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【桟原将司連載#14】「よし、いったるわ」くらいの気持ちでプロの世界に行ったら…

東スポWEB / 2024年5月30日 11時11分

阪神から4巡目指名を受けた桟原(後列右)は新人入団会見で岡田監督(前列中)、鳥谷(前列右)らと笑顔

【桟原将司 ハナの剛腕道中(14)】2003年ドラフトで阪神から4巡目指名をいただき、無事にプロの入り口に立つことはできました。自分では社会人時代の2年間の実績に乏しく、プロになれればいいなくらいの気持ちになってはいましたが、実は大阪桐蔭高在学時代からプロのスカウトの方々は見に来てはくれていたんですよ。

でも、本当にプロに行けるなと思ったのは社会人3年目、03年の都市対抗の直前でしたね。阪神のスカウトと直接会った時ですかね。

そのころから社会人日本代表の合宿があって、メンバーは都市対抗の出場チームからの輩出がほとんどという編成でした。僕はチームからただ一人選ばれて参加していました。

投げる予定のなかった試合に、阪神のスカウトの方が来られているからという理由で終盤に急きょ登板したこともあったので、このころには心の中で「あっ絶対プロ行けるな」って思ってはいました。

正直、高校の時もドラフトにかかるかもしれないみたいな、調査書は届いてはいたんです。僕自身もプロに行きたいって言ってたんですけど、行けたとしても当然ながら下位指名になっていたはずです。

高校球児で社会人野球から内定をいただいている場合、下位指名ではプロに行きませんという確約をしなければいけないという話はよく聞くと思うんです。自分の時も同じような状況でした。後から考えれば、そういう時期からちゃんとプロ野球という進路を意識はしていました。

ドラフト指名をいただいた時は不安というよりは、夢がかなうんだ、目指していたところに行けるんだという気持ちになってうれしかったですね。

高校出身に限らず、大学、社会人でも野手は即戦力で活躍することは難しいと一般的に言われたりします。でも、技術的なことや投球術を度外視すれば、投手の場合は自分のボールを投げられれば通用するかもしれない世界と思うんです。社会人からプロにステージが上がっても、シンプルに言えば周りにいる対戦相手が変わるだけじゃないですか。

そのレベルがすごい高いのは後になってから痛感するんですが…。高校野球では相手は2歳年上まで。社会人に上がったら10歳上の選手もいます。僕が入ったころは金属バットだったので、めちゃくちゃ打つやん、どこまで飛ばすのとは思いました。でも2年目から木製バットに変わったので、変に自信を失わずに投げられたのはラッキーだったかもしれません。

まだ、打者も木製バットに対応できてない部分もありましたので、自分のベストピッチさえしておけばど真ん中でも抑えられるという自負はありましたね。

150キロ右腕という触れ込みも、実は社会人の最後の最後の大会で出たものなんです。秋の日本選手権の予選で、確か姫路球場だったと思います。スコアボードにスピードが表示されるんですが、7回くらいにポンと150キロが出ました。

当時は今ほど150キロ超の投手は少なかったですからね。先輩にも「初めて150出たの見たわ」って言われましたね。でも、本当にその1球だけなんです。149キロはバンバン出たんですけどね。

よし、いったるわ。くらいの気持ちでプロの世界に飛び込んだんですが、やっぱりそんなに甘くはない現実に直面することになりました。

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