米軍に攻撃された日本の民間人 ― 終戦目前に沈められた青函連絡船の424名

tocana / 2014年8月8日 20時0分

写真

 2014年は民間の輸送手段が様々な「事故」に遭っている。

 3月8日には、マレーシア航空370便(クアラルンプール国際空港発北京首都国際空港行き)が、乗員乗客239人とともに消息不明となった。4月16日には大韓民国の大型客船「セウォル」が転覆、沈没。死者は乗員乗客で294人にのぼり、行方不明10人を数えた。また7月17日には、マレーシア航空17便(スキポール空港発クアラルンプール国際空港行き)がウクライナ・ドネツィク州に墜落。乗員乗客合わせて298人が命を落とした。

 旅客用の輸送手段が「事故」に遭うと、犠牲者も多い。相次ぐ「事故」に不安が募り、陰謀めいたものを想像する人たちもいる。日本でもかつて、旅客用の船が米軍に攻撃を受けたことがあった。第二次世界大戦末期のことだ。


■アメリカの攻撃を受けて全滅した「青函連絡船」

 北海道と本州(青森県)を結ぶ津軽海峡。そこを横断するため、1908年〜88年までの間、鉄道などを運ぶ青函連絡船が運航していた。だが、88年3月青函トンネルが開通し、この便は廃止。現在は、青函連絡船の業務についていた船は就航当時の状態まま「メモリアルシップ八甲田丸」として保存されている。その船が係留されている港の南側に「青函連絡船戦災の碑」がある。第二次世界大戦中に青函連絡船は、敵国であったアメリカ軍の攻撃を受けて沈んだことがある。

 太平洋戦争が勃発した後、大日本帝国政府は1942年10月、「戦時陸運の非常体制確立に関する件」を閣議決定した。まず、近距離用の沿岸貨物船を南方に割り振り、旅客輸送を制限した。南方に送られた貨物船は連合国の潜水艦により攻撃を受けて沈んで行った。そのため、輸送は北海道からの青函連絡船に頼るようになる。

 その後、アメリカ軍の偵察機が北海道や津軽海峡にも現れるようになり、政府は「国内戦場化に伴う輸送緊急対策に関する件」を閣議決定した。青函連絡船での犠牲が最初に出たのは7月14日。終戦を迎えるほぼ1カ月前の話だ。
 
 青森湾では、青函連絡船「翔凰丸」「飛鷺丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が攻撃を受けた。 また、津軽海峡と函館湾でも14日と15日に「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」「第一青函丸」が攻撃された。さらに、終戦の5日前の8月10日には「亜庭丸」が攻撃を受け、これらにより、青函連絡船は全滅し、乗客乗務員ら424名が死亡した。

 一体、この死者の中に、どれだけの民間人が含まれていたことだろう。しかも戦争末期だ。この攻撃がなくても、日本は敗戦の道を歩んでいた。戦争状態にある中で、軍人がターゲットになるのは仕方がない。しかし、非戦闘員の保護規定は陸戦条約や海戦条約に盛り込まれており、空戦条約がなくとも攻撃のルールは慣習的なものとして確立していた。それでも、戦争ではこうした犠牲が起きてしまうのだ。
(文=渋井哲也)

tocana

トピックスRSS

ランキング