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【桟原将司連載#31】僕の日本シリーズ生涯成績は防御率「無限大」…こんな人いますかね

東スポWEB / 2024年6月28日 11時7分

05年の日本シリーズ第3戦で先発した下柳剛は2点ビハインドで5回降板

【桟原将司 ハナの剛腕道中(31)】2005年9月29日にわが阪神はセ・リーグ優勝を決めました。そこから10月22日の日本シリーズ開幕までは長かったですね。

セ・リーグでは、まだ導入されてなかったのですが、パ・リーグではプレーオフが導入されていました。そこでは2位のロッテがシーズン1位のソフトバンクを破って優勝。勢い最高潮のままに日本シリーズに臨んできました。

しかし、あの日本シリーズは今でも語り草ですもんね。なんと表現すればいいのか。今でも忘れませんよね。まさか、あの強いタイガースが4連敗で終わるなんて。しかも、ほぼほぼワンサイドゲーム。第1戦なんて野球場にあんなに霧が立ち込めるなんて。

試合中から千葉県北西部に濃霧注意報が出て、打球なんて全く見えなくなってました。7回裏のロッテの攻撃でベニー・アグバヤニのソロで0―10になった時点で試合が中断。30分ほど様子を見ても天候回復の兆しもなく日本シリーズ史上初の濃霧コールドゲームですよ。

あの時、僕はブルペン投げていました。めっちゃくちゃ調子が良かったんです。でも、千葉マリンスタジアムで連敗して甲子園に帰ってきての第3戦、準備はしていても調子が自分の中では悪くなってきて…。でもまあ、これ以上は負けられへんてなっていて。

その第3戦が行われたのは05年10月25日。先発は下柳さんでした。1―3の展開で下柳さんは5回で降板。2番手はビハインドでしたが藤川球児さんで1回無失点。そのまま7回も続投しましたが、ロッテ打線に捕まってしまいました。

で、7回途中、球児さんから僕に継投です。その時の気持ちはというと「もう絶対無理やん」という思いでマウンドに向かっていました。自分の中でも調子が悪いって思っていた部分もあったし、球児さんの次に投げるっていうのも疑問がありました。

スピード的には球児さんとはそんなに変わらないと思いますが、ボールのキレが違うじゃないですか。やっぱり火の玉ストレートの後の僕では絶対打たれるやんて思っていたら、本当に打ち込まれました。今でいう回転数とかっていうやつですか。球児さんと僕では全然違うと思いますよ。

結局、僕はワンアウトも取れず。まずは西岡剛から始まって堀さんに四球、そして福浦さんに満塁ホームランですよ。その次のサブローさんにレフト前に打たれて交代です。この回だけで7失点。チームも3試合連続で2桁失点です。

もうテンションだだ下がりですよ。僕の日本シリーズの生涯成績は一死も取れずに打者4人、3安打、1四球、3失点。つまり一死も取れていないので防御率が計算できず無限大です。ちゃんと調べてないからわかりませんが、日本シリーズでこんな成績の人って他にいるんですかね。

最後の最後に散々な思いをしてしまうことになりましたが、プロ2年目で一軍戦力としてリーグ優勝を経験したことは勲章です。社会人3年目でエースとして投げさせてもらい、都市対抗出場、プロ入り、セ・リーグ優勝と、この3年間が僕にとっては最も濃厚な時間でした。

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