タテをヨコに変えただけで、世界はこうも変わるのか!! 現代美術家・毛利悠子の展示が興味深い!

TOCANA / 2015年10月19日 14時0分

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 展示空間に入るなり度肝を抜かれた。だが、その青緑色をした巨大な物体は、「これは何だ?」と思うまでもなく、即座にどこにでもある街路灯だと気づく。このオブジェクトが日々慣れ親しんだ街路灯とまるで違って見えるのは、本来立っているはずのものが、ほぼ水平状態で宙に吊るされているからである。それが三本ある。実に美しく、実に異様な光景だ。

【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2015/10/post_7643.html】

 スパイラルガーデン(東京・青山)の「スペクトラム」展で展開されたこのダイナミックなインスタレーションは、現代美術家の毛利悠子によるものである。同展の解説文によれば、メインオブジェクトである三本の街路灯は、LED照明への切り替えのために不要となったものだ。《アーバン・マイニング:多島海》という意味深なタイトルが付されているが、とりあえずは、「都市の発掘」くらいの意味に取り、これらの街路灯は作者自身が発掘してきたものと解しておく。

 視覚的な成功は疑うべくもない。タテをヨコに変えただけで、こうも見え方が変わるものか......。ふだんは見ることのない街灯の頭頂部も、よく見れば、雨風による傷や汚れがあり、何とも味わい深い。いみじくも本展キュレーターの金澤韻が「鯨か、太古の首長竜」と評したように、まるで巨大な生き物のようだ。それがこうして静かに美術空間におさまっていると、実際ついこの間まで"眠らない街・東京"を照らし続けてきただけに、ある種の感慨に打たれずにはいられない。それは、生き物(?)の寂しさと言うべきか、あたかも浜に打ち上げられた鯨を見るようである。

 しかし、そんな芸術的感傷に浸ってばかりはいられない。それどころか、本作を見る者は思わず笑いがこみ上げてくるはずだ。それにより、腕組みをしながら展示空間を歩きつつ、「廃材の物質性とは......」などと自問するような、あの幸せな時間が奪い取られてしまう――。

 圧倒的な物質性を誇示する三本の街路灯が展示された同じ空間には、馬鹿らしいほど安っぽいミニチュアの街路灯やミニカーなどが並べられている。巨大なものと極小のもの、本物と模造品、両者が分け隔てなく並列されること自体に違和感を覚えるが、それだけではない。三本の街路灯はこれらキッチュなアイテム群と銅線でつながれ、かつ、同一の電源に依存しているのだ。しかも、電流経路に積み重ねた空き缶が差し挟まれている関係で、本物の街路灯はもちろんのこと、オモチャの街路灯も、ランダムに点いたり消えたりしている。つまり、現実社会での役割を終えた三本の街路灯は、この極めて不安定な都市システムの一部に組み込まれているのだ。

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