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甲子園V投手がTJ手術を決断 最後の夏まで1年「後悔はない」、高校生として選択した“甲子園より将来”

THE ANSWER / 2025年1月26日 6時33分

異例の道を選んだ思いを語った、健大高崎の佐藤龍月【写真:山野邊佳穂】

■センバツ決定の前回王者・健大高崎、昨夏にトミー・ジョン手術を選んだ佐藤龍月の異例の道

 第97回センバツ高校野球(3月18日開幕・甲子園)の選考委員会が24日に開かれ、32校が選出された。秋季関東大会で準優勝した健大高崎(群馬)も3季連続7度目の出場が決定。春夏を通じて甲子園初優勝を果たした昨春に続く連覇を目指すナインの中に、異例の道を歩む球児がいる。最速146キロ左腕の佐藤龍月(りゅうが)投手(2年)だ。優勝した昨夏の群馬大会後に左肘じん帯断裂と疲労骨折が発覚。トミー・ジョン手術を選択した。異例の決断に至った思いとは――。

 連覇を目指す春。健大高崎ナインはセンバツ高校野球出場の朗報を聞き、写真撮影では高校生らしい笑顔を見せた。その中に佐藤の姿もあった。「センバツは野手、夏は投手で出たい」。残り半年あまりとなった高校野球を見据えた。

 昨春のセンバツで背番号1をつけ、石垣元気投手(2年)と2本柱でチームを牽引し、甲子園優勝投手となった。夏の群馬大会でも優勝。しかし、佐藤の左腕は限界だった。「これは無理だと思った」。3日後、左肘じん帯断裂と疲労骨折を医師から告げられた。「絶望というか……。これが現実かと」。得意のスライダーを多投したことが原因の1つという。治療の選択肢はトミー・ジョン手術か保存治療の2つだった。家族や医師と相談し、「将来的にも手術の方が安全」と判断。10日後には決心した。

 米大リーグ・ドジャースの大谷翔平投手ら、多くのプロ野球選手も受けた手術。復帰までに1年以上を要することが一般的だ。高校生にとっての「1年」はあまりに重い。高2の夏で決断したら、残された高校生活で甲子園は……。それでも迷いはなかった。

 理由は高卒でプロ野球選手になることに憧れてきたから。そして、すでに甲子園優勝を味わえたこと。「春に優勝できたのが大きくて、なかなかできないことを経験できた。甲子園に無理して出るという思いはなかった」。だから、胸を張って言える。「手術したことに後悔はないです」

 真夏の聖地で躍動する仲間たち。開会式は目を背けたが「試合はしっかりと見た」と振り返る。悔しい思いもあったが、夢のためなら踏ん張れた。リハビリ中には下半身を強化。体重は12キロも増量し、最大80キロになった。

「手術をして身体の使い方や考え方を見直す時間ができた。これからの野球人生において大切なこと。怪我をしても落ち込まずに前を向いて頑張ることは大事だから」

 目先の勝利のために、甲子園のために。肩肘が壊れることも覚悟で、投げ続けることが美徳とされた時代もあった高校野球。脱丸刈りの風潮、球数制限の導入など近年は変化している。甲子園だけでなく、その先も見据えた佐藤の選択は、同じ窮地に立つ後輩たちへの道標になる。

 ただ、甲子園の舞台に戻ることを諦めたわけではない。術後の経過は順調。4月には全力投球が解禁される。まずは野手での復帰を目指し、今はバッティングを練習中。最後の夏にはマウンド復帰を視野に入れる。「自分は夏に投げたい。無理はしないけど目標はそこ」。日本一を目指す健大高崎ナイン。異例の道を歩む佐藤の力は不可欠だ。(THE ANSWER編集部・山野邊 佳穂 / Kaho Yamanobe)

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