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“僕青”今井優希さん「祖父が戦争で亡くなっていたら私もいない」死者約8千人の名古屋空襲 歴史を若い世代へ

東海テレビ / 2025年1月25日 11時45分

ニュースONE

 終戦約3カ月前の1945年5月14日、空襲で名古屋城が焼け落ちました。2024年、名古屋市は毎年5月14日を「なごや平和の日」と定め、戦争の体験や記憶が風化しないように後世に繋いでいこうとしていますが、若い人へどう伝えていけばよいのかが課題となっています。

 名古屋出身で、アイドルグループ『僕が見たかった青空』のメンバーの今井優希(いまい・ゆき 19)さんは、名古屋空襲の歴史を知り「若い世代に伝えたい」と話しました。

 太平洋戦争末期の1945年、名古屋空襲が本格化し、容赦なく降り注ぐ爆弾が名古屋を襲いました。3月12日には栄を中心とした市街地、3月19日には名古屋駅が炎上しました。


 名古屋出身で『僕が見たかった青空』のメンバーの今井優希さんは、買い物などで名古屋駅周辺へよく出かけていたといいます。


 名古屋空襲の犠牲者は、分かっているだけでも死者7858人、負傷者は1万人を超えました。


 名古屋空襲を体験した井戸早苗さん(85)は、戦闘機が焼夷弾を落として街を焼き尽くす様子を目の当たりにしました。名古屋駅から栄までが焼け野原となった様子は、今でも覚えているといいます。

名古屋空襲を体験した井戸早苗さん(85):
「みんな市民はね、バケツリレーを本気になって練習していた。警戒警報の『ウー』という音が鳴り響きます。なんとも言えない匂い。焼夷弾で焼けちゃうわけ。もう何もなかった。名古屋駅から、栄の松坂屋が見えた。衝撃だった。それ以外なかった」


 戦後79年が経ち、名古屋駅周辺は高層タワーが立ち並ぶ発展を遂げ、多くの人が行き交う場所となりました。


 名古屋の中心地、中区栄には、当時「東洋一」の高さを誇った名古屋テレビ塔(現:中部電力MIRAI TOWER)が1954年に開業し、今は百貨店などが立ち並んでいます。


 祖父が戦争に行っていたという今井さんは、名古屋空襲の被害を知って「若い世代に伝えたい」と気持ちを新たにしました。


今井優希さん:
「祖父が実際に戦争に出ていて、もしそこで亡くなっていたら私自身もいない。小学校や中学校の頃、授業で学んでいたが、正直、沖縄とか広島の題材が多くて、名古屋空襲って全国的に見たらまだ知られていない方だと思う。名古屋も空襲があって、たくさんの被害者が出たんだよってことを、若い世代にも伝えていきたい」

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