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【ブル中野連載#2】中学に入って不良になった私を見かねた母が全女のオーディションに応募

東スポWEB / 2024年6月18日 16時12分

不良時代(ブル中野提供)

【ブル中野・告白(2)】川口市立芝東中では1年の途中から不良になりました。1980年代は「積み木くずし」や「横浜銀蝿」「なめ猫」がはやった時代でしたから。芝東中はマンモス校で1学年15クラス。クラスに1人、番長を置くことになり、1年15組の番長になりました。ただ大して悪いことはしてないんですよ。スカートを長くして化粧してパーマをかけて髪の毛を染めたくらい。あっ、カバンはペシャンコでしたね(笑い)。

とりあえず川口市を占めようと、市内の全中学にケンカをしに行きました。勝つと「アンタのところはウチの中学の下ね。何かあるときは加勢するんだよ」って感じでした。そんな私を見かねた母が「人生をなめてるから厳しい世界を知れば真剣に生きるんじゃないか」と考え、全日本女子プロレスの新人オーディションに応募したんです。

プロレスは小5のとき、アントニオ猪木さんを見て好きになりました。新日本プロレスは金曜午後8時から放送されていて母と妹が好きだったんです。最初は血を出したり殴ったりで怖いイメージを持っていたのですが、たまたま見た試合で猪木さんが外国人選手と戦っていました。流血していて負けるだろうなと思っていたら最後に勝ったんです。生まれて初めて感動した瞬間でした。

そこからプロレスについて調べるようになりましたね。家で皿洗いしたり、お菓子を我慢して代わりにお金をもらって雑誌を買うようになりました。全女はデビル雅美さんが天神マサミというリングネームでやっていて、格好いい悪役で好きでした。私はただのファンだったのに、全女中継の最後に「練習生募集」という告知があって、母がそれを覚えようとするんです。「やめて!」と画面を隠したんですが、ダメでしたね…。

書類の1次審査を通過し、81年にフジテレビで行われたオーディションに参加しました。全女はブームが去り、ミミ(萩原)さんとデビルさん、ジャガー(横田)さんがスリートップでやっているころ。オーディション参加者は80人弱くらいだったと思います。初めはすごいイヤだったんですけど、オーディションでは「おお、体がでかいな。これはいい。もっと大きくなる」と言われました。水泳をやっていたので肩幅もあったのです。他の参加者が小さかったので「私は有望なのかな」と悟りました。

一緒に合格したJBさん(※)は中3でしたが、私は中1なので「卒業しておいで」と。このときの様子が新聞や雑誌に載り、学校内で有名人になりました。だけど卒業後の進路が決まった私は、母に「給食費払ってるんだから行ってきなさい!」と言われて給食の時間だけ学校に行って、食べ終わったらケンカに行くという生活でした。

※ 山崎五紀と立野記代のタッグチーム「JBエンジェルス」

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