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【新日本・BOSJ】石森太二 19年前の〝怨念〟解消へ…初V譲れない「デスぺなんてまだまだ甘いよ」

東スポWEB / 2024年6月4日 5時22分

全試合終了後、決勝で激突するエル・デスペラード(左)と火花を散らした石森太二

新日本プロレス「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア(BOSJ)」準決勝(3日、後楽園)で、石森太二(41)がTJP(39)を撃破し、決勝戦(9日、大阪城ホール)進出を決めた。決勝の舞台で激突するエル・デスペラードは悲願の初優勝を狙っているが、石森にもBOSJには特別な思いがある。2005年の〝選考漏れ〟から実に19年、屈辱の歴史に終止符を打つ時がついに来た。

TJPの猛攻にさらされた石森だったが、おきて破りのBone Lock(変型クロスフェース)を切り返して形勢逆転。最後はブラディークロス(変型フェースバスター)で激闘に終止符を打った。

決勝戦の相手はAブロックを1位通過し、今大会の優勝候補筆頭と目されるデスペラードに決まった。どちらが勝っても初優勝だ。デスペラードは過去2回の準優勝を発奮材料にしているが、石森も2018年大会で準優勝を経験しており、6年ぶりの決勝の舞台には期するものがある。

石森とBOSJを巡る因縁は、ある意味でデスペラードよりも深い。「2回準優勝ってのもなかなかかもしれないけど、俺なんか〝選考漏れ〟からだからね。2005年から悔しい思いしてきてるわけ。デスぺなんてまだまだ甘いよ。もう一回、準優勝の悔しさを味わってもらおうかな。世の中そんな甘くねえよ。人生もっと苦労してるヤツ、いっぱいいるって」

あれは19年前のこと。「闘龍門X」解散後の石森は、05年4月まで新日本のリングで活躍していた。しかし、5月に控えていたBOSJは、直前にオファーがなくなり出場がかなわず。「日本に帰って来て初めて上がったのが新日本ジュニアで、必ずここで結果残してやろうって思ってた矢先だったから、屈辱以外の言葉がなかった。あれからBOSJの名前を見るたびに悔しくなるくらい、すげえ嫌いだった」と当時を振り返る。

初出場のチャンスが巡ってきたのは、ノア時代の10年大会。しかし、同大会でベスト4に終わると、その後は何度もはね返された。IWGPジュニアヘビー級王座は3度巻きながら、BOSJだけはいまだに手が届いていない。そんな石森にとって、大阪城のメインで決勝戦が行われる今大会は最大の〝リベンジチャンス〟だ。

「見返してやりたいね。誰が決めたか知らないけど『見たかお前ら』って、当時の選考漏れを決めたヤツらにさ」と目をギラつかせた。

「時代なのかもしれないけど、Bブロックの最年長、俺だったんだよな。キャリア22年だよ? こんだけやってきたんだ。そろそろ俺だって報われていいはずだろ? 今年優勝しねえで、いつ優勝すんだよ」。流浪のプロレス人生の末にトップに上りつめた男が、今年こそBOSJをつかみ取る。

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