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【ノア】三沢光晴さん命日 最後の対戦相手・齋藤彰俊が誓った15年前の〝約束〟

東スポWEB / 2024年6月13日 5時9分

三沢さんとの約束を打ち明けた齋藤彰俊

プロレスリング・ノア創業者、三沢光晴さん(享年46)が試合中のアクシデントで亡くなってから15年が経過した。2009年6月13日の広島大会で三沢さんの最後の相手となった齋藤彰俊は、今年3月にゼロワンの世界ヘビー級王者を獲得。19日のノア後楽園大会で前王者のクリス・ヴァイスとV3戦を行う。キャリア初のシングル王座を戴冠した齋藤が明かした三沢さんに誓った約束とは――。

――三沢さんが亡くなって15年が経過した

齋藤 6月13日だけじゃなく、(三沢さんを思って)毎朝手を合わせてます。今年はメモリアル興行ではないですけど、特別にやらないことこそが三沢さんが団体の中で生きていることなのかなと感じています。

――2000年10月からノアに参戦し始めた

齋藤 1998年に新日本プロレスをやめて名古屋でバーを開いたんです。その後、ノアが旗揚げして、三沢さんが名古屋の東海ラジオに来られたんです。直接お話したいなと思って自分から会いに行きました。

――初対面を果たした

齋藤「ノアでやりたいです」と伝えたら「10月に査定マッチ組むか」と。わずか1、2分の出来事でしたけど、会った瞬間「この人の下でやってみたい」って思ったんです。その後電話で「新日本でいくらもらったの?」って聞かれたので答えたら「別に無理に来てもらわなくても構わない」と言われたんです。でも「お金はいいんです。ノアに出たいんです」と伝えた。入団した時に「僕がノアのウイルスになります」って言ったんです。三沢さんはハハって笑ったぐらいでしたけど。

――06年にノアと専属契約を結んだ

齋藤 ある日、三沢さんに「(ノアに)なくてはならない存在になったから」っていうふうには言われたんですよ。必要とされてると感じてうれしかった。三沢さんに「飲んでみたい」って言われて数回、一緒にお酒を飲みに行きましたね。

――三沢さんの最後の試合で対戦した

齋藤 あの日の記憶は全部鮮明に覚えてます。24時間以内なら蘇生する可能性があったので、試合後三沢さんの病室でずっと祈ってました。朝になって、仲田(龍=当時統括本部長)さんに「奥さまが来られるし、試合もあるんだからもうホテルに帰りなさい」って言われたので、歩いて帰ってる途中の川で自分に問いかけたんです。「プロレスをやめるべきなのだろうか」と。でもその時に「自分がみんなの前からいなくなったら、ご遺族やファンの方々はどこに怒りをぶつけるんだ」って思ったんです。だったらみんなの前に出て、全てを受け止めよう。それが三沢さんと自分の約束です。

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