稀代の芸術家・赤瀬川原平が遺したモノ ― 最期まで世間を翻弄したトリックスター

tocana / 2014年10月29日 10時0分

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 10月26日、芸術家の赤瀬川原平さんが、敗血症のため77歳で亡くなった。2011年から胃がんや脳出血をわずらい、自宅で療養中だったという。

 死の一報をめぐり、ネット上ではちょっとした騒動が巻き起こった。26日夜に大分県の地方新聞である『大分合同新聞』が、赤瀬川さんの死を伝える速報ニュースを配信するも、すぐに削除したのだ。

 大分県は、赤瀬川さんが幼少期から高校時代までを過ごした地である。ゆかりのある地方のニュースサイトの記事が削除されたため、「死亡記事はデマ」「赤瀬川さんが仕掛けたジョークでは?」と深読みするネットユーザもいた。実際、赤瀬川さんの活動経歴は、社会に対する"あざむきの精神"に満ちたものだったのだ――。

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■世間が拍子抜けした「ハイレッド・センター」

 学生運動の華やかなりし頃の1963年に『ハイレッド・センター』を結成。レッドの名前は共産主義をも連想させ、どんな危険思想集団かと思いきや、活動の実態は「首都圏清掃促進運動」と銘打ち、オリンピック開催中の東京の路上を白衣姿で掃除するなど、名前のイメージとはかけ離れていた。団体名もメンバーの高松次郎、赤瀬川源平、中西夏之から頭文字を取ってつなげ横文字にしただけであった。


■面白がる精神が招いた悲劇・喜劇...

 また、個展の案内状に、詳細にスケッチされた千円札を片面だけ印刷したものを現金書留で送付したことなどで警視庁の摘発を受けたこともある。この千円札は無審査出品で知られる読売アンデパンダン展に、200倍の詳細なスケッチとして発表されたものが原本となっており、赤瀬川さんは「千円札の模型」であると主張した。

 同時期に「史上最高の芸術的ニセ札」といわれていた「チ-37号事件」が発生したという事情もあったのだろう。赤瀬川さんは、「通貨及証券模造取締法」によって印刷業者とともに起訴されてしまう。本家の偽札事件では、警察は偽の千円札を届け出た人間には、三千円の報奨金を払うとしていた。

 裁判においては、本物の紙幣との類似性が争点の一つとなり、おもちゃの紙幣が資料として提出されたほか、濃度を変えた紙幣のコピーを並べ視力検査表に例えた「紛らわしさ検査表」を作成するなどユニークな活動を展開した。裁判の末、判決は懲役3カ月、執行猶予1年の有罪となった。この裁判中、赤瀬川さんらは、「大日本零円札」を作り、希望者は現金と交換できるようにしている。ゼロ円という無価値な数字が記された紙幣らしきものと、現金を交換する行為は、資本主義への皮肉といえよう。

 80年代には、「路上観察」で発見した無意味なものを面白がる「超芸術トマソン」の概念を提唱。90年代に入ると、国語辞典の身勝手な記述に面白みを見出す『新解さんの謎』(96年/文藝春秋)、自身の老いを肯定的にとらえた『老人力』(98年/筑摩書房)を出版。何気ないもの、当たり前に存在するものに魅力を見出す姿勢は終始一貫していた。

 10月28日からは千葉市美術館で、これまでの活動をふりかえる『赤瀬川原平の芸術原論』展を控えていただけに、突然の訃報が悔やまれる。
(文=平田宏利)

※イメージ画像:『老人力 全一冊』

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