箱根駅伝に異変 “長距離不毛の地”沖縄ランナーが躍進、環境不利な南国で何が…変革を牽引した2人の存在
THE ANSWER / 2025年1月2日 7時13分
■今日号砲の箱根駅伝に6人の沖縄出身ランナーがエントリー
高校や都道府県対抗の陸上全国駅伝は40番台が定位置、個人でも目ぼしいランナーはピンとこない――。そんな「長距離不毛の地」だった沖縄が、変わりつつある。大学スポーツの花形である東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)に出走した沖縄県勢は、これまで十数人にとどまるが、今回の第101回大会にエントリーした選手は6人。史上6校目となる3冠達成を狙う國學院大学で主力を担う上原琉翔(3年、北山高校出身)を筆頭に、力のあるランナーがポツポツと現れてきた。育成環境としては不利とされてきた暑さの厳しい南国の離島県で、何が起きているのか。変革をけん引してきた北山高校前監督の大城昭子さん(61)、陸上クラブ「なんじぃAC」の創設者である濱崎達規さん(36)に話を聞いた。(前後編の前編、取材・文=長嶺 真輝)
◇ ◇ ◇
既に名前を出したが、近年の沖縄長距離界を引っ張るのは北山高校だ。那覇市から北へ、沖縄自動車道を使って約1時間半、沖縄の原風景が残る今帰仁村に立地する。著名な観光地「沖縄美ら海水族館」がある本部町の右隣にある村と言えば、場所のイメージがより伝わりやすいだろうか。
北山高校の躍進を最も印象付けたのは、2021年の冬。第72回全国高校駅伝の男子で2時間7分48秒のタイムで47校中27位に入り、沖縄県勢の歴代最高順位を塗り替えた。
上位半分にも入っていないため、「躍進と言えるのか…?」と疑問に思う人もいるかもしれない。が、順位の更新自体が実に40年ぶりで、男子の20位台も史上初という快挙だった。その間、40~50位台が34回あり、最下位の年も多かったため、テレビの全国中継で県勢が毎年最後の方に競技場へ戻ってくることに見慣れていた沖縄県民にとっては、間違いなく「躍進」だった。
当時3年生でエースとして1区を担ったのが、國學院大学3年の上原琉翔だ。今回の箱根駅伝にエントリーしている沖縄県勢では、同大3年の嘉数純平、日本大学3年で副主将の大仲竜平も共に都大路でタスキを繋ぎ、一つ下である中央学院大学2年の前原颯斗も補欠で帯同した。
彼らを育て上げたのが、2024年3月まで10年間に渡って北山高校の駅伝部監督を務めた大城さんである。上原ら“黄金世代”を率い、2020年にも沖縄県勢として歴代4番目に当たる34位に入った。なぜ、ここまで結果を残すことができたのか。その背景には、指導者となってから30年以上に及ぶ大城さんの試行錯誤があった。
沖縄長距離界のレベルアップを目指し、日々選手の育成に汗を流す(左から)濱崎達規さんと大城昭子さん【写真:長嶺真輝】
■日中回避とプール活用 “亜熱帯地域”ならではのトレーニング
自身も北山高校出身の大城さん。もともと400mをメインとした短距離選手だったが、中京大学で長距離に転向した。大学1年生だった1983年に女子の全国都道府県対抗駅伝が始まり、第1回大会から5年連続で出走した。アンカーを務めたことも2回ある。
しかし、順位は毎年最下位争い。「沖縄」と書かれたタスキを掛け、競技場へ戻った時にスピーカーから流れる順位のアナウンスとねぎらいの拍手は屈辱的だった。劣等感と同時に、使命感が湧いた。
「沖縄の子ども達に同じ思いをさせてはいけない。長距離の指導者になろう」
1989年に地元沖縄で体育教師として本採用となり、1994年に赴任した本部高校で女子の駅伝部監督に就いた。大学で積み重ねたノウハウを伝え、県高校駅伝で最高3位に。ただ、なかなか全国の舞台に届かない。2001年に転勤した名護高校で、改革に乗り出す。
強豪校の練習方法を知ろうと、九州大会で知り合ったコーチに「チーム練習に混ぜてほしい」と頼んで回った。しかし、力の差が大き過ぎて、厳しい言葉を掛けられることもあった。
「一緒に走っていると名護高校の選手たちがバタバタと落ちていくから、『練習の雰囲気が壊れる』と言われたこともありました。当然あちらも本気なので、そう言われても仕方がない。ただ、沖縄を強くするためにはそんな事で諦める訳にはいきません。先生方の厚意で貴重な機会を頂けたので、毎年休み期間を利用して九州の強豪校へ自費で勉強しに行きました」
学んだ練習メニューをそっくり沖縄に持ち帰った。夏休みや休日は2部練習を行い、できる限り長い距離を走り込む。しかし、期待したほど選手の走力が伸びていかない。障壁となったのは、やはり「暑さ」だった。
「沖縄の冬は気候的にも長距離練習に向いているのですが、問題は一番力を伸ばしたい時期である夏場でした。県外であれば涼しい山もあるから日中でも長く走れますが、沖縄の夏は午前8時頃には既に厳しい暑さになっているので、炎天下で走るとすぐにバテてしまいます。内臓疲労のリスクも高い。日中を避けて早朝と夕方以降に2部練習を行った時期もありましたが、今度は睡眠不足でうまく疲れが取れませんでした」
悩んだ末、名護高校6年目で2部練習を廃止。「長い距離を踏む」という発想を捨て、チーム練習は午前中のみにした。国内唯一の亜熱帯地域に適したトレーニングとは何か。模索した。
まず重視したことは、選手を紫外線に当てないこと。ただ沖縄は涼しい高地の山が少なく、日陰の少ない周回コースは皆無だった。思い出したのは、寒冷地で指導する学校のコーチの言葉だ。「雪で外を走れない時期は、校内の廊下を行ったり来たりしています」
沖縄は外を走れない時期はない。だから、日陰が続く短い距離を往復すればいい。近所にある緑豊かな歴史公園「名護城公園」で木に覆われた場所を探し、300m程の坂道をひたすら上り下りした。それを1日に20本こなし、12kmを踏ませた。
それが終わると、次は室内で全身の筋力トレーニングを行う。最後は地域にある屋内プールに場所を移し、1600~2000mを泳がせた。約4時間をかけ、三つの練習を午前中で終わらせた。
「補食を取りながら4時間ずっと運動をするので、トライアスロンをしているイメージです。最後にプールを泳ぐことで筋肉がほぐれ、体も冷やされるから水をがぶ飲みすることによる内臓疲労のリスクもない。徐々にスタミナがつき、3時間ほどで全てのメニューをこなせるようになっていきました。午後はそれぞれが自宅近くでできるだけ涼しい場所を探し、10~15kmを踏む。夏休みが終わる頃には、一人ひとりの体が目に見えて絞れていき、走力も伸びました」
名護高校の女子駅伝部を率いてから、既に3度全国大会に出場していたが、いずれも40位台。しかし、練習内容を見直してから臨んだ2007年に47校中34位に入り、58校が参加した翌2008年は37位に。都道府県ごとで1チームずつの47校に置き換えると、28位という結果だった。
沖縄ならではの指導方法に好感触をつかみ始めたタイミングで、10年間の名護高校勤務が終了。辺土名高校を挟み、2014年に北山高校へ赴任した。より馬力のある男子も指導し始めたことで、今度はスピードの強化にも着手した。
名護高校の頃と同様に、県外の強豪校の練習に参加させてもらいながら、新たなトレーニング方法を模索する日々。その最中、沖縄の長距離史を代表するランナーが帰省した。濱崎達規さんである。
自ら立ち上げた「なんじぃAC」で選手達に指導する濱崎さん(中央奥)【写真:長嶺真輝】
■競技人口“全国最下位”の中学年代で受け皿に
本島中部のうるま市出身で、与勝中学校で陸上を始めた濱崎さん。自らを高めていく過程やチームで戦う競技性に魅力を感じ、「将来は陸上でご飯を食べたい」とのめり込んだ。
長距離選手として沖縄工業高校時代に頭角を現し、亜細亜大学では箱根駅伝に2度出走。その後、沖縄県勢では数少ない実業団選手に。小森コーポレーションで6年続けて全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)を走り、主将も務めた。エース区間の4区を走ったこともある。2017年に打ち立てたマラソンの2時間11分26秒は沖縄の県記録であり、五輪選考会にも出場した。今も現役で大会に出場し続けている。
濱崎さんには、国内の一線に身を置いていた頃から強い思いがあった。「沖縄のレベルを引き上げたい」。都道府県対抗駅伝ではいつも下位。その感情は、大城さんが現役時代に抱いた劣等感、使命感と通じるものがあった。
2017年に帰省後、本島南部の南城市役所に勤務しながら市民ランナーとして競技を続けた。さらに「自分が走るだけじゃ変わらない。これまでの経験を直接伝えるしかない」という思いを形にする。2018年、同市を拠点に小中学生を対象としたクラブチーム「なんじぃAC」を大学時代の先輩と一緒に設立し、長距離選手の育成に乗り出した。
この取り組みが、暑さとは別に沖縄が抱える難題に一石を投じることになる。
実は、沖縄は他県に比べて中学校の陸上部が極端に少ない。2022年度の日本陸上競技連盟の登録者数は、中学で全国最下位の737人。46番目の鳥取県は1018人だが、県全体の人口は沖縄の3分の1ほどのため、いかに沖縄が少ないかが分かる。
沖縄では、部活動の垣根を越え、各中学校で選抜された選手が競技ごとで競い合う独自の「地区陸上大会」(通称:地区陸)が半世紀以上に渡って開催されてきたこともあり、陸上自体が根付いていない訳ではない。ただ、「他の部活に所属しながら陸上もやる」というスタイルが定着してきたことも事実で、同年度の高校登録者数も677人と全国45番目の低水準だった。中学校の駅伝大会も、同様な形で様々な競技の部活動からの選抜でチームをつくる学校がほとんどだ。
以前から陸上選手を発掘するハードルは高かったが、教員の働き方も含めた部活動改革が進む中、2023年を最後に地区陸で選抜された選手が出場する上位大会の県秋季陸上大会が終了。中学年代の受け皿を維持するため、クラブチームの存在意義はより高まっている。
濱崎さんもその役割は強く自覚している。
「自分がやるべきことは、沖縄の中学生が長距離に触れる場をつくり、魅力を伝え、母数を増やすことです。その上で、高校でより本格的に競技をやってもらう。『沖縄が弱い』というイメージは全国高校駅伝の結果によるところが一番大きいので、そこの強化につなげたいです」
なんじぃACの効力は、立ち上げ直後に早速発揮された。
当時、那覇市立仲井真中学校で野球部に所属していた上原琉翔、バスケットボール部だった嘉数純平らが選抜されて出場した県の駅伝大会で優勝を飾り、高い将来性を有していたため、濱崎さんが声を掛けてなんじぃACの練習にも参加していたのだ。那覇市内にも陸上の強豪校はあるが、彼らが地元から離れた北山高校に進学した経緯はこうだ。
「僕が沖縄に帰ってきた直後から、昭子先生は『実業団でどんな練習をしてたの?』と尋ねてきてくれたり、選手をレベルアップさせるために北山高校の練習に自分を参加させたりして、いい意味で僕を利用してくれていました。先生から依頼を受け、先生が彼らを勧誘する場をつくり、北山の指導方法に魅力を感じたようです。特に上原は当時からカリスマ性が強く、彼が進学先を決めたことで、この世代における沖縄の中学校トップ10のほとんどが北山高校に行きました」
2019年、上原や嘉数ら黄金世代が集結。「自分たちは沖縄の歴史を変えるためにここに来ました」。入学時点でそう宣言した選手たちを前に、大城さんは頼もしさを感じたという。「私もずっと沖縄の長距離を変えたいと言っていて、彼らと目指すところが一致しました。練習の改革を続けていましたが、彼らもすんなり変化を受け入れてくれました」と振り返る。
後編では、大城さんが北山高校で取り組んださらなる練習改革、そして、高校野球で一躍注目を浴びる“あの高校”を舞台とした次なる一手を紹介する。(長嶺 真輝 / Maki Nagamine)
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