてを忘れて、他のことをやったり、リフレッシュする方法もある。決して間違いだとは思わないけれど、自分はそういう作業から逃げなかった」と振り返った。「大会前は勝つための稽古だが、大会後は自分の柔道を見つめ直して新しいこともできる。それがリフレッシュにつながった」と説明した。

 照準を今大会に定めたのは「ロス五輪に向けて、勝っておきたい大会だった」からだが、柔道をより広めたいという思いもあった。「五輪で初めて競技を知った人たち、生で見たいと言ってくれた人たちに、柔道の魅力を感じ取ってもらえればと思った」。言葉通り、切れ味鋭い技でパリ五輪での活躍を再現した。

 次のロス五輪まで4年あるが、近い目標は来年の世界選手権。「目の前の試合を一つひとつ勝っていきたい。その先にロスがある」。この日準決勝で対戦した田崎や世界ジュニア連覇で今大会3位に入った19歳の川端倖明(国士舘大)ら国内のライバルもいる。「まだまだ戦いは続く。気を引き締めていきたい」とも言った。

 日本人の父と米国人の母の間にニューヨークで生まれた。「三四郎」の名から柔道の「姿三四郎」を連想するが「実は柔道とは関係ないんです」と村尾。父が「日本人らしい名前を」と語感からつけたのだという。それでも、村尾は柔道を選んだ。

「どうしたらもっと強い柔道家になれるか、日々考えながらやっていきたい。柔道家として高みを目指したい」。ロス五輪の金メダルもゴールではない。村尾は誰よりも「柔道家」らしく真摯に、すべてをかけて柔の道を突き進む。(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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