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「正直、慶應も大学も行きたくなくて」 進学校出身、批判に晒され…W杯経験した今も39歳現役に拘る理由

THE ANSWER / 2024年12月20日 10時33分

39歳の今も現役にこだわり走り続ける山田章仁【写真:九州電力キューデンヴォルテクス提供】

■ラグビー・山田章仁インタビュー前編 2部の九州KVで現役を続ける現在地

 国内ラグビー最高峰の「NTTリーグワン2024-25」の開幕が近づいている。4シーズン目を迎える今季は、東芝ブレイブルーパス東京のリーグ初となる連覇か、埼玉パナソニックワイルドナイツの2季連続の準優勝からの捲土重来か――。覇権争いが注目される中で、ディビジョン2の九州電力キューデンヴォルテクス(九州KV)で39歳の挑戦を迎えるWTB山田章仁に話を聞いた。セオリーに捕らわれない奔放なプレーで日本代表、国内外クラブでのプレーと、多様なチャレンジを続けてきた。ラグビーでの活躍同様にユニークな人生設計も“山田流”の変幻自在さで切り開く。40歳を目前にしながら、なぜ現役にこだわるのか、敢えて故郷・九州を活躍の舞台に選んだのか。その言葉からは、20年以上に渡りトップアスリートとして走り続ける楕円のファンタジスタの生きざま、そしてラグビーへの思いが浮かび上がる。(取材・文=吉田 宏)

 ◇ ◇ ◇

「ちょうど、次の水曜日に東京行きますよ」

 山田章仁から、そんな連絡がきたのは11月半ばのことだった。

 6月から始まった日本代表の国内シリーズ。試合会場でのトークイベント参加者に、何度もその名前を確認したが、変幻自在のステップワークをみせるファンタジアスタから話を聞くには、すこしまとまった時間が欲しかった。企てていた中洲の夜を惜しみつつ再会した浅草で、いきなり「なぜ39歳でも現役を続けるのか」という質問をぶつけてみた。

「楽しい。それだけです。ラグビーを楽しむのはもちろんですが、ラグビーがある生活が楽しいかな」

 ディビジョン2とはいえ、シーズン毎にレベルを上げるリーグワンに挑み続ける理由に、迷わずこんな言葉が返ってきた。開幕への準備も加速する時期に東京に来た理由の1つもトレーニングだ。2019-22年にプレーしたNTTコム(現浦安D-Rocks)時代のトレーナーだった鎌田健史郎さんが2023年に雷門近くに開いたジム「Palette(パレット)」に定期的に通う。上京しない時も、毎週月曜日にはオンラインでのアドバイスを受ける。もちろん、ラグビープレーヤーとしてさらに自分を高めるためだ。これまでに築いてきた人間関係を大切にする姿勢、いや、もっと適切な表現なら底抜けの人懐こさ、そして人情や仁義だけではなく、自らを高めていくためにも自分が作った“繋がり”をフル活用するのも山田らしい。チャンスや運をただそのまま享受するだけではなく、そこからの可能性や広がりに思いを巡らし、新たな挑戦へ踏み込んでいくのがファンタジスタの流儀だ。

 福岡市に拠点を置く九州KVへ移籍して3シーズン目を迎える。北九州・小倉高出身の山田にとっては、故郷に最も近いチームでの新たな挑戦だ。

「ようやく楽しめるようになってきましたね。日本代表やパナソニックでは、勝たないといけないという思いが強かった。今が負けていいわけじゃない。結果は残さないといけないけれど、重圧の中でいかに戦うかというプレッシャーとは、すこし違う楽しさがあります」

 ラグビーを楽しめるようになったのは、単純にディビジョン1から一段下のチームに移籍したからだけではない。代表や様々なチームで長らく積み重ねてきた経験値と、自分のキャリアをどう生かし、伸ばしていくかという山田独自の価値観や考え方が「楽しめる」背景にある。

「ラグビーを長くやっているので、いろいろなものがしっかり見えてきたり、いまも経験をしなきゃもったいないとも思っています。経験を生かしてからの、いい経験じゃないですか。それと、よくありがちですけど、セカンドキャリアのためにファーストキャリアを生かすというのも、もったいないと僕は思うんです。だって、自分の経験を一番生かせるのはセカンドキャリアじゃなくてファーストキャリアですから。僕も経験を生かす世代になってきている。より新しい経験も得られています。それを、もっとここからの人生に生かしたいですね。もちろん、今までと同じくらい現役が続けられるといえば物理的に無理だと思います。でも、残り僅かで終わらせるという考えではなくやっています」

 選手生命が飛躍的に伸びていることも39歳の現役活動を支えているが、今回の浅草での個人トレーニングのように、若い頃から自己研鑽に取り組んで生きたことも山田流。若い時から続けてきた自己投資が、2015年ワールドカップ(W杯)サモア戦での“忍者トライ”と賞賛された体を反転させてのトライのようなトリッキーなプレーに繋がり、40歳を前にしたいまも配当を受け続けているようにもみえる。

「体力的には全然問題ないですよ。問題ないし、むしろ上がっていますね。今回のジムもですが、体のケアに時間を費やすということは、学生の時からラグビーを仕事にしていくと決めてからは、そういうマインドに近い考え方は持っていました」


高校卒業後、本当は大学にも慶應にも行きたくなかったという【写真:吉田宏】

■北九州の進学校出身「正直、慶應にも大学にも行きたくなかった」

 山田章仁という存在を強く認識したのは、慶應義塾大監督だった故上田昭夫さんからの話を聞いた時だった。

「山田というすごいWTBがウチ(慶應)に来てくれる」

 高校日本代表合宿に参加した小倉高の3年生について話していた故人の嬉々とした笑顔を思い出す。北九州の進学校出身の山田だが「正直、慶應にも大学にも行きたくなかった」と明かしている。横浜市の慶大日吉グラウンドにやって来てからも、卒業後のプロアスリートとしてのキャリアを思い描きながら部活に打ち込んでいた。山田にとっては、アスリートとしてどう自分を鍛え、最大限のパフォーマンスを引き出すために体を管理していくかが大きなテーマだった。そのため、伝統校、卒業後の社会人ラグビーも含めた「組織の勝利が優先」という日本の体育会的な風土の中では摩擦も少なくはなかった。

「当時は批判もいっぱい貰いました。チームと違うトレーニングをするなんて、今では結構当たり前のことですけれど、あの頃はそんなこと勝手にやるなという声もありました。怪我をした時も、自分が慎重にやりたいと考えても、チーム側からはもう出来るだろうと、理解してもらえないこともありました。でも、あの頃の僕のスタンスは、いまでもあまり変わっていない」

 2015年、19年W杯での日本代表チームの躍進や、国内リーグもプロ化へと舵を切り始めたことを追い風に、日本のラグビーがようやく山田の考える姿に近づいてきたようにもみえる。東京での個人トレーニングでも、信頼を寄せるトレーナーの下で独自のプログラムを組み、インタビュー後のセッションでは、骨盤をしっかりと前方に押し出しながら、体幹を鍛え、自分の足腰の稼働領域を高めるなど、トライゲッターとして戦える体作りに取り組んでいた。

「例えば体を端から端まで使えるようにするメニューなどに取り組んでいます。いままで鍛えてきたものを、しっかりとパフォーマンス出来るようにしたいですからね。脳と体を繋げるようなメニューかな。右側に右手を上げたい時にすっと上げられるようなことです」

 個人で自分自身の能力を伸ばすためのプログラムに取り組んできたのが山田らしい。誰かにやらされるのではなく、自分で課題を見つけて、その解決方法を見つけ出しながら、トップアスリートとして走り続けてきた。

「トレーニング内容とかは、戦術等によって自分の体の使い方が違う。なので、そこでのマイナーチェンジをしたりしています。日本代表の戦術だって、随分変化しているでしょ。体もいろいろトランスフォームしないと活躍出来ないと思います。それが出来る選手が長くプレーできるんじゃないかな。日本人の、そういう痒いところに手が届くような選手になることが、世界でプライスレスになっていくんじゃないかなと思うんです」

 所属する九州KVは1951年創部という伝統を誇るチームだが、昨季は昇格したディビジョン2で2勝8敗の6チーム中5位。九州を拠点とする下位リーグのチームでプレーする中でも、日本代表時代と変わらない、世界の中でどう日本選手としての、そして山田章仁という一人のアスリートとしての独自性、優位性を持てるかを追求している。いつも笑顔が絶えず、冗談めいた話も多い山田だが、田中史朗や堀江翔太ら日本ラグビーのフロンティアたちと変わらない、自分が成長することへの投資を惜しまない貪欲さ、前向きな姿勢は39歳のいまも変わらない。

「フィールドの上ではもちろんですが、僕もホンダ、パナ、NTT、そして海外のチームにも行かせてもらって、組織の中での様々な人たちとの関わり方とかを経験してきた。国籍を問わず多様な価値観を持った選手たちとラグビーを通して繋がりも出来た。そんな経験は、今も存分に生きています。80分間のプレーの中でのスキルなどでもそうですし、最初に話した“楽しい”という面でも同じなんです。今までに会ったことのない人と会うのって楽しいじゃないですか。そういう人の話を聞くのと同時に、今までやったことがないプレーを見せてもくれる。彼が経験してきた話や時間の過ごし方とかも持っている。そんな人たちと、ラグビーという一本の軸がある関係性の中で時間を共有するのって、むちゃくちゃ楽しいんです」

 39歳という年齢でも現役に拘る理由と共に山田自身の言葉で聞きたかったのは、何故九州での挑戦を選んだのかだった。もちろん、自分自身の故郷でプレーしたいという思いは多くの選手が抱くだろう。だが、これまでプレーしてきたチームの大半がプロを容認してきた一方で、3年目の新天地は山田のような一部のプロ選手は受け入れるものの社員選手をベースにチームを構成している。それでも九州KVでのプレーを決めた理由に、山田は1つのキーワードを挙げている。

「元々グローバルな選手になりたいという気持ちがあったんです。でも、そこから経験を積むことでグローカルという言葉になってくるんです」

■山田が使っている「グローカル」という考え方とは

「グローカル」はグローバル(世界的な)とローカル(地域的な)を掛け合わせた造語で、世界的な視野に立ってそれぞれの地域性、独自性を考えることを意味する。いまでは世間で飛び交っている言葉だが、山田が初めてグローカルという言葉を知ったのは慶大入学当時だった。大学入試の頃は「グローバル」、つまり海外志向の強い高校生だった山田だが、周囲の友人から聞いたのが「グローカル」だった。そのワードを山田自身が使ったのが日本代表合宿だった。すこし脇道に逸れるが、当時のエピソードが興味深い。

「2017年の合宿だったかな。チームのワークショップで、ジェイミー(ジョセフ前日本代表ヘッドコーチ=HC)が、どうしたら日本代表が強くなるかというテーマで8組くらいに分かれてのグループディスカッションをさせたんです。そこで僕らのグループは、フィットネスを高めるとかウェートトレーニングでベンチプレスを何kg挙げるとかじゃ古臭いと考えて『グローカルでいこう』という話になった。チーム内にはいろいろな国籍の人がいて、ここが一番のダイバーシティだよねということから、僕らが日本の文化とか、日本しか出来ないプレーとかを大切にすることでファンにメッセージを伝える。そこに力を注げると組織は強くなるという話をプレゼンしたんです」

 自信を持って発表したワークショップだったが、ジョセフHCを始めチームの反応はあまり良くはなかったという。だが、次の合宿で配布されたチーム資料には、しっかりと「グローカル」という言葉が記され、その後の取材の中でもジョセフHCを始め様々な選手がこの言葉を口にしていたのは取材する側としても記憶に新しい。

「僕がラグビーを選んだのも、世界で仕事をするためには、自分にはラグビーしかなかったからです。そこでW杯とかを経て、グローカルにこそ面白みがあると考えるようになった。じゃあ山田がグローカリゼイションを体現してみようと。W杯なり海外にいろいろと行かせてもらった中で、最後はやはりお世話になった人の前でやりたいという気持ちもあった。ローカルという部分での九州の良さも見つけて、発信していきたいという思いから九州でプレーすることを決めました」

 世界規模で選手が集まるチームを本当の“ワンチーム”に束ねるための軸になるのが、実は国際性ではなく独自性だという考え方は、日本代表というチームには欠かせないコンセプトだったのは、2015年、そして19年のチームの躍進を見てきたファンの多くが感じているだろう。そんなキーワードの源泉は、山田の当時はあまり受けが良くなかったグループディスカッションにあるという。

「やはり日本で生まれ育って、日本の良さって感じるじゃないですか。日本のローカル、もっと言うと(地元の)九州の良さを、18歳で離れてしまってから今まで自分自身でも見つけられなかった。生活をしていなかったから。例えば、どんな美味しい食べ物屋さんがあるかと聞かれてもわからない。ここまで勉強とラグビーくらいしかしてこなかったからです。だから、いろいろ経験させてもらう中で、『戻らないともったいない』という思いになったんです。今帰れば、僕の経験を活かせるし、生かしたいという思いもありましたし、もっと九州の良さにも気づける。そんな思いで戻ったんです」

 グローカルという考え方に拘るのは、山田自身がアスリートとして自分が置かれた立ち位置を自分なりに理解した上での結論でもあった。

「僕は、すべてのアスリートの中でトップはイチローさんや大谷翔平選手らだと考えています。この人たちが1割いたとして、残りの9割には、プロ野球の二軍選手もいれば、名前も知らないJリーグ下部の選手もいる。この中に僕もいるんです。僕の場合はマイナー競技のメジャー選手ですかね。大谷のようなメジャー競技のメジャー選手は、グローカルなんてことは考えなくていいんです。でも、“マイナーのメジャー”にはすごく大事だと思うんです。このグループの中にいるグローバルな経験とかをしてきた人は、地元では皆ヒーローなんです。彼らが地元に与えられるインパクトって結構すごいと思うんです」

 そんなグローカルな視点を持って、山田は故郷・九州を挑戦の場に選んだ。後編では、所属する九州KVへの思いから、新たなピッチ外の構想、そして長きに渡りトップ選手としてプレーしてきた代表チームと日本ラグビーの「いま」を聞いた。

(後編へ続く)(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)

吉田 宏
サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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