三沢光晴が!ジャイアント馬場を!初フォール!1994年3月5日、全日本の歴史が動いた
東スポWEB / 2024年6月23日 10時42分
【昭和~平成スター列伝】ノアの創設者で一時代を築いた故三沢光晴さん(享年46)が2009年6月13日に試合中の事故で急逝してから、今年で15回目の命日を迎えた。三沢は全日本プロレスでは3冠ヘビー級、ノアではGHCヘビー級王者として多くの激闘を展開して“キング”と呼ばれたが、王座戦以外にも数々の名勝負を残している。中でも“世界の16文”故ジャイアント馬場さんから初めてフォールを奪った試合は記憶に残る。日本人では天龍源一郎に続く2人目の快挙だった。
1994年3月5日日本武道館。メインで「夢のカード」として馬場、スタン・ハンセン組対三沢、小橋健太(現建太)が組まれた。“巨艦砲”と超世代軍のトップの激突に1万6000人超満員のファンは狂喜した。
「時代が交錯する夢のカードが動き出した。馬場がゆっくりとリングに入る。攻めている三沢も威圧感に簡単には飛び込めない。この微妙な間が34年の経験。三沢の危険なエルボーを封じるため高さのあるショルダーアームブリーカー。209センチの高さに三沢はツマ先立ちだ。10分、20分…あっという間に30分がたった。馬場が三沢にコブラツイストからバックドロップ、世界を取ったネックブリーカーを決める。カウント2・5。今度は三沢と小橋の番だ。小橋は脳天唐竹割りを食らいながらムーンサルト。そして三沢は最上段から急降下ネックブリーカー。35分11秒、馬場の得意技をアレンジした初公開の秘技で歴史的なフォールを奪った」(抜粋)
三沢は後日「勝つなんて信じられなかった。その瞬間は社長の体は大きいなという感じしかなかった。壁を越えたとは思わない。でも自分のプロレス人生でも重いものだったね」と語った。当時、三沢は5冠王。馬場をフォールしたという勲章も加わって、完全に全日本のエースとなった。
試合を裁いた和田京平名誉レフェリーは「馬場さんに悔しさはなかったと思う。むしろ三沢に頼もしさを感じていた。全日本は3カウント決着のプロレスを鉄則とした。身をもって完全決着のプロレスを目指してくれというメッセージだったんじゃないかな。天龍さんもジャンボもいない。お前がエースとして支えろというバトンタッチの思いが強かったと思いますよ。でもあの年で30分以上、三沢と小橋と互角に勝負した馬場さんもすごかったよ(笑い)」。
くしくも馬場は今年没後25年、三沢は15年と節目を迎えた。天国でこの試合について笑いながら語り合っているかもしれない。改めて合掌。 (敬称略)
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