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実は大谷より30年前にあった「50-50」の好機 伝説ボンズが「できた」というワケ「数字を見てくれ」

THE ANSWER / 2025年1月29日 8時13分

バリー・ボンズ氏【写真:Getty Images】

■1994年に37本塁打-29盗塁、シーズンは47試合残っていた…

 米大リーグ最多の通算762本塁打を放ったバリー・ボンズ氏は、昨季史上初の「50本塁打&50盗塁」を記録したドジャースの大谷翔平投手をどう見ているのか。若いころはスピードとパワーを兼ね備えた選手だったボンズ氏には「私も50-50をできたかもしれない」と振り返るシーズンがあった。敵は意外なところから現れたのだ。

 ボンズ氏はジャイアンツでプレーした2001年、今もシーズン最多記録として残る73本塁打するなどスラッガーとしての印象が強い。ただパイレーツ時代の1990年には33本塁打、52盗塁を記録するなど、若いころは卓越したスピードも武器にしていた。「50-50」という偉業の価値についてはどう見ているのだろうか。

 現在、古巣ジャイアンツでCEO特別補佐を務めるボンズ氏は、米野球専門ポッドキャスト「ファウルテリトリー」に出演。「ショウヘイが今年50-50を達成した。あなたの時代には存在しなかった概念だ。40-40が話題になるようになった時代だった」という問いに「ストライキのあった94年は私も50-50ができたかもしれない」と答えた。

 この年8月12日から、翌1995年4月2日までの間、大リーグ選手会はストライキに突入しワールドシリーズも中止となった。ボンズ氏の成績も112試合で37本塁打、29盗塁。ジャイアンツは47試合を残していた。ボンズ氏は「数字を見てくれ。その年、50-50ができたと思う」と胸を張る。

 一発と脚力を両立させていたボンズ氏は、50-50がどれほどの偉業なのか身をもって知っている。「50-50を達成したのは信じられないほど素晴らしいことだよ。誰であろうとね。それだけ走るだけでもしんどいことなんだ」と言い「(自分に)できる年があったとしたら、94年だった。それ以降はノーだな」。失われた大記録を、残念そうに振り返っていた。(THE ANSWER編集部)

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