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弱小校と新設校で…超難題「3年で甲子園出場」2度達成 センバツ話題校・エナジック監督の信条は「時にはホラ吹きも…」

THE ANSWER / 2025年1月25日 14時54分

エナジックスポーツ初の甲子園出場を確定させ、選手に声を掛ける神谷嘉宗監督【写真:長嶺真輝】

■エナジックスポーツの神谷嘉宗監督の歩みと手腕に迫る

 3年で甲子園に出場する――。弱小校や新設校において、新監督が着任早々にそんな目標を掲げたとして、どれだけの選手が真に受けるだろうか。絵空事のように感じる人も少なくないだろう。しかし、この「超」が付くほどの難題を2度に渡ってクリアしてしまった指揮官がいる。1月24日に開かれた第97回選抜高校野球の選考委員会で、九州地区から選出された私立エナジックスポーツ(沖縄)の神谷嘉宗監督だ。(取材・文=長嶺 真輝)

 ◇ ◇ ◇

 24日夕、エナジックの室内練習場。センバツ出場の吉報を受け、選手たちと向かい合った神谷氏の頬を涙がつたった。挨拶の声が詰まる。「創部3年でここまで来られたのも、1期生が素地を築いてくれたからです。感謝の気持ちを忘れず、頑張って行きましょう」。2期生となる2年生を中心とした選手たちの表情が、弾ける笑顔から一転、ぐっと引き締まった。

 エナジックは2022年4月に創部した。「個々の能力が高い強豪に勝つにはこれしかない」(神谷氏)と、当初から取り組んだのは選手同士のアイコンタクトや機動力を駆使したノーサイン野球。ゼロからのスタートとなった1期生15人は実戦練習を繰り返して意思疎通の度合いを少しずつ深めていき、相手の隙を突いて一気に畳み掛けるような攻撃力を身に付けた。

 結果、2024年の県春季大会で甲子園優勝経験のある沖縄尚学と興南を倒し、県大会で初の頂点に。1期生にとって最後の舞台となった夏の沖縄大会は、決勝で延長10回にもつれこむ接戦の末、興南に3-4で敗れたが、沖縄が3強時代に突入したことを印象付けた。新チームとなって迎えた秋、初出場の秋季九州大会で準優勝を果たし、春夏を通じて初の甲子園出場を決めた。

 飛ぶ鳥を落とす勢いで聖地へと駆け上がったが、当初から順風満帆だった訳ではない。

 エナジックは創部から1年前の2021年4月、「世界に翔(はばた)く、トップアスリートの育成」を掲げ、開校した。活用したのは、学校の統廃合により10年ほど放置されていた名護市瀬嵩の旧久志小学校跡地。グラウンドは荒れ果て、もちろん練習道具もない。神谷氏は「ボロボロで何もない場所だった」と振り返る。本島北部の東海岸沿いに位置する学校は、県内で最も人口が多い那覇市から車で2時間近くかかる。野球どころの沖縄では県外の強豪校からスカウトを受け、進学と同時に海を渡る有望な中学生も多く、リクルートが容易ではないことは明らかだった。

 にも関わらず、神谷氏はまだ部自体が立ち上がっていなかった2021年8月の監督就任会見で「3年以内に甲子園に出場したい」と明言している。見事、期間内でのラストチャンスだった今回のセンバツで目標を成就させ、全国の高校野球ファンを驚かせた。

 出場決定直後の囲み取材で聞いてみた。「達成できる確信があったんですか?」。少し苦笑いを浮かべて「確信はないですよね…」と答えた。ただ、根拠が全くなかったかというと、そうでもない。実は、神谷氏には過去に成功体験があったのだ。


運営法人の大城博成理事長とがっちりと握手を交わす神谷嘉宗監督【写真:長嶺真輝】

■「ホラを吹かないと…」美里工で得た成功体験

 その舞台は2011年に赴任した美里工だ。本島中部の沖縄市に立地する。当時、同校は県大会で1、2回戦負けが当たり前のような弱小チームで、過去10年を振り返ってみても春夏秋の三つの県大会でベスト8入りは一度もなかった。2008年に浦添商を夏の甲子園ベスト4に導き、さらなる高みを目指していた神谷氏にとっては、また一からのスタートを意味していた。

 1979年に高校野球の指導者となり、それが6校目の勤務先だった。公立の教員である限り、転勤は付きもの。「やるしかない」。覚悟を決め、再び聖地に立つための挑戦に足を踏み出した。

「低迷が続き、練習施設もあまり整っていない状態だったので、まずは学校関係者やOB会、地域の皆さんを巻き込まないといけない。だから、強い意志を示す必要がありました。『3年以内に甲子園に行くので、協力してください』と言ってまわったんです」

 中でも敏感に反応してくれたのは、OB会だった。沖縄が本土復帰する前の1967年に琉球政府中部産業技術学校として設置された同校は、それまで甲子園の土を踏んだことはなかった。夏の全国選手権沖縄大会で唯一決勝に進んだ1994年も、その後の甲子園2回戦で強豪の横浜に4ー2で勝利して番狂せを起こすことになる那覇商に1-7で敗れた。

 夢の舞台に届かない悔しさを長年積み重ねてきたからこそ、悲願達成に挑む現役生を応援したいという想いは強かった。

「OB会が相当資金集めに奔走してくれて、校庭に大きなネットを張ってくれたり、バットやボールを寄付してくれたりしました。とても心強かったです」。電気関係に強いOBがグラウンドに照明を設置し、用具をしまうコンテナも持ち込んだ。

 甲子園ベスト4の経歴を持つ監督が就任し、練習環境も整っていけば、選手も集まってくるのは自然な流れだろう。弱小校が一転、部員100人を超える大所帯のチームに。活気が出てくるに連れ、荒唐無稽にも思えた「3年以内に甲子園出場」という目標が、選手たちの中でも現実味を帯び始め、練習に取り組む姿勢がさらに上向いていくという好循環が生まれた。

 そして、神谷氏が赴任してから3年目の2013年夏の沖縄大会で1994年以来となる準優勝を達成。またもあと一歩のところで甲子園出場は阻まれたが、その年の県秋季大会で頂点に立ち、迎えた九州大会で準優勝を飾って初の甲子園出場を決めた。

「確信」をもって、神谷氏が言う。

「強い気持ちを持って、自分を鼓舞するためにも、時にはホラを吹くことも必要です。もちろん、その結果として達成できないことはありますが、それに向けて本気で頑張る姿は見てくれる人がいます。目標は口にすることで、多くの人がついて来てくれるようになる。夢は言葉にすることが非常に大事なんです」


ノーサイン野球の精度を深めるため、お互いに意見を擦り合わせながら、実践の練習に取り組むエナジックの選手たち【写真:長嶺真輝】

■選手たちに伝染 エナジックでも好循環生まれる

 美里工を最後に、40年以上に渡る公立校勤務を終えた神谷氏。「転勤がなく、自分の色を出しやすいから」という理由で、2022年4月に創部したエナジックの監督に就いた。

 ここでも「3年以内に甲子園に出場する」という高い目標を掲げたが、美里工の時との明確な違いは、頭に「創部から」という一言が加わることだ。一から、どころか、ゼロからのスタートである。OBもいない。「地域の人たちも当初は『学校ができるのか』くらいの受け止めで、初めの頃は『少し騒がしくなったね』という声もありました」と振り返る。

 それでも、動かないと人は着いて来ない。まずは選手を集めるため、スカウトで全県をまわった。「新しい学校でノーサイン野球をやる」「一緒にチャレンジしよう」。志に共感してくれる選手がチラホラと出始め、自然に囲まれた田舎の新設校に1期生16人が入学し、15人が野球部に入部した。その中には、2024年のプロ野球ドラフト会議で西武から6位指名を受けた、本島中部の読谷村出身の龍山暖捕手もいた。

 学校を運営する大城学園は、医療・健康機器の開発メーカー「エナジックグループ」の創業者で、瀬嵩地区が生まれ故郷である大城博成氏が理事長を務める。これまでも沖縄で社会人野球チームやゴルフアカデミーなどを運営し、沖縄のスポーツ発展に尽力してきた実績がある。神谷氏の志に応え、開設したエナジックでも室内練習場や栄養管理の行き届いた学生寮を作るなどして環境を整えていった。

 ノーサイン野球を形にするのには2年近くを要したが、1期生が中心となり、沖縄球界で急速に台頭し始めると、周囲の反応も変わっていった。「少しずつ地域の方たちも応援してくれるようになり、今では『甲子園まで応援に行くぞ』と声を掛けてくれます」。過疎化が進む場所なだけに、夢に向かって一生懸命に汗を流す学生の姿は、地域に元気を与えているのだろう。

 改めて「創部から」という、より難易度が高いエナジックでも「3年以内に甲子園出場」を掲げた理由を聞いた。

「美里工の時もそうでしたが、監督自らが強い気持ちで先頭に立ってやらないと、まわりは応援してくれません。そうじゃないと、甲子園には絶対に届かない。自分に言い聞かせ、発破をかける意味でも言葉にし続けました」

 その気概は選手にも伝染した。砂川誠吾主将に「創部から3年以内の甲子園出場という目標は、いつ頃から実現できると感じたか」と問うと、こう答えた。

「入学した頃はノーサイン野球のやり方が全く分かりませんでした。でも、だんだん自分たちの形ができてきて、準優勝した夏の2回戦で沖縄尚学にコールド勝ちしたあたりから、目標達成に向けた強みになると感じました」

 美里工の時と同様に、環境と実力が伴い、そこに以前から掲げていた高い目標が合致した時、選手たちはより明確に達成までの道筋を描くことができるようになる。だから、本番で臆することなく力を発揮することができる。エナジックでも好循環が生まれ、全く同じ3年目というタイミングでセンバツ出場を決めた。

 神谷氏にとっては、まだ学校ができたばかりで、部も立ち上がっていない状態から共に歴史の一歩目を踏み出してくれた1期生15人に対しては、より特別な想いがある。

「何もない状態の時に1期生が来てくれて、いろんな面で頑張ってくれました。大会で好成績を残しただけでなく、勉強面でも資格をいっぱい取って、生活態度も良く、後輩たちの模範になってくれました。その後ろ姿を見て、今の最上級生である2期生が大きく成長してここまで来ることができました」

 冒頭で記した「涙」には、そんな想いが込められていた。

 エナジックにとって初の甲子園となるセンバツまで、あと2か月弱。神谷氏は「まずは初戦突破。一戦一戦を全力で」と言うが、選手たちの口からは「目標は全国制覇」という言葉が多く聞かれる。夢は、言葉にするからこそ実現する。指揮官と共に、その格言を体現して見せた選手たちは、自分たちの可能性に制限をかけることはない。(長嶺 真輝 / Maki Nagamine)

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