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【ブル中野連載#9】初のWWWA世界タッグベルト獲得!泣いてダンプさんに抱きついたら…

東スポWEB / 2024年7月1日 16時8分

米国遠征中の(左から)ダンプ、松永高司社長、ブル(86年3月)

【ブル中野・告白(9)】1986年3月に初の海外遠征を経験しました。ダンプ松本さん、クラッシュ・ギャルズさん(長与千種&ライオネス飛鳥)と、米WWF(現WWE)のサーキットに10日間くらい参加し、マジソンスクエア・ガーデン(MS・G)のリングに上がることができたのです。ただ中学生のときにはやったスポーツバッグに書いてあったMS・Gがこれなんだくらいで、すごいところという印象はありませんでした。

試合はダンプさんと組んでクラッシュさんと対戦。人種が違うので大きく派手にゆっくりしないとダメだろうなと何となくわかっていて、ロープを揺らして「ワー」とやったり、普段日本ではしないパフォーマンスをした記憶があります。試合はめちゃめちゃ沸いて、次の日の新聞にブル中野が一番大きく載ったんです。「これはヤバイぞ…」と思っていたら、ちょっと次の日から風当たりが強くなりました(笑い)。このあと本格的に米国に進出しますけど、最初がWWFだったので、これも運命ですね。

このころはお金ももらえるようになっていましたが、使う時間がないのでたまる一方です。入門したときは基本給が5万円で、デビューして7万円くらいになりました。上の世代は1試合の報酬が高いギャラ制でした。私たちの世代からは試合のギャラが安い分、基本給がありました。試合は1試合、勝ったら3000円、負けたら2000円。その後に基本給が10万円になって、ダンプさんと組んでドラマに出ているころは70万円くらいになっていましたね。16歳の終わりか17歳くらいで。

毎月現金でもらっていたので、銀行で通帳に入れるのが楽しみでした。1回目のお給料をもらったとき、当時は自分以外の通帳もつくれたので父、母、妹の分もつくって毎月1000円ずつ入れていました。それが1万円、10万円とかになって、たまったらあげようと思っていたんですが、あのとき一番大きかった55インチのテレビを買っちゃいました。100万円弱かな。100キロくらいあったので、よく床が抜けなかったな…。入門して1年は寮で、次の年から不動前の家賃2万2000円の共同トイレ、風呂なしのアパートを借りました。その後は武蔵小山、西小山に引っ越し、少しずついいマンションに住むようになりました。

86年8月23日の川崎市体育館大会では、ダンプさんと初のWWWA世界タッグベルトを獲得。相手は長与&永堀一恵で、私が永堀に勝った瞬間、泣いてしまって。ダンプさんに抱きついたら「バカヤロー!」って頭をぶたれてわれに返りました。ちょっとは貢献できたのかなというのがありましたが、この後、ダンプさんとの間にすきま風が吹き始めたのです。

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