「ローマ法王庁、尊厳死を批判 日本人8割、尊厳死を認めるべき」この差にあるものとは?

tocana / 2014年12月8日 15時0分

写真

 バチカンが尊厳死を選んだアメリカ人女性を「自殺は生命を否定する行為」として批判した件が話題となっている。

 一方で、Yahoo!Japanにおける意識調査においては、日本では8割強が「尊厳死を認めるべき」と回答している。
 
 この意識の違いはどこから来るのだろうか?

 まず、語句を区別し直したい。上掲のロイター記事によれば、アメリカ人女性の死は「尊厳死」として扱われているが、医師の処方による死であるこれを「安楽死」と呼ぶことにし、過剰な延命至上主義を避けて死を選ぶ「尊厳死」とは区別したい。というのは、バチカン(カトリック)は実は尊厳死を一定程度認めているからである。

 個人的には、安楽死の是非については「自分の命だから好きなようにすればいい」以外に何も言うことはないのであるが、カトリック側の言わんとすることも分からないではない。特定状況にある患者に自殺の権利を認め、そのような状況の患者が安楽死を選ぶことが一般的風潮となった場合、今度は「そのような状況にある人間は生きる価値がない」という社会通念が生まれかねない。ヒンドゥー教においては、かつて、夫に先立たれた寡婦が後追い焼身自殺(サティ)をすることが美徳とされたが、そのような社会通念が寡婦の自発的、半強制的な自殺を誘発していたと言える。

 さて、話を戻すと、日本人の8割強が「尊厳死を認める」と回答したのは、個人的にはごく当然の結果であると思う。多くの人は、回復の見込みのない状態で多大な苦痛を引き延ばしにされたくはないであろうから。これは宗教的感性うんぬんというよりも人間の自然的感性であって、むしろ、その状況から「それでも安楽死は自殺であり、するべきではない」と言えるのは、独特で強固な死生観、価値観を持つ人といえよう。そのような死生観、価値観を宗教が提供するのは不思議な話ではない。


◆宗教と自殺

■"正当な自殺"は宗教的な勝ち組がすることだった

 ......不思議な話ではないが、一方で、宗教と自殺の親和性も決して低くないのである。宗教は一般的な道徳(「自殺してはいけない」など)を補強するもの、と考える人もいるだろうが、それは宗教の一側面にすぎない。実際は、宗教はしばしば反社会的ですらある。

 当該社会における価値観では「負け組」とされてしまう人々に対し、別の価値観を与えて、異なる価値体系の中で「勝ち組」に生まれ変わらせる。そのような機能が宗教にはあるからだ。例えば、金を稼ぎ、美人の妻を得て、健やかな子供を育てることに高い価値を見いだす人々に対し、それらの価値を全否定し、社会と一線を引いて孤高のニートを貫くことに価値を見だしたのが初期仏教である。貧乏な非モテであっても、こちらの価値体系では幸せになれるのである。だが、そのようなニートが増えては社会は機能不全を起こす。よって、宗教は「反社会的」な側面を持つと言えるのだ。

tocana

トピックスRSS

ランキング