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【桟原将司連載#23】先輩には口答えする僕ですが矢野さんには一回もないです

東スポWEB / 2024年6月14日 11時14分

正捕手だった矢野(右)は03年に星野監督も男にした

【桟原将司 ハナの剛腕道中(23)】プロ1年目の2004年から阪神の正捕手は矢野燿大さんでした。僕からすれば14歳も年上で、野球を見る目だって全然違うわけですよ。自分には見えないことを分かってしまうすごい人という印象しかないですね。

僕が引退を決めた後のことだったんですが、あるベテラン記者の方からこんな話を聞いたことがあるんです。

「入団した直後の桟原くんの投球フォームを見て、矢野さんが『このピッチャーは3、4年で絶対にヒジを壊すな』と言ってたよ」って。僕、実際に4年目で右ヒジを手術してるんです。そんなこと普通分かります? ホンマいろんな角度からモノを見てるんですよ。矢野さんはすごい。僕は矢野さんに対しては尊敬しかないです。

その矢野さんには本当によく怒られましたが「ホンマすいません」と言うしかなかったですね。反論の余地がない。何人かの先輩には口答えをしてしまう僕ではありましたが、矢野さんには一回もないです。

現役時代から矢野さんにはよく食事にも連れていってもらいました。そのお店に偶然、居合わせた矢野さんと知り合いの企業経営者の方々を紹介していただいたこともありました。

そういう方々と今も「阪神・桟原」じゃなくなっても「とり焼き さじ」のお客さんとしてかわいがってもらい、つながっていたりするんですね。矢野さんに「ゴルフ行くからお前も来い」と誘われて同行させてもらった。そこでつなげていただいた社長と今もつながっていたりもします。

矢野さんがつないでくださった数々の人脈は「阪神・桟原」ではなく個人の「サジ」としてお付き合いしてくださる人ばかり。だから10年目になるお店にも通ってもらっている。ユニホームを脱いでから離れていった人がいることも事実ではありますが、それは仕方ないことでもあるんですけどね。

そんなこんなもあり、僕のプロ1年目は終わっていきました。44試合の登板はチームで3番目の多さでした。今でこそ50試合、60試合に登板するリリーフ投手は多く存在します。僕の1年目のころは安藤優也さん、ジェフ・ウィリアムスさんくらいのもんでしたよね。本当にすごいなと思って見ていました。

翌05年には藤川球児さんが稲尾和久さんのシーズン最多登板記録を更新して80試合に登板しました。それでいてイニングまたぎも当たり前の時代でした。

1年目が終わり、初めての契約更改では年俸もアップしていただきました。詳しい内容は秘密ですが、給料は倍の倍になりましたね(笑い)。翌年はプロ2年目にして初めてのリーグ優勝を経験することになります。次回からは05年のエピソードを書かせていただきたいと思います。

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