平成生まれの戦場カメラマン・吉田尚弘「『ミャンマー側のスナイパーに狙われてる』と言われてすごい気が昂った」

tocana / 2013年12月18日 18時5分

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 高校生時代から難民支援NGOの契約カメラマンとなり、ビルマ難民を取材。若干22歳の今「平成生まれの戦場カメラマン」として、海外のスラムや紛争地にある「リアル」をテーマに撮影を続ける吉田尚弘氏。その若く・細い(とても戦場カメラマンには見えない!)体のどこからそんなエネルギーが沸くのか...、吉田氏を突き動かしているものは何なのか、お話しを伺った。

【吉田氏が撮影した戦場写真はコチラ→http://tocana.jp/2013/12/post_3325.html】


――まず、カメラマンになった経緯を教えてください。

吉田尚弘氏(以下、吉田) 僕は16歳の頃からバックパッカーをしていて、そのときに「ガイドブックを持たない」というスタンスをとっていたんです。手元に情報がないほうが、そこで暮らす人たちの日常的な部分に触れられると思って、現地の人に「どこか面白い場所はない?」とか、そういうことを聞きながら歩き回るようにしていたんですね。そうしたら、気づいたらいつも「スラム街」と呼ばれるところに入り込んでいて。

――16歳といったら高校生ですよね。学校は?

吉田 高校は、第一志望だった進学校に合格できたんですが、入学してすぐに燃え尽き症候群みたいになって、おまけに精神疾患にかかって、学校自体に行けなくなってしまったんです。そのときたまたま沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで、「僕も旅をしよう」とタイのバンコクへ飛びました。当時は、自分には失うものは何もないし、自分が死んでも周りに影響はないと思っていたので。

――半ば自暴自棄になっていたおかげで、日本を飛び出すことができた。

吉田 でも、バンコクのスラムを歩いて、そこの住人たちと触れ合っているうちに、生まれて初めて生き甲斐を感じたんです。有り体にいえば、生きる希望とか勇気みたいなものをもらえたんですね。日本に帰ってきても「また彼らに会いたい」と、バイトしてお金を貯めて再訪したり、タイ以外の国にも行ったり。その一方で、僕は彼らから与えられるばかりでいいのかと疑問を抱くようになり、いま自分にできることを考えたとき、毎回小さいなデジカメをひとつ持って旅をしていてたんですけど、これで彼らの生活を記録できるんじゃないかと。それがカメラマンになろうと思ったきっかけです。


■戦場デビュー - 亡くなった祖父に夢の中で導かれて

――カメラは独学で?

吉田 最初は完全に独学ですね。そもそもカメラマンの仕事がどんなものかもわかっていなかったので、とりあえず安い一眼レフを買って。

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