1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 野球

【桟原将司連載#21】大ピンチで迎えたのは古田敦也さん 先輩・三東洋さんの初勝利をあわや…

東スポWEB / 2024年6月12日 11時6分

ベンチに戻った直後、三東のボディーブローがどてっ腹に炸裂…

【桟原将司 ハナの剛腕道中(21)】プロ1年目の2004年8月22日、神宮球場で行われたヤクルト戦で僕はプロ2セーブ目を挙げました。それと同時に先輩のプロ初勝利にも関わることができました。

その日、白星を記録したのは僕が入団した1年前、02年ドラフト6巡目で阪神に入団した2年目左腕・三東洋さんです。島根県の益田東高から駒沢大を経て社会人野球のヤマハから阪神の一員になりました。

この日の三東さんは神宮球場で初先発というマウンドでした。大学時代には東都リーグの駒大の投手として神宮で投げていたわけで、虎番記者の皆さんも「思い出の地で」みたいな質問をしていたんだろうと思います。三東さんは1回に岩村明憲さんの35号2ランで先制点を許したものの、その後は立ち直って好投。自らタイムリーも記録しています。さらに味方打線が同点の3回に勝ち越して6回2失点と、勝利投手の権利を持ったままリリーフ陣にマウンドを託しました。といっても託されたのは僕だったんですけどね。

この時期、世の中はアテネ五輪で盛り上がっていました。阪神の投手からはセットアッパーの安藤優也さん(現阪神投手コーチ)、クローザーのジェフ・ウィリアムス(現阪神駐米スカウト)がそれぞれ日本代表、オーストラリア代表としてチームを抜けていました。久保田智之さん(現阪神投手コーチ)もいたんですが登板過多で、出場させられない事情もあり「今日の2番手はサジで行くぞ」(中西投手コーチ)ってなってたんですよ。

僕が登板した7回の時点では3点リードの状態。今でも覚えてるんですけどね。僕に代わったその回に二死満塁の大ピンチを背負ったわけですよ。しかも打席には2000安打超えの名球会・古田敦也さんです。しかもフルカウントまで持ち込まれ最後はちょっと浮いたスライダーを左翼方向に打ち上げられたんです。

ホームランだったら三東さんのプロ初勝利も水の泡。チームも大逆転満塁弾を食らうという展開になってしまいます。打たれた瞬間、正直「アッ」って思いました。でも、バットの先っぽで捉えていたのでレフトフライで終わりました。

ホッとして三塁ベンチに戻ると三東さんにボディーブローを食らいました。「焦らせやがって! 俺のプロ初勝利がかかっとんやで」と耳元で言われたのが印象にありますね。そこから8回に今岡誠さん、桧山進次郎さんのソロで5点差になりました。

これで楽になったと思ったらまた9回にもバタバタするんですが、結果は7回から9回までの3イニングを1失点で切り抜けて僕自身はプロ2セーブ目を挙げることができました。そして、三東さんのプロ初勝利を死守することに成功しウイニングボールを贈ることができました。

プロ初勝利、プロ初セーブよりもこのプロ2セーブ目はすごく印象に残っていて、僕にとってはいろんなドラマが詰まった試合でした。スコアだけを見ると普通に7―3で阪神が勝ったという事実しか見えてこないんですが、僕にとってはドキドキでした。次回はそのあたりの話題に触れさせていただきます。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください