覚悟が足りない猪瀬直樹の告白本『さようならと言ってなかった』が、アノことも言ってない!

tocana / 2014年11月11日 12時5分

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 なぜ、あのことが書かれていないのだろう?

 10月末に発売された猪瀬直樹の『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジンハウス)を読んで思った。政治家としては素人だったと実感して、これからは作家に戻ってやっていくという、第1弾。ノンフィクションライター猪瀬直樹が、初めて自分のことを綴った1作である。

  亡くなったゆり子夫人との出会いは、猪瀬氏が19歳、ゆり子さんが18歳の時。その青春時代から今までのことを、都知事としてのオリンピック招致活動、知事辞職に追い込まれた徳洲会からの5千万円の借り入れのことなどにも重点を置きながら、書いている。

 しかし、ここで言いたい。政治とはもう縁を切るというのなら、なぜ、あのことを書かないのか?

 もし、第三者のノンフィクションライターが猪瀬直樹を書くならば、絶対にそのことは抜かさないはずだ。

 暴力を是とする過激な学生運動のリーダーだった猪瀬氏は、1968年10月21日の新宿騒乱事件に参加している。新宿駅は放火、破壊され、接続する交通機関は麻痺、翌朝は150万人の通勤・通学客に影響が出た。

 首都を大混乱に陥れた一員であった青年が、後に東京都知事になったというのは、これほどおもしろいことはない。なぜ書かれていないのか?

 学生運動のことは書かれているが、佐世保港への米空母エンタープライズ阻止闘争に参加の結果「わざわざ豆腐の角に頭をぶつけにいくようなものでもあった」として、それで冷めてしまったことになっている。しかし実際にはその後、猪瀬氏は、信州大学で中核派のキャップとなり、信州大学全共闘議長に上り詰めている。


■中核派とは? 新宿騒乱事件とは何か?

 正式名称は、「革命的共産主義者同盟全国委員会」。その学生組織が「日本マルクス主義学生同盟・中核派」なので、通称として、中核派と呼ばれている。

 武装闘争での革命を志向する組織。ヘルメットを被り、「ゲバ棒」と呼ばれる角材を持って機動隊に立ち向かうというスタイルを編み出したのが、中核派だ。当時は、武装闘争を標榜する党派は幾多もあり、そのスタイルが模倣された。全共闘というのは全学共闘会議の略であり、党派を超えて組織された大学内の連合体だ。

 そして、新宿騒乱事件とは何か? 当時はベトナム戦争が激化しており、日本にある米軍基地からベトナムに向けて、爆撃機や輸送機が日々飛んでいっていた。事件の前年の67年8月8日未明、新宿駅ですさまじい爆音と共に、空に向かって炎が噴き上がった。ブレーキ操作のミスによる衝突で炎上したのは、米軍のタンク車。積まれていたのは、ベトナム戦争で使われる、航空機用ジェット燃料だった。国際反戦デーである10月21日に、この米軍タンク車の走行を停めようということで、中核派を始め、他の党派の学生たちも新宿に集まった。

tocana

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