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【桟原将司連載#18】「1イニング行けるやんけ」中西さんが一軍に呼んでくれた

東スポWEB / 2024年6月6日 11時9分

1年目から中西投手コーチ(左)に呼ばれるとは…。写真右は井川慶

【桟原将司 ハナの剛腕道中(18)】 2004年の新人合同自主トレから故障してキャンプも別メニュー。オープン戦もまともに投げられていないというプロとしての滑り出しでした。

そんな状態からようやく投球可能になり、4月にはウエスタン・リーグで実戦登板できるまでに回復しました。ただ、プロとして50球ほどしか投げていない僕にいきなり一軍行きの指令が出たのは驚きでした。心の準備もできていないままで一軍練習に合流。当時は岡田彰布監督の第1次政権1年目で、投手コーチは佐藤義則さん、中西清起さんという顔ぶれでした。

一軍に合流してもキャンプもまともにできていない僕を、首脳陣が判断する材料がありません。たまたまファームの試合で151キロの直球を投げたというだけでは、さすがに情報がなさ過ぎますよね。

一軍合流2日目にブルペンで投球練習をして首脳陣にお披露目となりました。その時は野口寿浩捕手に受けてもらった記憶があります。後ろにはズラリと人が並んでいましたね。監督や投手コーチをはじめ、正捕手だった矢野燿大さん、嶋田宗彦バッテリーコーチ、吉田康夫ブルペンコーチや現役の投手、捕手らが見ている前で投球練習をさせてもらいました。

で、それが終わってから中西投手コーチから「室内練習場行こか」と言われて、投内連係をコーチ陣が見守る中でやらせてもらいました。中西さんの評価は「まあ、普通やな。うまくもないけど、めっちゃヘタでもない」でした。その上で首脳陣が話し合ったのか、一軍登録するという運びになりました。

これは後に聞いた話なんですが、中西投手コーチが「桟原ってどんなピッチャーや?」と葛西二軍投手コーチに聞いたら「まだウエスタンで50球くらいしか投げてないし、一軍なんてまだ無理」と返答されたそうなんです。でも、中西さんが「50球投げれるんやったら1イニングいけるやんけ。呼んだらええねん」と言って一軍に合流させたそうです。

そのタイミングで一軍の右の中継ぎ投手陣が本調子ではなかったという、自分にとっては幸運も重なったようです。そこへきて僕はというとケガの功名と言いますか、リハビリ中の基礎トレ、体幹トレなどの効果が出たのか調子が良かったんです。

二軍で登板しても社会人時代に全日本の4番とかと対戦していますから、高卒ルーキーと対戦しても「たいしたことないな」くらいにしか思わないんですよ。どっちかというとプロの二軍より、社会人の全日本の方がイカついし、強いくらいに思っていたわけです。

そういう意味では自信を持ったまま一軍のマウンドに上がれたのかもしれません。プロ初登板は04年4月28日の横浜戦(甲子園)でした。6回から2番手で救援登板するんですが、初対戦がタイロン・ウッズでしたね。めちゃくちゃ緊張しました。

ブルペンの電話が鳴って、中西さんが出て「サジ、行くぞ」って言われた瞬間、めっちゃドキドキしたことは忘れられないです。

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