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高2で左脚切断も「別に抵抗なかった」 東京パラ銀の25歳・高松義伸がポジティブでいられたワケ【車いすバスケ天皇杯】

THE ANSWER / 2025年2月3日 10時33分

車いすバスケットボールの天皇杯に出場した高松義伸【写真:中戸川知世】

■第50回車いすバスケットボール天皇杯

 車いすバスケットボールの天皇杯は2日、東京体育館で決勝が行われ、神奈川VANGUARDS(関東ブロック1位)が埼玉ライオンズ(東日本第2次予選1位)に61-41で勝利し、3連覇を果たした。東京パラリンピックの銀メダリスト、25歳の高松義伸が26得点、23リバウンドのダブルダブル。中学3年時に骨肉腫を発症し、高校2年で左脚を切断してもポジティブでいられた訳を聞いた。

 自由自在に車いすを操った。高松は40分間フル出場。自慢の運動量を武器に、攻守で存在感を放った。「僕がチームのエース。みんなが繋いでくれるのを決め切らないといけない」。高い意識を持っているからこそ、両軍最多の26得点、23リバウンドでも「しょっぱかった。一発でシュートを決め切る、イージーなシュートを決めていくところはもっとやれることがあった」と反省した。


車いすバスケの楽しさに魅了された高松【写真:中戸川知世】

 1999年栃木県生まれ。部活で野球に打ち込んでいた中学3年時に骨肉腫を発症した。「重大なことと捉えていなかった」。実感がわかず、真っ先に心配したのは野球のこと。「やばいな。僕いなくて試合大丈夫かな」。人工関節での生活を経て、高校2年時に左脚を切断することになったが、その時も「脚がなくなることに別に抵抗はなかった」とポジティブだった。

 高校1年で始めた車いすバスケの影響が大きかった。障がいレベルに応じ、1.0~4.5点まで持ち点があり、コート上の5人が計14点以内と定められている。高松は2番目に障がいが軽い4.0点。「自分より状態が重い選手や、同じ片脚切断の選手を見てきた。脚一本なくなっても生きていく上で意外と支障はないと目の当たりにしていた」。普段は義足で生活。悲観的にならずに競技に打ち込んだ。

 高校3年時、ジュニア世界選手権に日本代表として初出場。日体大在学中の21歳の時には、東京パラリンピックで銀メダル獲得に貢献した。「生きていく上で支障はないと言ったものの、走ったり、アクティブに動いたりするのは難しい。そこを解消してくれるのが僕の中では車いすバスケ」。意のままに操れるようになるまで6年かかったが、「発想した通りに動ける」楽しさに魅了されていた。(THE ANSWER編集部・鉾久 真大 / Masahiro Muku)

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