1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 格闘技

【ブル中野連載#4】「やった!全女に入った!」と思ったら「ガクッ」…天国と地獄です

東スポWEB / 2024年6月20日 16時17分

同期の小倉(奥)とブル(83年11月)

【ブル中野・告白(4)】1983年4月に入門した全日本女子プロレスでは、同期内で私と小松美加がゴンゴン(小倉由美)をイジメている感じになり、先輩たちの標的になりました。ゴンゴンは基礎体力も高く、バーベルでも一番重いの持ち上げていた。受け身もうまかったし、スパーリングでも私の次くらいに強かったので、悔しかったのかもしれません。

先輩に嫌われてからは毎日辞めたかったですね。純粋にプロレスが好きで15歳で入ったのに、憧れの先輩から怒られるわけですよ。あいさつしても全員シカトだし、仕事のときは「早くしろ!」と怒られながら。嫌われている子は食事に誘ってもらえないので、なかなか体も大きくなりません。その割に私は170センチ、65キロありましたけど(笑い)。「やった! 全女に入った!」と思ったら「ガクッ」みたいな、天国と地獄です。実家にも帰れないし、どうすればいいのかと思いました。何とか耐えられたのは、辞めたらどこにも行くところがなかったし、一生プロレスができないと思ったからです。

デビューするにはプロテストに合格しなければなりません。でも1回目のプロテストは小倉と永友香奈子だけが合格。私は落ちました。これは言い訳なんですけど…実はその時、生理になってしまったんです。初めてタンポンを使ったのですが、テストは1時間半~2時間くらいあって途中でトイレに行くことができない。ロープワークのときに2段ロープと3段ロープの間にお尻が入ってしまい、タンポンが半分出ちゃったんです。「こんなのできないよ…」と思いながらロープワークとスパーリングをしたんですけど、当然違和感がありまして…運が悪いことばかりでした(笑い)。

2度目のプロテストは田島ゆう子だけが合格。残ったのは私と小松、柳下まさみだけです。8月になると松永高司社長がずっと道場で教えてくれ「あいつらも頑張っているから」とデビューもしてないのにプロテストを兼ねた試合をやることになりました。しかも先輩たちがリングサイドに見に来たんですよ…。「受からせない」という意思の表れだと思います。

そのとき社長が教えてくれた技は、新人では絶対に使ってはいけないものでした。アトミックドロップはライオネス飛鳥さん、体当たりはダンプ松本さんとクレーン・ユウさんが使っていて、使っちゃいけないというのは暗黙の了解だったのです。試合後に先輩たちから怒られた社長は、あまり選手に入れ込んではいけないんだとわかったようで、シュンとなっていました。プロテストは今回落ちたらクビだったんですが、3回目は補欠だったんですけど3人とも合格。こうしてデビュー戦を迎えることになりました。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください