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能登半島地震で1か月以上ばらばらに 鵬学園を結束させた主将・下地李采の決意「自分が引っ張らないと」【ウインターカップ】

THE ANSWER / 2024年12月25日 9時9分

主将としてチームを引っ張る鵬学園・下地李采(右)【写真:(C)SoftBank ウインターカップ2024】

■SoftBank ウインターカップ2024

 バスケットボールの第77回全国高校選手権「SoftBank ウインターカップ2024」は24日、東京体育館で大会2日目が行われ、女子2回戦では3年連続6回目の出場となる鵬学園(石川)が2年ぶり12回目出場の県立湯沢翔北(秋田)に88-63で勝利した。1月の能登半島地震で校舎が被災。1か月以上も全体練習ができない中、主将の決意がチームの結束を強くした。(取材・文=THE ANSWER編集部・鉾久 真大)

 1月1日。能登半島を最大震度7の大地震が襲った。鵬学園のある七尾市は震度6強を観測。校舎の階段にはヒビが入り、前庭もボコボコになった。全寮制だが、正月のため全員が帰省中。同市出身の山本弥音(みお・2年)は当時、家族と車に乗っていた。ブレーキを踏んでいるのに車が動く。「本当に怖かった」。帰宅すると自宅は半壊状態。1週間ほど一時避難を余儀なくされた。

 主将の下地李采(りさ・3年)は沖縄出身。愛知県のおばの家にいたが、確かに揺れを感じた。ニュースをつけると石川県が大変なことになっている。すぐに仲間に連絡するが、電波がないため既読にならない。「ずっと心配な気持ちで待っていた」。ようやくみんなの無事が確認できて胸を撫で下ろすも、今度は高校バスケ最後の1年に対する不安がやってきた。

 寮がしばらく使用できず、体育館も4分の3が使えない状態。すぐに七尾に戻ることはできない。練習場所を確保するため、下地は震災の1週間後から実家に帰省した。沖縄のビーチでダッシュを繰り返す日々。「七尾の子たちは少しだけど集まれてやっていたので、戻った時に足を引っ張らないように」。中学の後輩たちの力も借り、体力を落とさないようにと自主練習を重ねた。

 部員全員が集まり、「明けましておめでとう」と言い合えた時にはカレンダーはすでに2月になっていた。2月9日にようやく全体練習が再開。それも滋賀短期大学附属高など県外の体育館を借りての再始動だった。1週間後には鵬学園に戻ったが、体育館は他の部活と交代での使用。週に2、3日しか満足に練習できず、「石川県内でも勝てるかな……と不安だらけだった」と山本は打ち明ける。

■震災を経て生まれた変化「よく声を出すようになった」

 牽引したのが下地だ。部員の半数以上が石川県出身。引っ越しを余儀なくされた生徒もいる。「こんなことがあっても頑張っているチームメートを凄く尊敬する。辛い思いをしている子も沢山いるので、自分がもっと引っ張らないとダメだ。自分が盛り上げようと沢山声をかけた」。本間遼太郎監督も「よく声を出すようになった。自分たちで盛り上げる場面が凄く多くなった」と変化を実感する。

「自分が声を出せば、周りの誰かも出してくれる。どれだけ悪くても、声だけは絶対なくさない」。主将の覚悟に引っ張られるように、下級生もどんどん発言するようになった。「もともと先輩後輩が関係ないチームだったが、それがより深まり、何でも本当に言い合えるようになった」と山本。本間監督は「結束が強い」と今のチームを表現する。

 この日も東京体育館のコートに「1本1本!」「強気で強気で!」と大きな声が響いた。ディフェンスリバウンドをしっかり拾って走る。持ち味のバスケットで2連勝。下地と山本は2試合連続で二桁得点と躍動した。逆境を乗り越え、夏のインターハイでは8強入り。今大会もあと1勝で初のベスト8進出だ。

「自分たちが結果を出して、地域の人たちにもっと勇気と元気を与えられるようにと頑張ってきた」(山本)。「いろんな大学や高校にお世話になった。当たり前じゃないと実感できた。感謝して恩返ししよう」(下地)。温かく支えてくれる地元の人たちのためにも、練習場所がない時に受け入れてくれた県外の人たちのためにも、鵬学園は優勝を目指す。(THE ANSWER編集部・鉾久 真大 / Masahiro Muku)

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