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一度はプロを諦めた24歳女子が“あしながおじさん”に救われた話 ゴルフ難関突破の裏に「続けなさい」の言葉

THE ANSWER / 2025年1月12日 7時43分

私服姿で取材場所に現れた青木香奈子。6度目のプロテストで合格を掴んだ苦労人だ【写真:編集部】

■青木香奈子は合格率3.74%のプロテストに6度目で合格

 今季国内女子ゴルフツアー開幕まで残り2か月。各選手は調整を本格化させている。昨年11月、合格率3.74%の超難関プロテストを突破した26人も「やっとスタートラインに立てる」の思いで試合を心待ちにしている。6度目受験で合格の青木香奈子はスポンサー契約が続々と決定。だが、ここまでの道は険しく、クラブを置いた時期もあった。そのストーリーを本人に聞いた。(取材・文=柳田 通斉)

 ◇ ◇ ◇

 東京のベイエリア。青木は私服姿で取材場所に現れた。「東京に住んで約1年です。今、宮崎から転居した時からは想像もつかない状況になっています」。そう振り返る24歳は、22歳の時にいったんゴルフから離れていた。

「高校を出て大学卒業の年齢になるまでに『プロテストに合格する』と決めていたからです。本当に『もう、終わったこと。やっぱり、大学に行くべきだった』と後悔もしていました」

 青木は10歳の時、祖父からの勧めでゴルフを始めた。

「バレーボールにも熱心で、部活を終えて週2回ペースでレッスンを受ける感じでした。勉強も好きで頑張っていました」

 高校に入ると、ゴルフ1本に絞った。中3からは宮崎県の大会で優勝、九州大会でも上位に入ったが、全国大会では予選落ち続き。同学年で優勝争いをしていた古江彩佳、安田祐香、西村優菜、吉田優利らは「雲の上の存在」だった。それでも、高3で大学進学ではなく「プロになる」と決断。地元のフェニックスCCでキャディーをしながら、研修生として練習を重ねる日々を送った。

「宮崎は温暖ですし、練習環境は最高でした。2019年に受けた1回目のプロテストは1次予選の1週間前に左足側面をはく離骨折してしまい、1打差で落ちました。ただ、合格するような実力はなく、『いい経験ができた』という思いでした」

 20年のテストはコロナ禍で延期になった。翌21年には、延期された前年分含めて2回のテストが実施されたが、いずれも2次予選止まり。22年のテストは「大学4年の年齢。これが最後」と決めて受験した。結果は1打差で1次予選不通過だった。

「自分にプレッシャーをかけすぎました。すごく悔いが残りましたが『これ以上、親に負担をかけたくない』という思いもあり、両親にもそれを伝えました」


最終プロテストはボーダーライン上で突破。遂にプロゴルファーとなった【写真:Getty Images】

■クラブを置いた日々…あしながおじさんにかけられた「絶対に続けなさい」が転機に

 クラブを握らない生活になったが「自分はゴルフしかしてこなかった」「次の道に踏み出すにも勇気が必要」と思い、キャディーの仕事は続けていた。23年3月、同コースで会った男性会員に真顔で言われた。

「続けなきゃダメだ。宮崎にずっといるから力が出せないんだよ。関東に行けば、試合の機会はたくさんある。そのための必要経費は出してあげるから、絶対に続けなさい。レッスンでJLPGA(日本女子プロゴルフ協会)の会員になる道も考えなさい」

 男性は東京で会社を経営。志半ばで道を諦めた青木を立ち直らせるべく、善意で支援を提案してくれていた。

「私は『宮崎にずっといるから』という言葉に『ハッ』とさせられました。確かに試合の機会が少ない。そのままテストを受けるから力を出し切れないことにも納得しました」

 5度目となった23年プロテストは2次予選不通過だったが、実戦経験が増えたことでの手応えがあり、「もっと試合に出たい。環境を変える必要がある」と決断するに至った。

「昨年2月、東京での生活を始めました。大きな賭けでした」

 男性は経費面の援助だけでなく、プロテスト合格を目指す選手たちが集うマイナビネクストヒロインツアーに参戦するきっかけも作ってくれた。青木自身も、23年11月から本格的に始めたインスタグラムでフォロワーを着実に増やした(1月11日時点で5.1万人)。ゴルフ番組のほか、さまざまな試合やプロアマ大会から出場オファーが届くようになり、東京での一人暮らしに十分な賞金を手にした。

 宮崎にいる武井龍太コーチからのオンライン指導に加え、パッティングに関しては、自身でコンタクトした橋本真和コーチに師事した。6度目となった昨年のプロテストは1次、2次予選を余裕で通過。10月半ばにはマイナビネクストヒロインツアーで初優勝を果たし、万全の状態で初めて進出した最終プロテストに臨むことになった。

「試合を多くこなしてきたことで、初日から緊張せずにプレーできました。ただ、最終日の16番でボギーを打って4オーバーになった時はショックでした。18番では2メートル、下りスライスのパーパットが残りました。『入れても不合格』という思いだったので、いいストロークができました」

 その時点で合格ラインは3オーバー。残り9組がプレーしていたが「落ちた」と思い込んで母親に電話していた。

「『今年もダメだった』と言って、母と一緒に泣きました」

 だが、会場の茨城・大洗GCは難コース。特に上がりの17、18番は難しく、スコアを落とす選手が続出した。合格ラインは通算4オーバーに。青木はもう1度母親に電話し、生配信のYouTubeでテスト状況を見続けた。

「残り2組になって合格が確定し、今後はうれし涙が流れました。私を奮い立たせて再び挑戦させてくれた社長にも電話をすると、『本当に良かった』と言って、泣いて喜んでくださいました」


人生を変えてくれた社長への感謝を忘れず、プロの世界に羽ばたく【写真:編集部】

■契約オファー続出も…あしながおじさんは見返り求めず「欲しいものない」

 もともと人気のあった青木だが、YouTubeで笑顔がたちまち話題になり、ゴルフファンからさらに認知される存在に。合格後は多くのマネジメント契約、スポンサー契約のオファーが届いた。

「マネジメントは『ゴルフサバイバル』(BS日テレ)や『女子ゴルフペアマッチ選手権』(BS朝日)に出た時にお世話になった方にお願いしました。スポンサー契約もその方と話し合いながら進めました」

 だが、恩人の社長が経営する会社は契約リストには入っていない。見返りを求めるためのサポートではなかったからだ。青木には「僕は会社のPRとは関係なく応援してきたから」と告げたという。文字通り、現代の“あしながおじさん”だ。

「『何かお礼をさせてください』と言っても、『欲しいものはないから』とおっしゃって。今はゴルフをやめていた私の友人を応援しています(笑)。でも、社長の声掛けがなかったら、今の私はありません。これからもずっと、感謝し続けます」

 テスト合格後のQT(ツアー予選会)は1次を通過できず、今季は下部のステップ・アップ・ツアーが主戦場。同時にJLPGAティーチングプロ資格A級の取得も目指している。

「今年で3年目、カリキュラムでは最後の年です。今季の目標はステップ・アップ・ツアーで1勝、レギュラーツアーでは推薦出場でのトップ10入りですが、資格も取得してゴルフで生きていく地盤を築きたいです」

 昨年、青木はマイナビネクストヒロインツアーのポイントランキング年間1位。他の試合での賞金、プロアマ大会などでの収入も含めると、約1500万円を稼いだという。JLPGAのツアープロは経費がかさむが、青木は支えてくれた全ての人々に感謝し、前に進んでいく。

■青木香奈子(あおき・かなこ)
 2000年4月11日、宮崎市生まれ。宮崎日本大高卒。祖父の勧めで10歳からゴルフを始め、高校1年から本格的に練習。卒業後は地元フェニックスCCの研修生となり、24年2月、東京に転居。ドライバー飛距離は平均250ヤードで、心掛けていることは「笑顔でのプレー」。166センチ、55キロ。血液型O。(柳田 通斉 / Michinari Yanagida)

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