“女子よりも遅い弱小陸上部”が箱根常連校に 自腹で全国回り勧誘、アパート共同生活「自信得るまで20年…」
THE ANSWER / 2024年12月27日 17時3分
■「箱根駅伝監督、令和の指導論」 中央学院大・川崎勇二監督/第1回
第101回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)が1月2、3日に行われる。「THE ANSWER」は令和を迎えた正月の風物詩を戦う各校の指導者に注目。コーチ時代を含め、40年の指導キャリアを持つ川崎勇二監督が指揮するのが中央学院大だ。高校時代、タイムが普通でも個性的で可能性がある選手を強化し、上級生で開花させ、チーム力を高めていくやり方は強豪校とは異なり、育成型チームの模範であり、代表的存在でもある。その軸にいる川崎監督に中央学院大で指揮を執ることになった経緯、指導理念、今回の箱根駅伝について話を聞いた。(全4回の第1回、聞き手=佐藤 俊)
◇ ◇ ◇
――中央学院大の監督に就任されたのは、どのような経緯からだったのでしょうか。
「順天堂大を卒業して、地元の神戸で中学校の教員になろうと考えていたんです。そうしたら大学の恩師である澤木(啓祐)先生から連絡が来て、『中央学院大から長距離を強くしたいので指導の話が来ている。もう先方と連絡しているのでコーチとして行け』って言われまして(苦笑)。さすがに躊躇して、1日だけ考えさせてくださいと伝えました。いろんな人に相談したら『澤木さんならちゃんと面倒を見てくれる』というので、お引き受けした感じです」
――中央学院大で指導を始めた当時、チームは、どんな状態だったのでしょうか。
「コーチで入った85年当時、陸上部はあってないようなものでした。トラックがないので更地を走り、寮もありません。部員が10人程度で、長距離は2~3人でした。1500mのベストが5分ちょうどぐらいで女子よりも遅かったです。これじゃとてもじゃないけど強くするのは無理だと思い、常勤助手として授業があったので、その合間に自腹で全国を回って翌年、2人の長距離選手が入りました。そこからが本当のスタートになりました」
――寮がない中、どのように生活し、強化していったのですか。
「私が勧誘してきた学生2人と短距離の選手を合わせて5人は、我孫子にアパートを借りて共同生活をしていました。近くに私が住んでいたので食事の時だけ自炊の指導をして、練習は一緒に走っていました。そんな状態だったので、箱根に出るとか、まったく考えられなかったですね」
40年の指導キャリアを持つ川崎監督、指導に自信を得るまでに20年かかったという【写真:中戸川知世】
■70回大会で初出場も成績安定せず…指導に自信を得るまでにかかった20年
22歳でコーチに就任し、順大の練習メソッドを取り入れて強化しようとした。だが、指導して数か月後には、それがフィットしないと感じたという。
――練習のレベルが高すぎたのでしょうか。
「私が高校から順大に進んだ時、澤木先生にあれこれ言われて、『なんのこっちゃ』とポカーンとしていたのと同じで、サークルレベルで走っていた子たちには理解できなかったのでやめました。それから高校時代の練習を取り入れ、その内容を逐一説明して、丁寧に細かく指導していくようにしました」
――その指導が実を結んだのはいつ頃だったのですか。
「うちは、70回大会の箱根駅伝が初出場だったのですが、なかなか成績が安定せず、シードが取れないのが続いていたんです。神奈川大が68回大会で18年ぶりに箱根に出場した時、年下なのですが、監督だった大後(栄治)さんに指導についていろいろ話を聞いたんです。そのやり方は私のやり方でもあったので、これでいいのだと自信を得ることができました。そうして自分の指導に自信が持てるようになるには、20年ぐらいかかりました」
2008年の第84回大会では総合3位になり、2015年から19年まで5年連続でシード権を獲得し、中央学院大の名前を全国区にした。シードを獲れるようになると当然、欲が出てくる。勝ちたいと思うのは勝負師の本能とも言えるものだが、それを指導者が前面に押し出すと冷静に判断できなくなることがある。
――監督は、選手を勝たせたいよりも自分が勝ちたいと思う意識が強く出てしまうことがありますか。
「それは、もうしょっちゅうあります。でも、それをしてはいけないですね。指導者が選手よりも勝ちたいと勝利を求めてしまうと絶対に失敗します。私も若い頃は、若気の至りで、そういう考えになってしまったことがあります。今だと、なんて馬鹿なことをしたんだろうなって思いますね」
――指導者自身が勝ちたいと強く思うと具体的に、どんなことが起こるのですか。
「自分の指導について来れない学生を排除してしまいます。できないと、『なぜできないんだ』という言い方しかできなくなります。そうして一部のできる選手しか見なくなるので、それは指導者としても教育者としても失格でしょう」
――指導者の評価については、どう考えていますか。
「私は、優勝することがすべてだとは思っていません。私の指導者の評価、理想は常に卒業生たちが集まってきてくれることです。卒業したら一切、学校に目を向けないというのは寂しいですよね。そうならないように学生にしっかりとコミットして、濃い4年間を一緒に過ごしていく。私は、指導者というよりも教育者に近いかもしれません。スタートが教育だったので、教え子たちが来てくれるのはすごくうれしいですよ」
(第2回へ続く)
■川崎 勇二 / Yuji Kawasaki
1962年7月18日、広島市生まれ。報徳学園高(兵庫)で全国高校駅伝に出場するなど活躍し、順大では3年生だった1984年箱根駅伝に出場(7区区間9位)。卒業後の1985年に中央学院大の常勤助手になり、駅伝部コーチに。1992年に監督就任。1994年に箱根駅伝初出場を果たす。2003年からの18年連続を含め、今回で計24度目の出場。2015年から5年連続シード権を獲得し、最高成績は2008年の3位。現在は法学部教授として教鞭を執る。(佐藤 俊 / Shun Sato)
佐藤 俊
1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)など大学駅伝をはじめとした陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。
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